山姥切国広と本作長義、刀工国広関連の話

つるぎの屋@日本刀買取専門店 ‏ @tsuruginoyaさんが山姥切国広と本作長義とその関連のあるお話をしたまとめ
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つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

少なくとも、 「天正十八年庚寅弐吉日 長尾顕長所持」と入れても良さそうです。 所持者である長尾顕長の姓である(長尾)と、所持したことを証する(所持)は重要な意味を持つと考えます。 何か詳細な所持銘を入れられない事情や情勢に変化などがあったのでしょうか。

2017-03-31 23:48:11
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天正18年(1590) 1月6日 北条氏直、深沢城主阿久沢能登守(直崇)らに正月15日までに小田原へ参陣するよう支持する。この籠城に由良国繁・長尾顕長兄弟も加わる。 5月2日 豊臣秀吉の家臣前田利家ら金山城を接収する。

2017-04-01 00:43:33
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6月7日 前田利家、由良国繁・長尾顕長兄弟の母妙印尼に対し、由良・長尾の身上を豊臣秀吉に取り成すことを約束する。 7月5日 北条氏直、小田原城を出て、豊臣秀吉に降伏する。 7月11日 豊臣秀吉、北条氏照・北条氏政を自殺させる。

2017-04-01 00:43:57
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7月13日 豊臣秀吉、小田原城に入り、徳川家康に対し関東7か国のうちに240万石余を与える。 7月23日 徳川家康、岩松守純に返書を送る。 8月1 日 由良氏、豊臣秀吉から常陸国牛久に知行5435石を与えられる(金山城廃城)。

2017-04-01 00:44:15
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金山城略年表 (『太田市歴史年表』1998太田市)から構成) city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170…

2017-04-01 00:44:31
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天正18年4月3日、秀吉軍は、相模の平地に入り、小田原城を包囲し、持久戦に入った。北条方は、これに対し、小田原城に籠城し、長尾顕長及び兄、由良国繁らは、北条氏照の配下に属して、竹ヶ鼻口の守衛の任に就いた。 (足利市史)

2017-04-01 00:49:08
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天正17年11月12日 豊臣秀吉は諸大名に北条征伐の陣触れを発令します。 天正18年正月 北条氏直総動員令が出ていますが由良国繁・長尾顕長兄弟も1月15日までに小田原城に入場していたと考えて良いのでしょうか 2月10日 先鋒の徳川家康が駿府城を出発。越後の上杉景勝が春日山城を出発

2017-04-01 01:05:48
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2月20日 前田利家が金沢を出発。 3月17日 東山道軍の先鋒が碓氷峠に到達。 4月3日 小田原城が包囲される。

2017-04-01 01:05:54
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天正18年1月15日までに長尾顕長が小田原城に入城していたとしたら。 1月6日に北条氏直の総動員令が出ているので、桐生と足利から数日あれば小田原に到着できるはず。 少なくとも、秀吉軍が出発する2月より前には小田原城に入城と考えても良いのでしょうか。

2017-04-01 01:16:27
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天正18年5月2日 豊臣秀吉の家臣前田利家ら金山城を接収する。 本作長義(山姥切長義)に堀川国広が切付銘が施したのは5月3日です。 何か関連があるんでしょうか。

2017-04-01 01:19:08
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「山姥切国広」と「本作長義(山姥切長義)」には天正18年(1590)の干支「庚寅(かのえとら)」が記されています。 堀川国広は2振りとも「寅」を「刀」としています。 「寅」の異体字として「刀」や「刁」が用いられるそうです。 (左) 山姥切国広 (右) 本作長義(山姥切長義) pic.twitter.com/P81RqblqtM

2017-04-05 23:20:11
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・「刁」(チョウ)という字は、「刀」字から派生した ・その「刁」字は、「寅」字の異体字としてしばしば用いられる ・おなじく「刀」字も、「寅」字の異体字として用いられることがある 真性・漢字中毒様より kanjizuki.exblog.jp/4931192

2017-04-05 23:20:23
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「丑(うし)」を「丒」としたものもあります。

2017-04-05 23:23:35
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「山姥切国広」と「本作長義(山姥切長義)」のように「寅(とら)」を「刀」としたものは初めてみました。 (「刀」を「丒」と勘違いして私が見過ごしていただけかもしれませんが) 「刁」も少ないですがみたことはあります。 「丑(うし)」を「丒」としたものはよくみられます。

2017-04-14 13:06:24
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さすが仏教的な教養の高い堀川国広 有り余る知識が駄々漏れている。 「山伏国広」にあるような堀川国広の「梵字」もみる人がみれば、その美しさもわかるのでしょうけど。

2017-04-14 13:08:15

山伏国広

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「所持銘のある末古刀」という本に「山伏国広」と「山姥紀切国広」の記述がありましたので少しご紹介したいと思います。 「所持銘のある末古刀」より 横田孝雄:著

2017-10-04 23:16:28
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「山伏国広」 飯田(はんだ)祐安は祐忠の子で伊東氏(伊豆伊東の出身)麾下、古城より飯田辺にかけての地頭であったとの説(「刀の研究」第2巻第12号)がある。他に伊東家の二男であるともいう。飯田家は江戸時代に日向飫肥城主の伊東家に仕え、

2017-10-04 23:23:15
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現在、東京都調布市にお住まいの守永敏夫氏はそのご子孫である。なおこの太刀は大正時代には永野静夫氏(佐賀市)のご所蔵で、のちに伊東家に入り、戦後、本阿弥光博氏が入手された。当時より話題の多い太刀で、その辺の事情は「刀剣美術」第7号44頁に「山伏国広」と題して光博氏が寄稿されている。

2017-10-04 23:23:29
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「山伏国広」の所持者:飯田新七郎良藤原祐安 ○ 飯田(はんだ) × 飯田(いいだ) ずっと「飯田(いいだ)」だと思っていたのは拙僧だけではないはずと信じたい。

2017-10-04 23:27:34
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「山伏国広」については「刀剣美術」第7号44頁に「山伏国広」と題して本阿弥光博先生が寄稿されていらっしゃるそうです。 「刀剣美術」には合本があるので今度、調べてみることにします。

2017-10-04 23:31:32
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「山伏国広」の主:飯田新七郎良藤原祐安のご子孫がいらっしゃるとは。 もし、ご子孫が「山伏国広」に接する機会が実現するとすれば、製作された天正12年(1584)から現在の平成29年(2017)までは433年もの年月が経っているのですね。

2017-10-04 23:39:14

山姥切国広の刃紋について 作風の似た刀工

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「山姥切国広」 この刀は野州足利における作であり所持者顕長は足利城主長尾顕長で小田原北条氏麾下の武将。天正18年7月、小田原会場後、佐竹義宣にお預けの身となったが、のちに母と兄(由良国繁)のいる常陸牛久に移った。元和7年6月8日、牛久で死去。法名関英宗鉄。墓は足利市の長林寺にある

2017-10-04 23:45:30
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先日、ある方に久しぶりにお会いして色々とお話しを伺わせていただきました。 そのなかで「堀川国広」や「山姥切国広」に話が及んだのですが、私は以前から「山姥切国広」についてある懸念を感じていましたので、その事についてもお話しさせていただきました。

2017-10-05 00:05:39
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