Carlos Rodrigues(@fever7777)による「戦後政治史」【第八章】ニューリーダーとバブル崩壊(1987~93)竹下内閣から宮澤内閣まで

【参考】「戦後政治史」【第一章】http://togetter.com/li/108740 【参考】「戦後政治史」【第二章】http://togetter.com/li/109443 【参考】「戦後政治史」【第三章】http://togetter.com/li/113219 【参考】「戦後政治史」【第四章】http://togetter.com/li/113959 【参考】「戦後政治史」【第五章】http://togetter.com/li/123490 続きを読む
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fever7777 @fever7777

21. ただ宮澤の経済を見る目は一流であり、バブル崩壊や金融不安を巡って、1992年8月に金融機関への公的支援投入による不良債権の早期処理に言及した。しかし宮澤発言は、官僚、財界、マスコミに潰されてしまう。これが実現していれば「失われた20年」はなかったかもしれない。

2011-05-01 19:35:04
fever7777 @fever7777

22. さらに宮澤は、政治改革関連法案の成立を目指したが、党内外の強い反発で断念せざるを得なかった。これにより、党内の政治改革を目指すグループは、宮澤に不信感を抱くようになる。これが後の細川連立政権誕生の直接的な契機となってくる。

2011-05-01 19:35:34
fever7777 @fever7777

23. 政権の後ろ盾であった金丸信は、東京佐川急便事件で議員辞職、経世会の会長職は竹下の意向で、金丸から小渕恵三に移った。羽田孜と小沢一郎は、経世会を離脱して改革フォーラム21(羽田派)を立ち上げる。これに激怒した竹下は、小沢潰しのための「三宝会」を結成した。

2011-05-01 19:36:04
fever7777 @fever7777

24. 1993年5月、宮澤は「選挙制度改革をやります」と発言したが、自民党がまとまらず、次期国会での先送りとなった。これに野党が反発、内閣不信任案を提出する。しかも不信任案には、与党の羽田派が賛成に回るという憲政史上初の事態で、可決されてしまう。

2011-05-01 19:36:34
fever7777 @fever7777

25. 宮澤は衆議院を解散した。これがいわゆる「嘘つき解散」である。選挙戦の結果と次期政権にはウルトラCが起る。これによって長かった55年体制は完全に崩壊してしまう。次回は、細川連立内閣について記すことにしよう。(この章終了)

2011-05-01 19:37:04