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@fzk06736 @kashiwagiyugehi 律令をやりとおさない。 従五位とかの位や、左大臣等の官職も律令で定められてます。これは維新まで生きてましたね。 多分、やりとおさないのは、戸籍を作って田を分配して、そこから税金を計算するシステムでしょう。班田収授とか公分田とかのことです
2019-08-05 17:54:56@fzk06736 @kashiwagiyugehi 現存する古代戸籍の最後は、wikiによると寛弘元年(1004年)ですから、源氏物語や藤原道長に代表される平安貴族の時代です。戸籍作りを貴族がサボったからなくなったかと言ったら違います。最後の戸籍の傾向として、女性が多いという特徴があって、生産者側も税金逃れようと必死だったから。
2019-08-05 18:07:06@fzk06736 @kashiwagiyugehi 他にも、税金逃れのために、寺社や有力貴族に寄進して、減税や免税の特権を得ようとしたり。各国の役所が律令に従って税が徴収できない土地(荘園)が増えて行きます。税金逃れたい生産者と有力貴族や寺社が結び付いて、律令を中抜きしていきました。国の役所と荘園の対立は各地で発生します。
2019-08-05 18:18:58@fzk06736 @kashiwagiyugehi この中央と生産者を仲介するのが、源氏とか平氏等の武士です。源頼朝のお父さんの義朝は相模国府側で、伊勢神宮の荘園から収穫物持ち去る事件を起こしていますが、ただの強奪ではなく、国と荘園とどこが税金徴収するかの争いと思われます。
2019-08-05 18:26:36@fzk06736 @kashiwagiyugehi 中央の貴族は国司の守として地方に赴任しません(遙任といいます)。その代わり、自分の派閥の中級下級の貴族を現地に派遣しようとします。 平安中期の日記の小右記みると、子分を送り込もうと、派閥の調整で忙しそうです。暇じゃないですよ。
2019-08-05 18:41:47