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culture_human
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ヴェイユの重力の問題圏のかたわらでサッカナ・シーがかなり素朴な語り口で浮力の思想の可能性を唱えていたことは大事だった気がしますね
2019-06-05 23:41:09![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
遅延主義を提唱する哲学者サッカナ・シー、学生時代に日本へ留学した際に人身事故でアルバイトへ遅刻したことを社員から寝坊と疑われた翌日、集めに集めた東京都全路線の遅延証明書を職場の床にばらまいて「タイムイズマネー」と笑ってほら貝を吹き鳴らしながら退職した有名なエピソードがありますね。
2019-06-05 23:44:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ニック・ランド…サッカナ・シー…暗黒啓蒙…光明蒙昧…光明蒙昧ってバタイユの非=知みたいなものでしょうか…ドゥルーズ=ガタリではなくデリダ…加速主義ではなく遅延主義…資本主義を加速させて瓦解させるのではなく既に常に世界は瓦解し虚無である…その自覚のもとに神を待ち望む…白い夜に……
2019-06-06 01:36:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
サッカナ・シー、ブロックチェーンやビットコインの代わりに関数型プログラミングについてつぶやいてそう twitter.com/euthanasia_02/…
2019-06-06 01:54:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「ニック・ランド」をパロディ化した「サッカナ・シー」という名前をみて、ディオニュソス秘儀の生肉食いを連想していたせいか、TL上に現れた「人口肉バーガー」を「人肉バーガー」と空目して えっ てなった
2019-06-06 02:09:26阿佐ヶ谷大観氏によるサッカナ・シー論
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速かろうが遅かろうが退屈だ。 あるパッセージDCDEGED(ラストの二分音符D以外は四分で弾いてみよ)がある。この波形をいくら伸縮させてみてもDCDE〜という構成関係は変わらない。問題は「スコアをラディカルに書き換えること」(Comité Érotique Révolutionnaire)だ。
2019-06-06 02:20:57![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ヘヴィ・メタルというジャンルはサウンドのある側面を極限へと押し進めることを特徴とする。ランド/シーの対比はスラッシュないしグラインドコア/スラッジやフューネラル・ドゥームという対を想起させる。この連想ゲームは、速度が本質だと信じて疑わない者たちの安易な重ね合わせに端を発している。
2019-06-06 02:21:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
だが、問題は速度ではない。スラッシュの系/スラッジの系というグラデーションが生じるるのは、奏でられるノートと音色、そしてそれらノートの位置関係によってだ。速度は関係ない。ゆえに、この二つの系の対立は「誤謬」である。
2019-06-06 02:21:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
こうは言えるだろう。ある速度の導入は、差異を消滅させるためのアレンジ・テクニックだと。試しにBPMを限りなく上げ下げ——お好みの方向へ——してみよ。なるほど、絶滅に熱っぽくなるのもわかるな。想定される絶滅のミュトスは焼け死ぬか凍え死ぬかに収斂する。それは極言、速度のことだ。
2019-06-06 02:22:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ミュトスの故郷はわれわれの「良識」であり、ミュトスはそれを一層堅牢たるものにせんと世を行き交うことで故郷に報いろうとする。これが涙ぐましいほど道徳的な加速主義であり遅延主義の恩返し譚の物語類型だ。加速主義者/減速主義者が考える革命の筋書きも、大方見立ては変わらない。
2019-06-06 02:22:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もっとも、絶滅も革命もある自然・物自体(ラディカルな読み替えが施された)・器官なき身体etc...への落下であり到来であり、あるいはわれわれ自身によるその意図せぬ「上演」によって生きられるものだ(絶滅であろうと)。
2019-06-06 02:22:40![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
速度の如何に拘おうと、既存の構成関係の枠内に留まり続けるだろう。革命はこの部屋で知覚が変成することから開始されるだろう。 如何にして? 〈トリップ〉
2019-06-06 02:22:56![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ACABゲームをするなら、警察役と逃げる群衆役との間で速度は駆け引きの材料になるだろう。しかし、ACABゲームから降りる俺にとって速度は問題ではない。ゲーム板から降りるとき、その身振りが速かろうと遅かろうとどうでもよく、問題はトンズラこくことだ。
2019-06-06 02:26:26