「嫌悪」についての論考(青識亜論)
- BlauerSeelowe
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いや、児童は「私の感覚は『正義』だ」とは言っていないし、「「嫌い」と考えてはいけない」と教えている点で、むしろ児童の嫌悪の感覚を「いけない」ことだと決めつけているように取れるのですが。 twitter.com/C4Dbeginner/st…
2019-04-20 12:48:07それは青識くんがいつも反対する「私の嫌悪の感情は正義であり、善だ」という思想と裏表になった話で、英国の女の子が醤油嫌いであったとしても、それはそれを好む相手に対して自明の正義や規範のように突きつけるべきものではないんですよ…と教えた教師の話は、児童教育としては穏当なんじゃないの。 twitter.com/BlauerSeelowe/…
2019-04-20 11:49:06日本人が醤油の香りを好ましいことと考えるのと、英国人が臭いと感じる感覚と、いずれも尊重すべきものであるべきでしょう。「臭い(嫌い)」という感覚を何かいけないもののように教えることは、果たして正しいのか……。
2019-04-20 12:49:19まあ、CDBさんが言うように、「穏当」という点では、教え諭し方はとても穏当に感じますし、教育的見地からみて著しく間違った指導法だとまでは思いませんが。
2019-04-20 12:50:47私が普段から口を酸っぱくして反対・批判しているのは、「嫌悪の感覚が何か上位の規範と無根拠に接続して語られること」です。例えば、あなたが嫌いなだけの絵が、なにか見えない力で女性を抑圧したり搾取したかのように語られることです。「私はこの絵は嫌いだ」というだけの表明は好きにすればいい。
2019-04-20 12:54:01むしろ、嫌悪それ自体を理性主義的な見地から否定したり抑圧することは、かえっていびつな形でその感情を噴出させることになると思います。「何か(誰か)を嫌うことは悪いことだ」という思い込みは、その嫌悪の感情を正当化する「正義」を要請し、耳障りのいい排除の理屈の正当化へと向かいかねない。
2019-04-20 12:55:29だからこそ、私たちは「好きなものは好きでいいし、嫌いなものは嫌いでいい」ということを、もっと当たり前のこととして受け入れるべきなのです。嫌悪は今よりずっとカジュアルで良い。戦後の人権教育は、嫌悪へのハードルをあまりにも上げすぎた。
2019-04-20 12:56:36差別でも正義でもない嫌悪があっていい。あなたの嫌悪は、あなたの嫌悪にすぎない。しかし、あなたは誰に恥じることなくそれを嫌悪して良い。
2019-04-20 12:57:20いや、「臭いものは臭い」で良いのでは。私も至近距離の人がキムチやニンニク料理の入ったお弁当を食べていれば、顔をしかめると思います。「傷つけるから面と向かって言わないようにしよう」ならわかりますが、「『嫌い』と思ってはいけない」は言いすぎでしょう。 twitter.com/C4Dbeginner/st…
2019-04-20 13:01:24シンプルに整理すれば「好き嫌いは差別だからあなたもこの醤油料理を食べなさい」と言えば押しつけだけど、「自分が食べない異文化の料理だからと言って短絡的に『くさい』とネガティブな感情を相手にぶつけてはいけないよ」という話でしょ。 twitter.com/dokuninjin_blu…
2019-04-20 12:52:23CDBさんちでシュールストレミング弁当食べたみが出てきましたね。文化的多様性、受け入れていただきましょうか(笑)
2019-04-20 13:01:57お前の嫌悪は嫌悪ではない。違いを受け入れない差別主義的感情に基づくものだ。差異を受け入れよ(ボコドカバキッ
2019-04-20 13:05:13エマ・ワトソン演説とも通底するのですが、結局、女性が何らかの犠牲を払うということは、フェミニズムの世界観では到底認容できないことで、であるからこそ、「弱者」としての女性も救おう、でも「対等」なプレイヤーにもなりたい、という両立不能の立場になってしまうんですよね。
2019-04-20 16:30:20エマ・ワトソン演説の時にCDBさんが言った「ムシスカンを飲んだのび太(弱者男性)」――漫画内の表現では、親も逃げ出すような嫌悪――に耐えて、喉から薬を優しく掻き出す、あるいは社会で包摂する、なんてことは、フェミニズムの正義構想の内部には予定されていないのではないでしょうか。
2019-04-20 16:32:30であるならば、フェミニズムなどもう不要です。幸福になりたいならば、欲しいものを手に入れるだけの強い人間でありなさい、と言えばいいわけです。ノブレスオブリージュの裏面は、強者に救われる劣った存在として弱者を規定する世界観です。弱者性が肯定されているわけではない。
2019-04-20 16:35:27ええ。ですから、「私は」嫌悪の感情を表明することは良いと思いますよ。しかしそれは、弱者が弱者のまま包摂される思想などではない、と言っているのです。コミュニケーション能力が無ければパートナーシップを獲得できないし、包摂もされない。その現実を変えるつもりがないなら、そうと言えばいい。 twitter.com/C4Dbeginner/st…
2019-04-20 22:34:17青識くんはこのツイのほんの2時間前くらいに醤油をめぐる文化差異について「嫌悪の感情を抑圧するな、もっとカジュアルに嫌悪を表明させろ」と言ってたのだが、文化多様性から弱者男性の話題になるといきなりあいつらは嫌悪を乗り越えないからダメみたいな話になるのであったtwitter.com/dokuninjin_blu…
2019-04-20 21:56:03例えばある男性が、耐え難い悪臭をまとったまま異性とコミュニケーションを試みたとして、それははかばかしい成果を収めないばかりか、嫌悪と拒絶の対象となるでしょう。「悪臭は『差異』であり、嫌ってはなりません」と滾々と諭すのでしょうか。それが正しいと?
2019-04-20 22:37:05「セクハラくらいなんだよ。それぐらい我慢しろよ」みたいなことを言い出しましたね、この人。文化的摩擦を「それぐらい我慢しろよ」で解決可能とする世界観、どこかで見たと思ったら、なんでしたっけ、そう、イマジン。
2019-04-20 22:54:59異文化との摩擦について、最終的に私たちが許容できるところは許容しなければ、共生不可能であるというのはそのとおり。だから、認容できるラインをギリギリまで社会の全員で考えていく必要がある。でもそこには、私たちの「嫌悪」も考慮に入れられるべき要素であるはずです。
2019-04-20 22:57:15想像してごらん、君の家で唐突に開催されるシュールストレミング大会。あなたならできると思うよ。私は無理ですが。
2019-04-20 22:58:52前者の道を選ぶのならば、フェミニズムが平等原理に訴えて獲得してきた倫理的基盤は失われるでしょう。後者の道を選ぶならば、これまでのように男性だけに片務的に要求するのではなく、女性も「ムシスカンを飲んだのび太」のために行為する倫理上の義務を負うことになります。
2019-04-20 23:07:40さて、どちらを選ぶのか。私は興味深く見ています。ちなみに、私自身は自由主義者ですので、前者のほうに希望を見出すものです。というより、現実的にはそうならざるをえないでしょう。醤油が嫌いな人に、醤油に対する嫌悪を抱くなと言うよりはマシです。
2019-04-20 23:09:04自由の問題、つまり法的処罰が必要な嫌悪とはどの程度のものか、ということは別途議論する必要があるでしょう。ここでの問題設定は、嫌悪を抱く側に「それぐらい我慢しろ」と言い、あるいは「嫌いになってはならない」と嫌悪自体をなかったことにせよということの是非です。 twitter.com/C4Dbeginner/st…
2019-04-20 23:12:21「日系児童の弁当から醤油の匂いがする」ことと「セクハラ」を同一視して加害とみなす社会になったら表現の自由とか壊滅状態になっちゃうだろ…普通に考えて…twitter.com/dokuninjin_blu…
2019-04-20 23:07:35例えば、先生は「醤油が嫌いなのなら、それを口に出さず、臭いが届かない距離で弁当を食べなさい」と指導することもできたはずです。なぜ、「差異と嫌悪は違う」などと嫌悪の感情それ自体を否定する指導をしたのでしょうか。そこがこの問題の根幹でしょう。
2019-04-20 23:13:54