「日本海軍の対潜水艦戦」抄読

同志雪の人さんによる、吉田昭彦「日本海軍の対潜水艦戦」の紹介です。
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同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

日本海軍の対潜水艦戦(吉田昭彦) 波涛(93)1991.3

2017-06-16 16:11:51
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

取り敢えず感想から行くと、 「ああ、出来る限りのことはしたんだな……」 って感じの涙無しには語れない感じのやつだった

2017-06-16 16:15:01
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

根拠文書として 防衛省戦史研究室 戦史蕃業書第46巻「海上護衛戦」 同第31巻「海軍軍戦備<1>」 同第88巻「海軍軍戦備<2>」 水雷史刊行会 海軍水雷史 砲術史刊行会 海軍砲術史 Roscoe;United States Submarine Operations in 文字数

2017-06-16 16:27:06
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

まあその辺を根拠としてるらしいのでそのつもりで。

2017-06-16 16:34:06
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

一般に日本海軍の海上護衛戦は悪し様に言われることが多いし、本書でも基本的には問題が指摘される感じ。 しかしなんだろう、潜水艦を見た後だと感動すら覚える、素晴らしい対処能力に見えてくる。 海軍は海上交通の問題点を認識し、なんなれば対応もしてるのだ。額面上は米英に勝るとも劣らない!

2017-06-16 16:47:16
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

日本海軍は大戦勃発時、海上交通防護、船舶護衛方策をほとんど持っていなかった。 しかし、米潜水艦の脅威の増大、航行船舶の被害拡大を受けて、逐次方策を打ち立て、実施していったのだ。 しかもなんと、それらは比較的的を得たもので、英国のそれに類似するものだったのだ。

2017-06-17 19:45:25
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

そう、あの英国と出した答えが同じだったのだ! 潜水艦大国ドイツの正面に立っていた、英国と! それがどれほど驚くべきことか! 開戦時ほとんど0から始まった日本の対潜作戦は、世界最先端に追いついたのだ。 驚くべき大躍進! 驚異的成長! ……ただ残念なことに、すべては遅すぎた。

2017-06-17 19:49:04
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

そりゃあ0から始めたのだもの、後手後手に回るのは当然というもの。 しかも「被害を受けて逐次方策を打ち立て」、そう、被害が出るようになって初めて必要性を意識し、全くの逐次にとっていったのである。 どれほど正しい方策であっても、時機を逸したそれは適切な対応とはなりえなかった。

2017-06-17 20:03:31
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「泥縄ならまだしも、泥棒に入られてしまってから初めて田に降り稲を刈り、縄をなうための藁を求めるにも似た対応の遅れ」by筆者

2017-06-17 20:11:07
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

一事が万事、これが足を引っ張る。事前研究がない、艦がない、人員がない、専門家もいない、装備がない、経験がない、何もかもがない! 加えてお馴染み頭のお固い連中が頭を押さえるんだから、状況の変化にまるでついて行けない。 対戦相手もないないづくしで始めているから、それが一際際立つ。

2017-06-17 20:22:52
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

ハンターキラーグループの発足が44年8月ってお前それでどうやって潜水艦と戦ってきたんだよ……。 ああでも、海上護衛専門の部隊が発足したのは42年4月なのね。気づいてからはそれなりに素早く対処したのね……。

2017-06-17 20:30:04
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

このないないづくしが先に述べた方策の遅れにつながり、対潜装備/兵力の劣弱を生み出し、護衛/対潜戦術の進歩停頓を成し遂げる。 一般に日本は護衛兵力が不足していた等と言うがとんでもない。こうして得た対潜能力の致命的劣弱と言う状況は、兵数ではどうにもならないところまで来ていたのである。

2017-06-17 20:59:35
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

戦いは数とは言うけども、ゼロは十掛けようが万掛けようがゼロなんだよって位の能力不足じゃどうしようもないってことだ。

2017-06-17 21:03:01
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

対潜能力の致命的劣弱を生み出した要因は大別して三つ 1.海上交通防護、船舶護衛方策の遅れ 2.対潜装備、兵力の質・量的な列学 3.護衛/対潜戦術の進歩停頓 (大事なことなので二回言いました)

2017-06-17 21:07:51
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

さて、日本海軍は海上交通防護、船舶護衛の方策をほぼ皆無なままに大戦に突入した。 では、専門の海上護衛兵力を持っていたでしょうか? A.持っているはずがない

2017-06-17 21:16:27
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

と言うかさっき方策のところで触れたけども、専門の部隊が発足したのは42年4月である。

2017-06-17 21:19:06
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

ああいや、ここで言う”兵力”は艦艇のことであった。まあなんにせよ、あるわけがない。 緒戦の段階では対潜戦は日本海軍にとって全く未知の戦。 兵力の殆どは別の目的での運用を企図して建造/製造した旧式艦艇/航空機を転用したもの。

2017-06-17 21:31:53
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

逐次取られた強化策であらゆる面で増強されていったが、それでもなお、最終的な敗戦に至るまで、その劣弱は覆らなかった。

2017-06-17 21:32:25
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

とはいっても、決して劣っていたわけではない。 松型占守型と直衛艦は増強されていったし、護衛空母も厳しい財布から四隻も引き出した。駆潜艇や掃海艇は言わずもがな、護衛空母の艦載機に哨戒機に飛行艇。機雷爆雷ソーナーレーダー、装備もバンバン開発されて投入された。

2017-06-17 21:50:38
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

そしてそれらの性能は米英と同等、もしくはそれ以上のものを持っていたのである。 額面上は。

2017-06-17 21:50:50
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

この額面上は同等ってやつが曲者だった。特にソーナーシステムの能力の極端な劣弱が致命的で、護衛/対潜戦術の進歩停頓の大きな原因となった。

2017-06-17 23:16:43
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

ソーナーシステムそれ自体のスペックは別段ひどいものではなかった。93式にしろ3式にしろ、米英と比較しても勝るとも劣らない試験結果を示せるだけのものではあった。 ただいささか、実際の運用に対する着意がなかった。

2017-06-17 23:37:45
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

結論から言うと、10ノット以上の速力での航行中に使用すると極端に探知性能が低下したのである。

2017-06-17 23:43:16
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

継続探知しながら追尾しようとしても、10ノットも出せないのではお話にならない。ガトー級の水中速力8.75ノットは決して速いとは言えない速度だがそれでも振り切られかねない。攻撃機会も著しく制限される。 と言うか原速12ノットで使えないのでは、巡航もできないじゃないか!

2017-06-17 23:47:18
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