茂木健一郎さん連続ツイート2011年5月
でい(6)浦沢直樹さんのあまりに凄まじい技に衝撃を受け、帰り道、オレが得意なことは何なのだろうと考えた。とりあえず他人に負けないこと。結論として、ある種の抽象的思考の密度と飛躍なんだと思った。だから、そこにフォーカスしてがんばる。
2011-05-28 07:40:30でい(7)日本は変わらない。東大の五月祭も、堀江貴文さんの講演を直前にキャンセルしたそうだ。どんな「プリンシプル」があってそうしてるんだか。学問も自治もあったもんじゃない。しかし、日本が頑固ジジイのように変わらないことよりも、自分が「できない」ことの方が関心事だ。
2011-05-28 07:42:04でい(8)神さまじゃないんだから、誰でも「できない」ことがある。なんて気持ちいいんだろうね。だって、その「できない」を「できる」に変える修業こそが、人生なんだから。自分にとって本当に大切なことだったら、食らいついてもがんばれるはずだよ。
2011-05-28 07:43:11でい(9)できない! でい! 自分のできないを、真正面から見つめようじゃないか。日本はなかなか変われないで、相変わらず情けないけど、そんな日本も、一人ひとりが「できない」を「できる」に変えることで変わっていけると思うよ。
2011-05-28 07:44:05自疑(1)映画『マトリックス』を見た時、主演のキアヌ・リーブズがいいと思った。自分自身を疑うこと(self doubt)を感じたから。自疑のないヒーローには、魅力がない。
2011-05-29 05:46:28自疑(2)自疑(self doubt)を知っているかどうかが、その人ののびしろを決めるように思う。もし、現状がすべて良いと思っていれば、そこで成長が止まる。自分を疑うことを知っているからこそ、飛躍へのてこの支点が得られるのである。
2011-05-29 05:47:47自疑(3)自疑は、彫刻刀のようなもの。余計なものを削って、次第に美しいかたちになっていく。自疑を持たない人は、だらしない、ぶくぶくとした魂の形をしている。自疑はほろ苦い。その苦さが若さの証拠である。
2011-05-29 05:48:50自疑(4)自疑を知らない人は、自己欺瞞に陥ることも多い。自分のことすべてを良しとする。客観的に見れば、そんなことがあるはずがないのに、完全だと思い込んでしまう。その結果、変革の機会を失う。
2011-05-29 05:50:04自疑(5)もっとも、自疑はバランスを崩してはならない。「根拠のない自信」と、自疑は両立する。むしろ、両者の「膨張」と「削除」の力学が弁証法的にせめぎ合うことで、調和のとれた成長が可能になるのだ。
2011-05-29 05:51:08自疑(6)科学は、自疑をシステム化したものである。どんな科学的言明も、必ず、それを疑う知的営みとセットになっている。自疑があるかどうかが、科学とそうでないものの区別をなすと言ってもよい。
2011-05-29 05:52:51自疑(7)自疑の結果、科学は「メタ概念」となった。自分自身を疑い、変化をする。しかし、どんなに変化をしても、科学は科学であり続ける。同じように、自疑のほろ苦さが、メタ人間をつくる。どんどん変貌するが、しかし同じ人間なのである。
2011-05-29 05:54:04自疑(8)夏目漱石は、徹頭徹尾自分を疑った人だった。「追いつけ」という明治の日本の発展法則を疑った人だった。だからこそ、一番深いところまで到達できた。一方、自己欺瞞に陥っていた多くの表現者は、忘れ去られている。
2011-05-29 05:55:13自疑(9)自分を疑うことはほろ苦いが、その底に、かすかな甘さがある。それを生命の喜びとせよ。春に飛び出る植物の芽のように、自疑こそが、弾力のある発展を可能にする。自疑という地面なしには、跳躍は不可能なのだ!
2011-05-29 05:56:49人動(1)人を動かすものは、いったい何なのだろうかと考える。どうやら、論理や言葉だけでは難しいらしい。身体性としか言いようのない、その人の存在自体を揺るがす事態が起こらなければ、人は動かないものらしいのだ。
2011-05-30 08:58:05人動(2)忘れもしない3月11日、菅直人首相は外国人献金問題を追及されて、メディアの論調から言えば「辞任直前」だった。それが、震災で、外国人献金問題を議論する論調はほとんど消えた。この一連の出来事は、私に、深い衝撃を与えた。
2011-05-30 08:59:14人動(3)以前から、理を尽くし、言葉を尽くして説得していた件について、その限りにおいては聞き耳を持たなかった人たちが、外部の突発的事態によって、手のひらを返したように態度を変える。ここに、私は人の態度を変えるという上での理性的アプローチの限界を見た。
2011-05-30 09:00:59人動(4)たとえば、ここに、やる気のない人、覇気のない組織があるとする。変えるには、どうすればいいか? 理や言葉を尽くすことは大切だが、それだけでは足りない。何か、身体自体を揺るがすような、そんな状況の変化を図らなければならないのだ。
2011-05-30 09:02:27人動(5)どんなに言葉を尽くしても、「この人はなんでこんなことを言っているんだろう」とか、「そうは言っても現実は」などと動かない。それでにやにやしている。そんな経験を、何回してきたことだろう。人を動かすのは言葉ではない。言葉では足りないのだ。
2011-05-30 09:03:19人動(6)レッシグは「コードが法だ」という。ファーストフード店の回転率を上げるためには、お客さんに「20分以内で食べてください」と言うよりは、椅子を硬くすればよい。日本を変えるためには、コードを変えるしかないのだろう。
2011-05-30 09:04:30人動(7)旧態依然たる大学入試、愚かな新卒一括採用。何の合理性もない記者クラブ。これらの、日本の病理を本当に変えるためには、言葉だけではどうも足りない。本気で動くはずがない。社会のコード自体を変えなければならないのだ。
2011-05-30 09:05:27人動(8)3月11日を境に、メディアが手のひらをかえしたように変貌した。それ以前の愚かな論調が、一気に消えてしまった。その事の意味を、私は、ずいぶんと悔しく、そして厳粛な思いで繰り返しふり返っている。
2011-05-30 09:06:33人動(9)人を本当に動かすものは何なのか。それを模索している。言葉は大切である。しかし、言葉だけでは足りない。身の回りのあの人、この人。そして、何よりも自分自身。人を動かすものについての模索は、これからも続く。
2011-05-30 09:07:30