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アメリカ系ボナパルト家からはセオドア・ルーズベルト大統領のもとでFBI創設に関わったチャールズ=ジョゼフ・ボナパルトが出ている。 しかし跡継ぎないまま亡くなった。 pic.twitter.com/YHeNXm6kW7
2019-03-15 22:33:52その甥、ジェローム=ナポレオン=シャルルが1945年に亡くなったことをもって、アメリカ系ボナパルト家は断絶した。 pic.twitter.com/ZelQVPKzZc
2019-03-15 22:34:57あと可能性としては、ナポレオン1世の弟リュシアンの子孫ですね。 しかし許可外の結婚だったこと、加えて憲法で名指しして拒否されているほどまでに継承権は認められていません。
2019-03-15 23:31:07リュシアンは3人の息子に恵まれ、その子シャルル=リュシアンには4人の息子がいました。 リュシアン系には「ムジニャーノおよびカニーノ公」が称号として継承されていきましたが、3代目、4代目、5代目のいずれもシャルル=リュシアンの息子でした。 pic.twitter.com/zNrAXqkZQX
2019-03-15 23:40:363代目、4代目、5代目のいずれも嫡出の男子がなく(4代目リュシアン〈1枚目画像〉は聖職者として枢機卿にまで至っていた) その後は従弟にあたるローランド(2枚目画像。サーミ人の研究で知られる)が6代目を襲爵するも、彼もまた男子を残さず、1924年に亡くなったことをもってリュシアン家系も断絶した。 pic.twitter.com/4vtPP19m5p
2019-03-15 23:45:35その後、「ムジニャーノおよびカニーノ公」の称号はローランドの娘マリー(ギリシャのゲオルギオス1世の息子ゲオルギオスと婚姻←エディンバラ公フィリップの伯父)を通じてギリシャ王家グリュックスブルク家へ。 そこで1男1女が生まれるも、息子は貴賎結婚により関係断絶。
2019-03-15 23:50:43そのため「ムジニャーノおよびカニーノ公」の称号は娘エイゲニアへ移り、それがドイツ・イタリア貴族のトゥルン・ウント・タクシス家と結婚。 その息子にあたるカルロ=アレッサンドロデッラ・トッレ・タッソ公爵が現在はこれらの称号を保有しています。 pic.twitter.com/KvmXHAISs8
2019-03-15 23:54:43(公爵はトゥルン・ウント・タクシス家ではありますが、1773年に分家した一族のチェコ分家の、更にイタリア貴族化した家系ということで本家からはだいぶ遠縁になるようです)
2019-03-15 23:56:03本家よりもイギリス王室の方がだいぶ近いですね。 カルロ=アレッサンドロ殿下はエディンバラ公フィリップ殿下の又従弟ということになるのでしょうか。
2019-03-15 23:58:34余談
ナポレオンとライバルたちの今
Napoleon and Wellington do battle again as traders in London dailym.ai/1IaKHYm via @MailOnline ナポレオンの継承者ナポレオン7世(8世)と、ウェリントン公爵の直系子孫モーニントン伯(第10代ウェリントン公爵予定)は同職者であり、親友。 ワーテルローから200周年の集いには共に参加。
2018-07-14 12:58:42歴史的瞬間----この3人は左から第9代ウェリントン公爵、ナポレオン7世、ブリュッヒャー侯。 かつてワーテルローで戦ったイギリスのアーサー・ウェルズリー“鉄公爵”と、フランスのナポレオン大帝、プロイセンの“前進元帥”ブリュッヒャーの末裔である。 ワーテルローから200周年の2015年撮影。 pic.twitter.com/GIYlVt9zLK
2018-07-14 13:10:31ナポレオン7世は1世の弟の子孫だが、ウェリントン公とブリュッヒャー侯は直系子孫にあたる。
2018-07-14 13:11:15現ブリュッヒャー侯、先祖にはイギリスのジェームズ1世やジョージ1世らがおり、その関係でウェリントン公とは親戚なのだとか。 また他の先祖にはホーエンツォレルン家に連なるものもいて、ドイツ皇帝家の縁者でもあるという。 geneanjou.blog.lemonde.fr/2015/06/20/les…
2018-07-14 13:14:27巡洋艦ジュノーに搭乗していた5人のサリヴァン家の兄弟が全員戦死した悲劇は知られているが、ドイツでも似たような話がある。 1941年、ドイツはクレタ島の攻略を進めていたが、その戦いで3人の兄弟が同じ場所で戦死。 彼らの名は「ブリュッヒャー」 ドイツの前進元帥ブリュッヒャーの子孫だった。 pic.twitter.com/Cit8ghEbP9
2018-07-14 21:19:01兄弟は全員で4人いて、一番下のアドルフは生存しており、兄の死を受けて軍を辞職した。 しかし1944年、偶発的に狩猟事故で亡くなってしまった。 運命とは残酷である。
2018-07-14 21:19:21これもライプツィヒの戦い200周年でインタビューを受けられる当時の主要人物の子孫 ハノーヴァー王子ヘンリク ブリュッヒャー=ワールシュタット侯ニコラウス ザクセン王子アレクサンダー オーストリア大公ゲオルグ pic.twitter.com/yWPQGv9YQI
2018-07-14 20:16:05フランス皇帝位に就いたナポレオン1世の弱みは、諸国に外戚となる王族がいなかったこと、それにより王室外交が出来なかったことが大きい。 これがひいては諸外国からのフランス帝国の正統性の否定感情に繋がり、帝国瓦解の要因となった。
2018-07-14 23:26:50いっぽうで、ナポレオン配下の元帥からスウェーデン王太子に迎えられ、戦後スウェーデン=ノルウェー王となったカール14世ヨハンは、ロシア皇帝アレクサンドル1世ともうまくやって、欧州諸王室とも上手く外交関係を結ぶことができた。 比較すると面白い。
2018-07-14 23:32:07以下、ナポレオンの妹と結婚したミュラ元帥(ジョアシャン・ミュラ/ナポリ王ジョアッキーノ1世)について
この結婚により、ミュラ一族は広義のボナパルト一族(外戚)としてみられることもある。
なおジョアシャン・ミュラ一族は、始祖ジョアシャン・ミュラ1世がナポレオンの妹と結婚している関係で広義の「ボナパルト一族」に含むよう。 そのため、歴代のナポレオンたちからみて歴代のジョアシャン・ミュラは「族弟」と呼ばれているらしい。
2018-07-14 23:22:08ナポレオン7世(8世)ジャン=クリストフの母親は、ブルボン=シチリア家のカストロ系の出身にあたる。 ブルボン=シチリア家は両シチリア王の王位請求者だが、ナポレオンの庇護下で一時王位に就いていたジョアシャン・ミュラ(ジョアッキーノ1世)の子孫は王位請求者として推されていないのだろうか?
2018-07-14 23:08:17ナポレオンは出自がイタリア色の強いコルシカ島であるし、またイタリア内におけるナポレオン支持者が推しててもおかしくなさそうなんだけど>ジョアッキーノ1世の子孫
2018-07-14 23:09:20両シチリア王ジョアシャン・ミュラの家系って現在まで続いているのか… Joachim, 8th Prince Murat 第8代ミュラ公ジョアシャン、とでも訳せばいいのかな ナポレオンの妹カロリーヌの子孫なので当然ボナパルト家の血も引く。父の第7代ミュラ公は、ナポレオン6世とともに第二次世界大戦に加わり、戦死。 pic.twitter.com/kLAmuEcuaT
2018-01-31 11:10:37ナポレオンの妹カロリーヌと結婚し、のちに両シチリア国王になったジョアシャン・ミュラ。ミュラ家はジョアシャンとカロリーヌ夫妻の子孫として今日まで続いており、現在の当主は第8代「ミュラ公」ジョアシャン(1944年~)。その公式ウェブサイトにて面白い記述を見つけた。 princeprincessemurat.com pic.twitter.com/rrxCF3v08W
2019-03-08 16:26:50