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草薙剣盗難事件

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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

清雪門。熱田神宮の不開門として知られる。668年、この不開門を通り道行という僧が熱田神宮から草薙剣を持ち出して逃げた。 pic.twitter.com/gvtWB334ws

2019-01-14 12:09:04
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乎止與(オトヨ)邸宅跡。昔は尾張国造、乎止與の邸宅に草薙剣があった。乎止與の娘、宮簀媛がその後、草薙剣を祀る場所を熱田台地へ移した。それが熱田神宮の始まりだった。 pic.twitter.com/fE4LvPmHSK

2019-01-14 12:21:29
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道行は草薙剣を持ち新羅に向かって逃げた。しかし大雨に阻まれて諦めて戻って来たという。どちらにせよ道行は西に向かって逃げたようだ。 pic.twitter.com/ZzEV1LUa81

2019-01-14 12:33:49
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放出。道行は難波にて草薙剣の神罰を怖れて草薙剣を放り出した。そのことから「放出」という地名がついた。 pic.twitter.com/DpBMwKnLtR

2019-01-14 12:49:42
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阿遅速雄神社。阿遅鉏高日子根神を祀る放出に鎮座する神社である。熱田神宮とは深い関わり合いのある神社である。 pic.twitter.com/bjdDj77NLk

2019-01-14 12:57:32
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阿遅速雄神社の社伝によると、道行は新羅に逃げようとしたが大嵐にあい「放出」に漂着した。その後、草薙剣は道行に放り出され、放出の住民によって拾い上げられ阿遅速雄神社に奉納されたという。 pic.twitter.com/wvgzlXQw3d

2019-01-14 13:06:26
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686年6月10日、天武天皇は病気になった。この病は草薙剣の祟りだ、と見なされ、草薙剣は阿遅速雄神社から元の熱田神宮に戻されたという。 pic.twitter.com/SQnNEYZ7U9

2019-01-14 13:48:12
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阿遅速雄神社行宮。行宮とは御旅所のことで、御旅所とはお祭りの巡幸の時、御輿を鎮座させておく場所のことである。 pic.twitter.com/pNXtoVAULS

2019-01-14 15:13:25
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鳥栖八劔社。この神社の社伝によると、708年草薙剣は盗難に合ったが、元明天皇に知られることを怖れて草薙剣を制作したという。 pic.twitter.com/102rn1mkyR

2019-01-14 15:30:58
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ちなみにこの不思議な社伝を持つ鳥栖八劔社は古墳の上に社が建っている。古墳の形状は帆立貝型前方後円墳である。 pic.twitter.com/UeKRP1rZda

2019-01-14 15:40:48
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草薙剣を盗んだ道行はその後捕らえらて「星崎」というところで土牢の刑で処罰されたという。 pic.twitter.com/XrWSM3KyGz

2019-01-14 15:50:09
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星ノ宮。星崎社とも呼ぶ。星崎には隕石が落ちたという伝承が残されている。それが「星崎」の地名の由来かと思われる。 pic.twitter.com/ibm9apqzwv

2019-04-15 22:22:28
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上下知我麻神社。星ノ宮の摂社で乎止与命を祀る。この神社が鎮座する小高い丘は墳墓のようにも思えるが詳細は不明。 pic.twitter.com/TVfCNkHxlM

2019-04-16 05:24:41
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法海寺。寺本のオヤクッサンと呼ばれる薬師如来を本尊とする寺院。開基を新羅国明信王の太子、道行法師としている。 pic.twitter.com/yJ94td6o8q

2019-04-16 05:38:09
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三重塔心礎。法海寺境内に残されている塔心礎。塔心礎の隣にある碑石には「天智年間」と記されている。どうやら法海寺の開基がかなり古いことは間違いないようだ。 pic.twitter.com/LlJQBB7MRn

2019-04-16 05:45:22
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吒枳尼天。仏教の神様である吒枳尼天は稲荷権現と同一視されたようだ。稲荷社のような風貌は神仏習合によるものだろうか。 pic.twitter.com/93xkXmsGrn

2019-04-16 07:07:51
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法海寺寺伝によると、道行法師は星崎浦で土牢に幽閉された後、新羅への帰国を諦め清水の岡に堂宇を営んだという。そして天智天皇の病気の治癒を祈願して平癒させた。 pic.twitter.com/e0YkEQlL4B

2019-04-16 07:46:25
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道行法師は天智天皇の病気を治癒させた功により「薬師寺法海寺」の勅額と寺田二百八十町歩を賜ったという。それが法海寺の開基だ。 pic.twitter.com/OedITWGZ90

2019-04-16 07:51:32
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土用殿跡。熱田神宮に戻された草薙剣は土用殿と呼ばれる殿舎に安置された。土用殿の「土用」とは四季を司る存在の意とされる。 pic.twitter.com/2IrVtwQ8hM

2019-04-16 12:37:50
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御田神社。熱田神宮境内摂社の一社。新嘗祭と祈年祭にはまず鳥にお供えを食べさせなくてはならず、お供えを土用殿の屋根に投げ上げる「鳥祭り」が行われていたという。 pic.twitter.com/NIoVyKLalp

2019-04-16 12:46:14
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686年6月10日、草薙剣は熱田神宮に戻された。その時の喜びは「おほほほ、、」と高笑いを行う珍神事、酔笑人神事の由来となった。 pic.twitter.com/drw0TFWZbK

2019-04-16 12:24:26
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