レイ・ラングトン論文受容10年史
『セクハラが上手くいった理由、ポルノが「上手くいかなかった」理由』を、この概念分析の方法で明らかになるのかってところが興味あるとこ。 @guriko_
2010-05-30 20:46:38#wbook ラングトンは「ポルノが女性差別行為である」と言うために、ポルノと性犯罪や被害との「因果関係」を言うのではなく、ポルノ自体がオースティンの言う意味での「発語内行為」と言う。ポルノが女性を「従属」させたり「沈黙」させたりするのは、「発語内行為」の観点から捉えられるって。
2010-05-30 22:02:26#wbook でもポルノが女性を「従属」させてる、この「従属」を発語内行為から捉えられるって言うんだけど、これ、どちらかと言うと、発語内行為(約束)というよりは、発語媒介行為(説得)に近いと思ったんだけど。どうなの?
2010-05-30 22:03:49発語内行為→言葉を述べることがそのまま特定の行為としての効力をもつような行為(EX.約束する)、発語媒介行為→何らかの発語内行為の結果として、特定の効果がもたらされるような行為(EX.「Xと述べることで説得する」)。
2010-05-30 22:05:33っていうか、ぼく昔からだけど、オースティンのこと、全然理解してないな。名前(特に日本語の名前、発話行為だとか、発語行為だとか)が覚えにくくて。いつまで経っても理解できないまま、ここまで来てしまった。
2010-05-30 22:20:16#wbook 『概念分析の社会学』5章。読み直してみたら、だんだんわかんなくなってきたな。ラングストンの議論で、発話行為論出す意味あるのか、これ。端的に「ポルノは女性差別を(文字通り)肯定している」と言えば、それで済む話なのでは。
2010-05-30 22:25:50#wbook 『概念分析の社会学』第5章。本筋に直接絡むわけではないけど、p.140のドゥウォーキンの反論自体「何をもって消極的自由の侵害とみなすか」の任意な線引きだよね。「不可能」って意味の勝手な解釈。
2010-05-30 23:43:41↓それ、ぼくも考えたんだけど、「でも、DVはそんなに体験ないだろうし、共感されにくいんじゃないかなー」ってぼんやり思ってた。いやいやいや! あまり信じたくないけど、要はDVも広く女性に「共感できる」話ってことなんだよな・・・。
2010-05-30 23:49:36あと、概念分析上、セクハラの成功と、ポルノの失敗を分けた分水嶺みたいなものが知りたいんだけど、それはまた別の話か。
2010-05-30 23:50:25#wbook 「バックラッシュ」って概念も「DV」「セクハラ」「ポルノグラフィ」と同様、概念分析を通じて社会学的に取り扱えるんだよね。「バックラッシュ」とまとめることで、どのような理論実践の場が作られ、その結果・・・みたいな。そのインタービーンを記述する学問。
2010-05-31 13:55:46#wbook って考えると、「名前をつけて可視化する」はフェミニストがしばしば取る基本戦略だってことね。今のところ2勝2敗って感じか。
2010-05-31 13:55:57『ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ』 江口聡 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/papers/speech-act-and-pornography.pdf #wbook
2010-06-01 17:14:34#wbook 『概念分析の社会学』p.138 ラングトンによるマッキノン擁護。オースティン発話行為論から、ポルノ<そのもの>が女性を従属させる、沈黙させる行為だ(ゆえに規制しても表現の自由に抵触しない)という主張だが、ぶっちゃけオースティンの発話行為論いらない、空回りじゃないか?
2010-06-01 21:49:07#wbook たとえば、ラングトンはポルノは女性を、性的客体であると「評決」し、性的暴力の「正当化」するという発話行為を行っていると言うんだけど、なぜそう言えるかっていうと、「ポルノが性差別的」だからだよね。循環論法。
2010-06-01 21:51:22#wbook ポルノは性差別行為だと言うためにオースティンの発話行為論持ち出すんだけど、なぜ「正当化」や「評決」といった発話行為を行っていると言えるのかというと、結局、ポルノの内容が性差別的(差別って行為を行ってる)って話。だったら、オースティン話抜いた方がスッキリする。
2010-06-01 22:00:34#wbook ラングトンはまた、ポルノが女性を「沈黙」させる例として、女性の「NO」が「YES」にされてしまう例を挙げる。これはオースティン的に言えば、発話内行為の「不発」と言えるらしい。言えるのかもしれないけど、同じ話、オースティン抜きできんじゃないの?
2010-06-01 22:04:41#wbook これ、ポルノはそれ自体、女性が「NO」と言っても「YES」だというふうに、女性の発話行為を失敗させる行為だって意味でしょ? オースティンが何かを説明してくれたような気持ちにやっぱりなれない。重要なのは「ポルノは被害との因果関係からではなく端的に性差別行為」ってこと。
2010-06-01 22:09:11#wbook ぼくはこれ、マッキノンの文脈で言えば、「女性を沈黙させる」って被害に関する話というよりは、ポルノへの「強制出演」の文脈で非常に重要な指摘ではないかと思った。ポルノ出演やその中での「演技」において、女性は「NO」と言っても、「拒否」という行為をなすことができない。
2010-06-01 22:11:27ポルノ内で女性が「NO」と言っても、それは「演技」であるとみなされるし、演技であるがゆえに「YES」の意味と取られてしまう。また、出演や演技内容に「YES」と言っても、それは「YES」という賛同行為を構成できない、不発に終わっていると言うことができないか。 #wbook
2010-06-01 22:14:33アンドレア・ドウォーキンも言うように「犬とセックスするのも断れない状況で出演誓約書にサインしたところで一体何だというのか」って話。だから「女性のYESがあった」から、ポルノ強制出演の被害はなかったと言うことはできない、そう考える合理的な理由がある、と言えると思う。 #wbook
2010-06-01 22:16:59#wbook 『概念分析の社会学』p.139 ラングトンの話では、マッキノンが提示した様々な種類の被害のうち、ポルノの「強制」や「押しつけ」は扱わず、「女性を従属/沈黙させる」という被害を中心的に取り扱う「選別」がなされている、と小宮は主張する。
2010-06-01 22:25:44#wbook でも、議論の戦略上、女性の沈黙、従属って被害にフォーカスするのは、戦略上当然なんじゃないか。だって、ポルノそれ自体が行為だって言えれば、「取引行為」は訴訟原因に入れられるし、そうなれば実質上ポルノは絶滅。「押しつけ」や「暴行脅迫」取り締まりの正当化もできるし。
2010-06-01 22:29:58#wbook この後、小宮は「女性を沈黙させる」という被害を(1)他の被害と並ぶ各論として理解する可能性と、(2)それらの被害の総論として理解する可能性の2つを取り上げるんだけど、ラングトンは(1)の意味で理解していると述べている。そうかなあ。ここがどうも引っかかる。
2010-06-01 22:31:33#wbook 『概念分析の社会学』5章。「「被害」の選別と重みづけ」と、「他の被害は各論だけど、「女性を沈黙させる」という被害は、そうした個々の被害が被害として理解されない理由を述べた総論と位置づける」ことの違いがピンとこない。
2010-06-01 22:37:31#wbook 「被害」の選別、重みづけとは、「A,B,C・・・と並んでる被害のうち、Aだけ取り上げる」ことであり、ある被害だけ総論として理解するというのは「A,B,C・・・と様々被害があるけど、この被害が被害と理解されないのはDという被害のためだと理解すること」という意味だろう。
2010-06-01 22:39:48