通説が覆る?〜大西泰正「前田利家・利長」という本がすごいらしい
利家とまつ→たくさんの子どもに囲まれた家族風景を想像するだけでほのぼの。 利長と永姫→信長から京見物に誘われて出掛けたあの旅路は新婚旅行だと解釈。 利常と珠姫→秀忠に「早く利光様を帰して」と手紙をしたためる珠姫まじかわいい。 光高と大姫→リアル超高速参勤。
2019-04-12 23:59:00光高と大姫のかわいいエピソードはあとあれだ。 利常が一門を招いて宴会している時に大姫が突然「大奥に帰る」と言い出したので、利常が理由を聞くと「ここにいても光高様は相手にしてくれなくて暇だから」と、なんともかわいい理由だった。 そこにいた一同、ほっこりとしたそうな。
2019-04-13 00:12:23大西泰正氏の『前田利家・利長』を読書中。p218~219に、「岩沢氏によると、慶長三年(一五九八)四月、利家は上野国草津(群馬県草津町)への湯治に先立って、前田家の家督を利長に譲ったという。」大西氏は、「なぜ草津温泉なのかは、はっきりしないが」としているが、草津は真田信幸の領地である。
2019-04-13 09:42:51草津といえば、石田三成が織田秀信の案内を真田信幸に依頼した書状が思い出される。利家の時も同様の案内依頼を三成が信幸にしていたかもしれない、と想像すると面白い。まあ、あくまで想像にすぎないが。 koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2016/05/…
2019-04-13 09:43:40なお、大西氏は、利家の隠居は慶長四年三月十五日の「御遺言」の時か、死ぬまで隠居しなかったのどちらかである、としているようだ。
2019-04-13 10:10:24大西氏は『前田利家・利長』で「家康による利長の排除は明らかだが、それ以上の何事か、すなわち家康暗殺計画そのものや、その計画への利長の関与、そして「加賀征伐」の動きは、同時代史料からは立証できない。」とする。加賀藩の文書は、意図的に破棄されてるから同時代史料からは立証しようがない。
2019-04-13 13:26:36加賀藩の一次史料が破棄されてると共に、徳川の一次史料からも破棄されてるのだろう。当事者の一次史料が全て意図的に破棄されてるのだ。当事者が一次史料を破棄している時点で、ただならぬ事と思われるが、ここから導かれる史実は当事者の一次史料が破棄されている以上「分からない」事だけである。
2019-04-13 13:31:46一次史料では「分からない」という史実を持って、後代の「二次史料」あるいは「同時代の伝聞史料」を否定することができるか?なんともいえない。実際、後代の「二次史料」あるいは「同時代の伝聞史料」が嘘である可能性は非常に高いからである。
2019-04-13 13:34:24しかし、人間というものは「分からない」では納得できない。だからこそ、その「分からない」の隙間を埋めるために、推理や考察をはじめる。その結果が、同時代の「伝聞史料」であったり、後代の「二次史料」だったりする。これらは、結局推測にすぎないが、推測がただちに史実に反するともいえない。
2019-04-13 13:36:15しかし、紙に墨がのっていて、それが昔のものだからといって、その二次史料の何の権威がある訳でもない。昔の史料だからといっても、後代の二次史料や、同時代であっても伝聞史料は、ただの推測、あるいは意図的な嘘や、風聞を裏取なしに書いたものである場合が多い。
2019-04-13 13:40:10読んだ。うはー。うひー。うへー。 歴史書読んでこれだけ感嘆したのは本当に久しぶりかも。マジかー、加賀征伐まで、マジですかー。 実証主義の固まりのような内容です。ともかく読もう。読んでくれ。凄いから。 pic.twitter.com/8dphTRrm3I
2019-04-13 16:19:42しかしこの勢いだと、秀吉の死から関ヶ原に至る政治軍事史、全部書き変わるのではなかろうか。僕たちはあんなにメジャーな近世初期の歴史を、実は何も知らないのだ。
2019-04-13 16:43:13大西泰正先生より、ご新著『前田利家・利長 創られた「加賀百万石」伝説』と、ご研究の冊子を頂戴しました。この場をお借りして、篤くお礼申し上げます。こんな三文文士にありがとうごぜえますだ。勉強させていただきます。みんなで大西先生を応援しよう! pic.twitter.com/HkJiXswcLY
2019-04-13 17:58:33大西先生の『前田利家・利長』を読みながら「え?なんかこれ、利まつの利家と秀吉じゃん。めっちゃこの二人に近いじゃん。いい年したおっさんが翌年まで喧嘩を持ち越しとかw」と思いながら読んでいたら「秀吉・利家の関係がほほえましくもある」と綴られていて「めっちゃ分かる!!」ってなったww
2019-04-13 19:39:08小田原攻めで利家が秀吉の勘気を蒙った時の話です。長吉や氏郷が尽力したやつです。 でも利家は政治や軍事的失態はおかしていなかったので比較的に安穏と構えており、双方の個人的な感情の悪化が原因(かもしれない)ってのがね。んで仲直りするのが翌年ってww
2019-04-13 19:44:44利家の人物叢書が刊行されたのが半世紀以上前なので、その時には見えてこなかった実像が絶対にあるはず…!新たに利家で出てくれたら良いのに!と常々思っていたので、大西先生の本はそう言った意味では本当にありがたい一冊。
2019-04-13 22:03:22『前田利家・利長 創られた「加賀百万石」伝説』読了。 凄く面白かった。利家の遺言は「なん……だと…!?」ってなったけど、加賀討伐の件はそこまで驚くことはなく、すんなりと受け入れられたな。
2019-04-13 23:11:18大西泰正『前田利家・利長』平凡社 読了。利家・利長の関係する通説が、いかに検証されてなかったか、よく分かる一冊だった。秀吉死後から関ヶ原前までの時期に興味のある人はぜひ読むべき。
2019-04-14 01:11:13前田慶次と前田利家って言ったら、どうしても花の慶次での若者と老人で考えてしまうけど、実は慶次は利家どころか信長より年配だったと知った時の衝撃たるや。 (前田慶次1533年生まれ、前田利家1539年生まれ) ソースはWikipedia pic.twitter.com/vXcepaACtI
2016-04-24 21:52:14