時計屋シリーズ2~腹黒百貨店の話~

帽子男 @alkali_acid

悪の秘密犯罪結社「腹黒百貨店」を知っているか

帽子男 @alkali_acid

腹黒百貨店は悪の秘密犯罪結社だ。 その目的は社会を豊かに幸せにしようと心から願い努力する善玉、つまり正義を見つけてはいじめることにある。 卑劣で狡猾で残忍きわまる組織である。構成員数2名。

帽子男 @alkali_acid

構成員数が2名だからとあなどるなかれ。少数精鋭である。 君はY市エトランゼホテル集団窒息事件を覚えているだろうか。 あれを引き起こしたのは腹黒百貨店だ。

帽子男 @alkali_acid

標的になったのは革新派の政治家。貧しいY市の産業振興に取り組み、労組から経営者まで、立場や政治思想を問わず多くの支持を集めた大人物。卑劣にも腹黒百貨店は、親交ある政財官界の大物ともどもホテルの会議場に閉じ込め、硫黄化合物で燻し殺しかけたのだ。

帽子男 @alkali_acid

だが警察は見当違いな過激派を犯人と思い込んで締め上げ、結局証拠を上げられないままえんえんと監視を続けるはめになった。腹黒百貨店は偽装工作の専門家で、嘘の手がかりを残すなどお茶のこさいさいだった。

帽子男 @alkali_acid

腹黒百貨店のいかれた構成員を紹介しよう。 仕入係のタロと、配達係のジロだ。 保険証から運転免許証まで、色々と手作りのよくできた偽造身分証明書は沢山持っているが、とりあえず二人のあいだではそう呼び合っている。 年齢は十代にも見えるし、二十代にも見えるが、ひょっとしたら三十過ぎかも。

帽子男 @alkali_acid

タロとジロを育てた師匠は、偉大な帝国の残党だった。 大陸を侵略者から守るため、秘密の諜報活動に邁進し、祖国が戦に敗れると自ら死を偽ってかつての同胞をも欺き、なお陰ながら活動を続けた。 「神州は夷狄に踏みにじられた…帝の領土は北も南も卑劣にして邪悪な敵に占領を受けている」

帽子男 @alkali_acid

師匠は正義を信じていた。時代遅れなことに。 「人々は善なる心、を忘れ、おぞましい鬼畜に傅（かしづ）いている…このありさまを誰かが何とかしなくてはならん。タロ、ジロ、お前達はそのために刃となるのだ」

帽子男 @alkali_acid

師匠は、孤児院からさらった二人の子供に徹底した専門教育を施した、暗殺、偽装工作、変装、変声、潜入そのほかもろもろ、密偵のために必要なあらゆる技術を叩き込んだ。 「正義のためだ。正義のために影となれ」

帽子男 @alkali_acid

鍛え方は厳しく、いささか常軌を逸しており、例えば格闘においても対人だけでなく、時には海で鮫と戦ったり、山で猪を狩ったり、最後には北の大地で羆（ひぐま）と対決しようとまでした。 しかし羆は強すぎた。正義の味方をもってしても。

帽子男 @alkali_acid

「私は…志半ばで…羆に敗れ死ぬが…お前達は…志を継いで…必ず神州を…この国を鬼畜どもから取り戻してくれ…善を成せ…」 タロとジロは師匠の死体を羆にくれてやった。 「さすがに羆は無理だよ」 「ねえ」

帽子男 @alkali_acid

もちろん二人は正義のために戦う気などさらさらなかった。 「正義の味方なんていっぱいいる」 「もうインフレだよ」 「それより悪がいい」 「悪の秘密犯罪結社になろう」 「それがいいよ」

帽子男 @alkali_acid

二人は身に着けた諜報と工作を駆使して悪の秘密犯罪結社、腹黒百貨店を立ち上げた。まず最初の標的は正義の代表格である警察の観察だった。 師匠の批判にもかかわらず、鬼畜の指導のもとで警察はすばらしい発展を遂げており、悪を追跡、補足する能力をぐんぐん拡大していた。

帽子男 @alkali_acid

タロとジロは、警察をお手本にしてよく学んだ。警察の便利な道具もいろいろと拝借した。盗聴器だとか、発信機だとかをあちこちにしかけるので、こっそり持ってってばらし、また戻したりした。

帽子男 @alkali_acid

警察が主に追っている悪は、過激派とか、学生運動、少数民族団体、被差別組織、労働組合、社会主義政党、暴力団、右翼、とかいう連中のようだった。それぞれ手強く切れものがいるのを、腹黒百貨店は遠くからつぶさに見守った。

帽子男 @alkali_acid

「すごいね…悪もわりといる」 「でも待ってよ。あいつらは皆、正義だって名乗ってるぜ」 「正義と正義のぶつかりあいか…」 「悪が不足しすぎて正義同士で戦ってるんだ」

帽子男 @alkali_acid

それでも、正義の中にもひときわ輝くものはいる。 例えばY市の革新政治家を狙ったのは、まごうことなき正義を感じたからだ。 「この人はすごいよ、貧しいY市にコンビナートを誘致し、沢山の雇用を作り上げたんだ」 「多くの幸せな家庭が生まれたね」 「対立する正義も多くが皆この人を支持してる」

帽子男 @alkali_acid

「でも待ってよ。この人の誘致したコンビナートから大量の有毒ガスが出て、ずいぶん多くの人が喘息になってる。死者も結構出てるよ」 「因果関係を認めるのに時間がかかったけど、でもこの人は最近じゃ反省してるみたいだよ。それにさ」 「うん」 「正義っていうのは、大きな犠牲を伴うんだ」

帽子男 @alkali_acid

「確かにそうだね。正義は皆犠牲をいとわない」 「この人は言ってる。不幸な事故がありましたが、Y市はそれを乗り越え発展していくって。コンビナートはY市の希望だって」 「すばらしいね」 「じゃあこの人をいじめよう」

帽子男 @alkali_acid

Y市において工害病の原因物質とされる硫黄化合物をはじめとするさまざまな湯毒ガスが、空調を通じて密閉されたホテルの会議場に蔓延し、財閥系の重化学工業の役員や産業政策関連の議員、官僚などが呼吸器に重大な被害を受けたのはすぐあとのことだった。

帽子男 @alkali_acid

革新政治家やその親交ある政財官界には、喘息の被害者・遺族団体をはじめ多くの敵はいたが、そろってこのむごたらしい犯罪には非を鳴らした。卑劣な悪事を許せないと新聞も書き立てた。 腹黒百貨店は大満足だった。

帽子男 @alkali_acid

M化学の工場連続爆破事件／爆破事故を覚えているだろうか。 あれは複数の極左団体があとになって声明を出したが、結局警察は事故として片づけた。爆弾はあまりに巧妙な作りで、後に証拠を残さなかったせいだ。 無論、腹黒百貨店のしわざだ。