小谷瑛輔『小説とは何か?』読書メモ集

小谷瑛輔『小説とは何か?――芥川龍之介を読む』(ひつじ書房、2017)の読書メモをまとめました。
近代文学 自己言及 小説 芥川龍之介
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荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
献本交換のようなかたちで、小谷瑛輔さんから『小説とは何か?ーー芥川龍之介を読む』(ひつじ書房、2017)をご恵投いただきました。ありがとうございます。 pic.twitter.com/E2WUrVkB9P
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荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
小谷さんといえば、画期的な柄谷&亀井比較論文が少し前に話題になりましたが、本書ではより専門的かつ原理的な問題に取り組まれているようで楽しみです。英語タイトルは、What is Fiction?なんですね。拝読します。hituzi.co.jp/hituzibooks/IS…
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「芥川作品における仮初めの完結性は、意味的な統一への希求を示すものにはほかならないが、語り手は不可能性への感覚によって常に去勢されている」(小谷瑛輔『小説とは何か?』)。フム。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「この語が自らに向けられることは、芥川にとっても十分予想し得たことであっただろう。たとえばこの「臭味」という語は、さらに遡れば、師の漱石に対して同様のニュアンスで向けられる批判を意味するものであったからだ」(小谷瑛輔『小説とは何か?』)。おおー。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
芥川の小説って『羅生門』でも『手巾』でも『芋粥』でも前半と後半で亀裂あるものが多いんだな。それとこれ繋がってんの的な。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「人間」性を言い立てる人生教訓的な認識上の操作によっては人は救われないということ、すなわち「人間」という観念の空虚こそ、「芋粥」が提示した問題なのであり、語り手は、それを示す為に空転を演じる役割を担っている。by小谷瑛輔『小説とは何か?』
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「芥川が「新技巧派」なのかどうかという言説において重要な役割を果たした文章群は、『時事新報』をその中心的な舞台としており、しかもそこには、芥川の友人が勤めていたということになるのである」(小谷瑛輔『小説とは何か?』)。推理小説めいてきたな。いいぞ。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
芥川×菊池の推理小説っていうと、北村薫『六の宮の姫君』があるけど(いいぞ)、このカップリングって実はミステリー向きなのかね。あまりに有名で逆にパロディ化されることがないないような気も。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
小谷瑛輔『小説とは何か?』。芥川作品の細部にこだわった丁寧な読解もさることながら、ポスト漱石としての芥川の戦略がかなりテクストレヴェルで確認できるんだな、と思って感心している。傍観/観客に関して漱石鴎外を考えていたが、これに芥川を加えてもいいかもしれない。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
非人情(『草枕』)の中間的段階ってまさに観客論で、それすら相対化するあの発想って、劇のメタファーを嫌悪する高橋哲哉の注視者論と似たようなもんなんだよな、と最近気づいた。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
今後自分の仕事の幅を広げていくためには、「法と文学」または「ジャッジメントの文学」を考えていく必要があるのかもしれない。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
自己言及的、反省的な思考がこのように徹底して重ねられていくとき、期せずして芥川が向かっていたのは、理性の対極に位置する、狂気であった。by小谷瑛輔『小説とは何か?』
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「羅生門」の下人も、「鼻」の内供も、一貫した枠組みから主人公の生を整理しようとする語り手とは異なり、以前の自らの問題を忘れることによって次の生の道を踏み出すのだった。by小谷瑛輔『小説とは何か?』
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
大西永昭以前では芥川作品のメタフィクション性はほとんど考察されてこなかったらしい。ちょっと意外だな。私なんかは芥川=メタというイメージしかない。大学生のとき『秋』というテクストのレジュメをつくったときもその方向でやった。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
「たとえば本来プライベートなものである遺書についても、その公開の是非や形態、時期について芥川がきわめて意識的であったことはよく知られている」(小谷瑛輔『小説とは何か?』)。へぇー。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
小谷瑛輔『小説とは何か?』読了。面白かったが、第11章までの流れと最終章の事実を知って伝える伝えないの話がどう繋がってるのかよく分からなかった。問題になっていたのは、自己言及性という高度なテクニックによる自己満&「んなこと知らね」(by読者)の乖離だったのでは。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
つまり、論じられるべきは、「ストレートに表現すりゃいいのに、なんでわざわざ回り道を通るのか?」という空中戦の存在理由なのでは。遺稿の場合はデリケートな話を含んでいるから、というのは分かったが、『小説とは何か?』を読むに、芥川はもっと無駄な自己言及性を操っていた作家に思えるが…。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
そして、その「無駄」こそが、実は小説の小説らしさを定義づけている、という主張かと思ったのだが、どうか。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
なんで作家は読者には気づかれないような自分用の隠れコードを小説に忍ばせておくのか? そんなことをしてなにになるのか? それを達成することで作者(の自意識)はなにを得るのか? その答えのようなものにもう少しで触れることができるように思うのだが。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
こういうことを考えればいいのか? つまり、「百年の後」読者へのロマンを追認するのではなく、分かりにくい小説を執筆することで、「百年の後」という時制を創出する〈書く〉というパフォーマティヴィティがあるのだ、と。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
さらに問うならば、なぜ作家はそんなものに救い(?)を求めるのか。どういう状況に追い込まれると自己言及的戦略を魅力的だと感じるようになるのか。近代小説以前や以後にはそのような戦略はどのような位置を占めていたのか。こうなってくると社会学やメディア論っぽくなるか。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
個人的には、「技巧」を巡るメンドクセー・セルフブランディングとか弟子のなかのポスト漱石のポジション争いとかは、論じ方ふくめとても勉強になった。篠崎美生子『弱い〈内面〉の陥穽』の参照率が高い。これも暇なときに読んでみよう。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
あと、細部への執着の感じとか、テクスト同士の繋ぎ方とか、引用と地の文の比率とか、意外と私とスタイルが似てるなと思った。亀井柄谷論文や『小説とは何か?』最終章だけだとねちっこい文献調査の人なのかな、と思うが、本領としては捌き方の上手さにあるように感じた。
荒木優太(本が出たよ) @arishima_takeo
ああ、あと自己言及の空中戦ばっかに没頭してると狂気にいくよって本でもある(…ホントか?)ので、それはかなり示唆に富んでいると思った。自分を忘れることができるときが一番幸せですな。
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