「哲学書はどう読めばいいのでしょうか?」

回答と検討。
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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

答えました。好評で何より。 これ読んで興味持ったらゲンロン読んだりイベントに来たりしてみてくださいー ゲンロン友の声 — 哲学書はどう読めばいいのでしょうか? genron-voices.tumblr.com/post/178973065…

2018-10-12 22:15:11
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

おすすめの記事です。僕も東さんと同様に指導します。これが王道だと思います。『勉強の哲学』第四章にも似たことが書いてあります。:哲学書はどう読めばいいのでしょうか? | ゲンロン友の声 genron-voices.tumblr.com/post/178973065…哲学書はどう読めばいいのでしょうか

2018-10-14 12:22:10
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

概念と概念の関係を、僕の『勉強の哲学』では、部屋のなかで家具の位置関係を把握するように読む、とか、SFに出てくるアイテムや異星人の設定を覚えるように読む、と説明しています。東さんは、概念同士の関係を人間のゴシップのように読むと喩えていて、これもなるほど!と思いました。

2018-10-14 12:24:49
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

たとえば、カントが本のなかで「理性」と書いているのを読むとき、それは一般に想定される「理性」の意味とは70%くらい関係ない、と強めに言ってみるとすれば、衝撃かもしれない。そのくらいのつもりで、ひとつひとつの概念を、「その本のシステムのなかで一定の役割を果たしている記号」として読む。

2018-10-14 12:31:36
松下哲也 @pinetree1981

すごく勉強になった。僕は哲学が全然だめなのだけど、哲学書の読み方はどうも美術書の読み方と同じらしいということと、作品というか対象を全然見ていない「概念オタク」はどの分野にもいるらしいということがわかった。

2018-10-14 12:31:44
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

話題になっている東さんの哲学書読解法は、哲学に登場する概念を徹底して「記号」として捉えるという点で千葉さんが『勉強の哲学』で説いた方法に通じる内容なんだけれど、じつは哲学以外の分野を学ぶ際にも応用が利く考え方です。わかりやすいのは数学とか語学の場合。

2018-10-14 18:57:06
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

たとえば英語の文章を読むとき、日本語の語彙としてすでにある程度定着している単語(カタカナ英語)をそのカタカナ的感覚に従って素直に訳してみても意味が通らなかったりする。これはカタカナ英語が元の単語のいくつかある意味のうち大抵は一つの意味にのみフォーカスして使用され定着しているため。

2018-10-14 19:06:47
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

日本語の語彙として定着しているカタカナ英語の感覚をいったん完全に忘れてゼロから学習できたらそれがベストなのだろうがそれは生まれ変わるのでない限り不可能なので、実践的には自分でよく知っていると思っている単語ほど頻繁に辞書をチェックし多義的用法に慣れ親しんでおくしかないわけだ。

2018-10-14 19:13:40
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

数学の場合は、インフォーマルな文脈でない限り、明確に定義された概念以外は使用してはならないという縛りが強いので「わからない言葉があったら検索して定義を見、その定義内にわからない言葉があればまた検索して調べる」を繰り返していくことで「教科書・専門書が読める」レベルまでもっていける。

2018-10-14 19:18:25
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

数学の勉強に関して気をつけたいのは啓蒙書との付き合い方だろう。啓蒙書は入門書で使われる(フォーマルな説明に移行することを前提とした)インフォーマルな説明ともまた違った「魅力的な紹介」を行うが、それは分野の雰囲気をつかむのには向いていてもそこから先に進むための足場にはならない。

2018-10-14 19:23:17
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

なので基本的には教科書と専門書に軸足を置き、わからない術語はメモるか即座に信頼できる辞典類をサーチして定義を確認し、当該文脈での使用のされ方を確認していく。「初出概念の定義・出題された問題・それに対する証明のそれぞれの文章の意味がとれる」レベルまでまず達すること。

2018-10-14 19:28:09
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

「数学の概念を理解したとみなせる基準は何か」ということでよく哲学者と数学者のあいだで議論が生じているが、僕の考えでは、哲学者側の想定とは異なり数学の場合は「読める」だけでは概念の理解としては不十分で、当該概念を「使える」ことがそれを理解したことの必要十分条件であると思われる。

2018-10-14 19:32:17
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

語学でも実際に使用してみることで学ぶことというのはある。たとえばいろいろ英作文にチャレンジしてみることで、日本語と英語のあいだのフレーズ単位での交換可能性について、単に逐語的に英文和訳をしていたのでは気づけなかっただろう知識が得られることがある。

2018-10-14 19:41:37
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

哲学の話に戻ろう。件の回答文の末尾で、東さんは「しかし概念と概念の関係ばかりに詳しくなった哲学概念オタクは真に哲学をやっているとは言えない」と言っている。これはそのとおりで、数学と語学の事例が暗示するとおり、概念はその具体的使用において初めてその本質を展開する。

2018-10-14 19:47:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

数学の場合、概念を使用するとは与えられた問題の解を導く(計算する/証明する)ことだった。語学の場合、概念(言葉)を使用するとは、端的にその外国語を使用して求めるコミュニケーションを実現させることだろう。哲学において概念を使用するとはどういうことか。これは意外と難しい問いだ。

2018-10-14 19:51:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

なので、本当は「専門書を読める」ようになったレベルのさらに先に「教科書に出てくる定理のいくつかを自力で証明できるようになる(ヒントはあってもなくてもいい)」というレベルがあるのだが、その準備段階として哲学や語学の勉強と同じ「言葉を記号としてのみ捉えて把握する」時期があるという話。

2018-10-14 19:35:30
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

だが当座の問題は「哲学において概念を使用するとはどういうことか」ではなく「概念オタクにならないためにはどうすればいいか」ということなので、問題を変形し「哲学概念オタクにならないための概念の付き合い方はどのようなものか」と問うてみよう。僕はこの問いの答えを、経験的には、知っている。

2018-10-14 19:56:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

哲学概念オタクにならないための方法は簡単で、何か新しい専門的概念や定式化が出てきたときには、つねにその具体例を考えるようにすればいいのである。記号的に捉えられた言葉たちのネットワークを通じて哲学の抽象的アイデアをそのままの状態で把握できるようになったら、今度はその具体例を考える。

2018-10-14 20:00:38
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

たとえばカントの判断力批判には「崇高」という概念がでてくる。「崇高」は「美」と異なり、構想力と悟性のペアではなく構想力と理性のペアで生じる美的概念である。美の例は花とか小洒落た家具、崇高の例は高山とか巨大な神殿だが、ここから逆に悟性と理性の違いを具体的に考えてみることもできる。

2018-10-14 20:15:28
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

具体例を与えるとは、再びカント的言葉で言えば、感性化することdarstellenである(ちなみにこの言葉には「俳優が役を演じる」という意味もある)。脱構築や家族的類似性といった概念どういう具体例(その概念で記述するのが適切な状況)をもつかを考えてみることが重要だ。

2018-10-14 20:21:01
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

だから概念オタクでない哲学者というものがいるとすれば、その哲学者は少なからず劇作家や小説家に似た性格をもつことだろう。たとえばサルトル。あの難解なフランス現代思想も、それに先立つサルトルらの文学的政治的活躍がなければ、これほど人々の関心を引く潮流にはなりえなかったのではないか。

2018-10-14 20:27:47
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

とはいえ、サルトルみたいな文豪に誰もがなれるはずがないので、哲学者は具体例付与=感性化をもっと日常的なレベルでつつましく実践する必要があるだろう。「哲学をやるのではなく、哲学を生きること」と誰かが言っていたが、そういう態度で哲学を「使う」こと。

2018-10-14 20:34:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

みずからの生がみずからの哲学と矛盾していないか、絶えず検証すること。たとえばポストモダンは客観的真理を否定したと言われるが、自分はどの程度まで客観的真理に依存せず生きていけているのか問うてみること。それだけでも、たぶん恐ろしく厳しい哲学的概念の「感性化」の訓練になるはずである。

2018-10-14 20:37:21
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

ところで思ったのだが、悟性の概念は私たちの感性的直観の形式(時間と空間)に適合するかたちでしか認識に結びつかず、したがって時間の終わりや空間の果てについて概念的に知ろうとするのは無意味と言ったのがカントなので、東さんが概念オタクを批判し現実と結びついた(感性化された)思考の側に→

2018-10-14 20:41:49
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

立つと宣言したのは、カントの読み方に関する質問に対してカント的な「批判」の内実に見合ったスタンスで答えたことになるわけで、たいへん「いき」なことであると感じざるをえない。

2018-10-14 20:43:38