@kingbiscuitSIU 話の主旨に反するが、塾や予備校が出す小論文の「模範例」はどうにかならないものかと思う。自分が受験生のときはやはりスゲエと思っていたが、近頃読み返すとやたらと語彙レベルが高すぎてぞっとしない。中高生がこんな言葉使わねえしとさえ思うような例もままある。
2019-01-25 16:22:14@S_kisaragi @kingbiscuitSIU 近年では特に幼い頃からのお受験も絡むから、その手の「正解=空気を読む」方向にだけ成長しちゃったりするんでしょうな。
2019-01-25 17:21:59@masaya___i @S_kisaragi ですねえ。「正解」がどこかに完成形としてすでに転がって(探されるのを待って)いる、と考えるのと、「(学校なり何なりその場の)空気を読んで探す」というのと、うっかり複合しちまうと最悪の隘路にハマるという感じかと。
2019-01-25 17:24:08@kingbiscuitSIU @masaya___i 小室直樹は早くも昭和57年の『あなたも息子に殺される』や昭和59年の『偏差値が日本を滅ぼす』で、当時の共通一次試験が「条件反射のネズミ人間を大量に生むことになる」、「社会から作為の契機が消える」と警告していたものでした。
2019-01-25 17:43:10@S_kisaragi @kingbiscuitSIU @masaya___i 横失です。共通一次試験の開始が昭和54年(1979年)から。その頃の受験生(1961年生まれ以降)は今、親(や、早ければ祖父母)の世代。その子どもたちと考えると、何かこう、「空気を読む」「正解を外にあるものとしてそれを外さないように生きる」傾向が世代を経て濃縮されている感はありますね。
2019-01-25 18:30:43@dorompa3 @kingbiscuitSIU @a_saitoh 現場の教師が正解探求しか知らない世代からねぇ。 文科省がコンセプト通りに正解を示さないので、教師が動けないということですねぇ。 動いたら動いたで、正解探究型の親から文句言われるし。
2019-01-25 19:57:59@kingbiscuitSIU 小中学校の頃は賢い子が多かったので「正解」があることがみんなわかってて、わざと違う答えを言って授業を混乱させたりなんかしてました。道徳や国語、社会科なんかの意見を求められる授業も全て「正解」がある、賢い子ほど分かってました。ちなみに中学卒業は10年前です。
2019-01-25 18:11:01@kingbiscuitSIU 自分は学生ですが、英検等で作文がある場合でも、『自分の考え』を書くのではなくあくまでも『正しい答え』を書くために模範の正しい書き方を『覚えて』います。一体何の価値があるんでしょうかね。
2019-01-25 18:50:12@kingbiscuitSIU 自分、この症状ですわ。 (ゆとり最後世代) 社会でてから、 これが『生きる』と痛感してます。 『どうしたらいいか?』 → 『あれ?どうしたらいい?ん、道しるべがない!』 → 『つくるしかないやん!!(イマココ)』 これに気づくのに20年かかってしまいました… ( ◉ ω ◉ )
2019-01-25 22:28:18@kingbiscuitSIU 「問い」に対して「答え」が絶対的に求められている時点でこうなることは避けられないのかもしれません。 問うだけでも有意義なこともあると、僕は言いたい。
2019-01-25 22:44:42@kingbiscuitSIU そのせいなのか?なんと言うか、言いたい事は頭の中でわかっているですけど、言葉に表すと『先輩方に対して何故か怒らせしまう』という事がおきていて、、 落ち込みと一時的鬱戦いながら、生きてます
2019-01-25 22:47:29@kingbiscuitSIU @seijimatsuyama 私が新学生になるたび「皆さん同じスタートとなりますが」とあるがそんなわけがない。門戸、生い立ち、家庭環境、親の遺伝の性格など、同じなんてあるはずがない。それを日本の教育は「クラスメイト仲良く、勉強励め」とそれを教育の「絶対善」のスタイルが未だにあるのに驚かされる
2019-01-25 23:17:07@kingbiscuitSIU 今の人の自分の考えというのは「社会、学校、企業が求めること」になってしまっているのかもしれない ただ見えないお手本を転記してるだけに過ぎなくて自分の考えを書くということの本質を見失ってると思う
2019-01-25 23:35:43@kingbiscuitSIU まさにそのことで苦しんでいたのですが、 間違ったことを言ってはいけないという意識、意見を言わないのが利口だという空気、断片的な回答だけ書けば済む問題をこなす日々が文章や意見を発する時の障害になっているような気がします。
2019-01-25 23:49:31@kingbiscuitSIU どこまで、どこから書けばよいのかわからなかったり、書き出しを考え始めたら思考の庭に木でなく雑草ばかり生えるような、断片的な思考回路ができている感覚、他の人でもあるのでしょうか。
2019-01-25 23:50:16@kingbiscuitSIU そう言うのは昭和の頃からあった思い出。 ただ、「正解」に至る縛りと解釈は世代でことなることはあるかもだけど、自分の場合は気持ちや思いが言語化できないから読めない=分からない、ってのはある。未だに些細な事でも正解は欲しいもの。そういう人は割合こそ違えど各世代に一定数はいる感覚。
2019-01-26 00:07:06@kingbiscuitSIU 本当に言っている通りで驚きました… 今私は高校2年生なんですが、普通の問題を解くことは出来るのに、「自分の考えを書け」という問題が出てしまうとどうしていいか分からず固まってしまいます。 相手がどういう意図で質問をしてきて、私は何を書くのが正解なのだろうと考えてしまいます…
2019-01-26 01:33:21@kingbiscuitSIU 面接での受け答えでも正解を教え込もうとする。教員採用試験での「部活動顧問をできますか」という質問なんて、忠誠心を試すためのものだから、本心を答えることは不正解。 単元理解の浅い教師によるテストで「この出題間違ってるなぁ、きっとこう答えてほしいのかな」と忖度能力を鍛えられた。
2019-01-26 02:52:29@kingbiscuitSIU このトピックはマジで熱が入りすぎてキモい自分語りしちゃって糞恥ずいですけど、こういうこともリハビリだと思ってツイートしてしまいます pic.twitter.com/8qN0jxlufM
2019-01-26 05:20:55@kingbiscuitSIU FF外から失礼します。 1994年生まれの社会人ですが、学生時代はクラスによっては作文等も好き勝手に書くと文章の内容自体変えられてました。 あとは、余談ですが間違えた答えは赤ペンで修正ではなくて消しゴムで間違えた答えを消してから、赤ペンで正しい答えを書くように指導されたこともありました
2019-01-26 06:57:07@kingbiscuitSIU 私若くは無いのですが、昔の作文読み返すと国語の成績が良かった私は「求められる文」を書くのが上手かっただけなんだなとガッカリしました。 兄の作文は「(でかけていた口うるさい)母が帰って来た、チェッと思いました」とか、自分の気持ちに素直な文を書いており、大爆笑…いえ、感動しました。
2019-01-26 08:02:33@kingbiscuitSIU 因みに手前ミソですが、そんな兄は大企業も幾つか最終面接まで進み某大企業に就職しました。 一方私は、自分の気持ちをさらけだす事も自分自身の考えを纏めるのも苦手で、何自分の本当の気持ちかわからなくなったりで、人生苦労してます。
2019-01-26 08:06:22@kingbiscuitSIU 私の尊敬する先生は、 「とにかく書きなさい。中身の良さは関係ない。百点を取ろうと思わないで、とにかく書く。多作。それに尽きる、学校の作文は」 って教えてくれました。 言葉という道具を自由に使いこなせるようになるには、まずはそうだよなあとしみじみ思いました。
2019-01-26 08:10:45@kingbiscuitSIU 後、少しずれた考えを嘲笑するという風潮も「正解を求める癖」がついてしまうのかな、と。 家族の話ばかりで恐縮ですが、兄は他人に笑われても、逆にやり込める位のディベート力とメンタルがあるので、割と好きなように書けてたのかと思います。
2019-01-26 08:12:36@kingbiscuitSIU 私は今の会社で「どんな所を改善出来るか」という話になり、「これはどうかと思ってる」事を話すと、「考えすぎ~w」みたいな返しをされた途端に、口を閉ざしたくなりました。えっじゃあ何で私に意見を聞いたの?不正解だったの?となる訳です。求められてる答えと違う考えを笑う生徒も良くないのです。
2019-01-26 08:17:27