佐藤正美Tweet_20190401_15

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佐藤正美 @satou_masami

私は50才を越えた頃に、或る人から次の様に言われた──「オマエは、(好き勝手な事をしてきたので)今 死んでも悔いはないだろう」と。私にも悔いはある──今のままでは死ぬに死ねない。

2019-04-01 01:09:44
佐藤正美 @satou_masami

現代社会では、仕事の「制度」は、分業化・専門化して、変えがたいほどに強固に確定した社会です。そういう社会の中では、我々は、一つの専門的役割を果たす部品(a mere cog in the bureaucracy)として存する事を免(まぬが)れない。

2019-04-01 01:10:21
佐藤正美 @satou_masami

そういう社会の中で生活している限りでは、他人の思惑を気にしないで生きてゆく事はできないでしょう。会社を定年退職して仕事上の人間関係の束縛から離れない限り、他人の思惑から遁れるのは土台できない事でしょうし、定年退職しても家族がいれば、自分の一存のみで生活できる訳ではないでしょう。

2019-04-01 01:10:54
佐藤正美 @satou_masami

自分の本音(やりたい事)は、40才くらいの頃までに はっきりして置いて、それ以後、本音を徐々に実現するしかない。事を思い立ったら直ぐにでもできそうな気がするものですが、段取りには、思いの外、年月が掛かるものです。

2019-04-01 01:11:32
佐藤正美 @satou_masami

私の青春時代と比較して見ると、今日の青年のほうが社会制度の中で夢(理想)を抱いて生き難い時代になっている事はそうだろうと思うけれど、いつの時代でも夢を抱いて生活する事は やさしい事ではないのであって、夢をみる事が青年の特権であると思う。

2019-04-01 01:12:04
佐藤正美 @satou_masami

夢を抱く事が難しいなら難しいで、そういう制度の中で夢を実現する算段をすればいいではないか。自分を ごまかさないで、自分に対する一片の誠意を持って生活すればいいではないか。

2019-04-01 01:12:31
佐藤正美 @satou_masami

夢を抱くのが難しい理由を社会制度の所為にするのは、たいていの場合、尽力を逃れる口実でしかないのではないか。青年の頃から本音を隠すのは、だらしないと思う。若くして そんな事をしていれば、私の様に初老になって慌てふためく事になる。

2019-04-01 01:12:59
佐藤正美 @satou_masami

その時(老齢になった時)には、やり直しは もうできないのです。辛いよ、これは。その辛さに較べたら、夢を持つ事のできる辛さなど充分に耐えられるでしょう。

2019-04-01 01:13:31
佐藤正美 @satou_masami

「人生何事かを為せば悔恨あり、何事をも為さざれば、これもまた悔恨といふ言葉がある。おそらくさうだらう。しかしそんなことを考へてばかりゐたつて、どうなるものでもない。一片の誠意をもつて生きることだ」(亀井勝一郎)。

2019-04-07 15:37:00
佐藤正美 @satou_masami

「生きて行くことの裡には、生かしめられてゐるといふ感じがあるにちがひない。他からも生かされてゐるのだ。多くの場合、我々はこの事実を忘れてゐる。私はこの事実をさきに邂逅といふ言葉であらはしてみたのである。私の人生に対する信頼のこれは根拠である」(亀井勝一郎)。

2019-04-07 15:37:39
佐藤正美 @satou_masami

私の若い頃を振り返ってみれば、青年期には自分の力を過信して自分を中核にして世の中が回っている思い込んでいた事もありましたが──つまり、自惚れていたのですが──、50才を越えた頃には自分は世の中で変数の一つに過ぎないという事を否が応でも覚りました。

2019-04-07 15:38:34
佐藤正美 @satou_masami

凡才にすぎない野心家は、自分の凡才を覚るまで、たいがい 他人との「関係」を自分の才量との比較でしか見ない様です。そして、世の中(既存の構造)を変えてしまう(あるいは、新しい形態を導入する)人物が天才であって、その天才も過去との関係で出来上がっているのです。

2019-04-07 15:39:02
佐藤正美 @satou_masami

凡人には、その世の中(社会制度)を変える才がない。しかし、可能性でしか評価されない若い時には、自分がその可能性を持っていないと思う事は意気地がないでしょう。

2019-04-07 15:39:31
佐藤正美 @satou_masami

その可能性に挑む自分が実は数々の人たちから学んだ(過去を背負った)自分である事を自覚しているかどうかが問われる。若い頃は、自分の才は独力で養ったと思いがちですが、「学恩」という ことば がある様に、今の自分の知識は過去から継承した知識が殆どでしょう。

2019-04-07 15:40:07
佐藤正美 @satou_masami

自説などは、ほんの数パーセント程度にあればいいほうでしょう(勿論、他人の説を言い替えただけのものは自説とは言えない)。

2019-04-07 15:40:41
佐藤正美 @satou_masami

社会の中で生きるという事は、先ず他人の(そして、過去の時代から継承されてきた事の)真似をしなければ大人にはなれない。自分が独力で事を為したと思い込んでいるのは──他人の真似をして、その恩恵を意識しないのは──、真似る事が社会の前提になっているからでしょう。

2019-04-07 15:41:08
佐藤正美 @satou_masami

「生かしめられてゐる」という思いは、(自分が よほど窮地に陥って、他人から助けてもらった体験がなければ、)意識しないでしょうね。

2019-04-07 15:41:37
佐藤正美 @satou_masami

しかし、初老にもなれば自分の成して(為して)来た事が はっきりとした跡として遺る。否が応でも、月並みな事しか為して来なかった事を はっきりと意識させられる。その時には、自分が凡庸である事を思い知らされる(その時に、そうならないとしたら、天才か よほどの凡暗かのいずれかでしょう)。

2019-04-07 15:42:16
佐藤正美 @satou_masami

初老になれば性質が 「円く(穏和に)」なると云われていますが、そうならざるを得ない(月並みな)過去を ぶら下げている。そして、人生の後半に至って、自分の凡庸さを思い知ると同時に、それとて その凡庸な自分が他の人たちの助力で生きている事をはっきりと意識しました。

2019-04-07 15:43:07
佐藤正美 @satou_masami

自分の著作を愛でる人は頭がどうかしていると思う。三島由紀夫氏は、かれの著作「『われら』からの遁走」のなかで、以下の文を綴っています──「過去の作品は、いはばみんな排泄物だし、自分の過去の仕事について嬉々として語る作家は、自分の排泄物をいぢつて喜ぶ狂人に似てゐる」。

2019-04-14 18:38:32
佐藤正美 @satou_masami

私は、初めて著作を出版した時、文句なしに悦びました。しかし、今振り返れば、初めての著作であるがゆえに、執筆は力みすぎて、生硬な文体になった事は否めない。その後の拙著は、二年あるいは三年の間隔で出版してきたのですが、新作は旧作の改訂版(間違いを正す)という性質をもった書物でした。

2019-04-14 18:39:11
佐藤正美 @satou_masami

代表作を問われて、「次作です(今から書く作品です)」というふうに応えた小説家がいましたが、きっと本音だと思う。

2019-04-14 18:39:33
佐藤正美 @satou_masami

私は文体には注意を払っているつもりです。そして、文体について、ひとつだけ私に誇れる事があるとすれば、亀井勝一郎氏の言う 「十年二十年と小説を書いてゐると、誰でも一応は表現の技術を身につけるわけだが、そこで満足してゐると忽ち腕がおちてしまふ」事を自覚している事です。

2019-04-14 18:39:53
佐藤正美 @satou_masami

「つい昨日書いたものでも、過ぎ去った文章は悉く意にみたない。何かを書くことは悦びではあるがまた悔恨の種になるものである」(亀井勝一郎)──この気持ちは、作家だけでなく文章を綴る機会の多い人たちなら、きっと抱いているでしょう。

2019-04-14 18:40:13
佐藤正美 @satou_masami

頭の中で考えていれば すぐれていると感じられた着想も、文として綴ってみれば論にならない・愚にもつかぬ 「脳髄の痿痺(いひ)」現象だったにすぎない事が多い。自分の想像しているほどには自分の脳味噌は賢くない事が文章を綴れば つくづく思い知らされる。

2019-04-14 18:40:33