2019年8月10日

御宿勘兵衛のソハヤノツルキ(三池)所有は、史実とは言えない。

『明良洪範続編』を根拠として、御宿勘兵衛のソハヤノツルキ(三池)所有があたかも事実のように記される件について、妥当であるかどうか検討してみた。
9
アリノリ @a_ri_no_ri

「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」と銘を刻まれた刀剣は、現在、刀剣乱舞の影響で「ソハヤノツルキ」という呼称がよく使われるが、ゲーム以前は「三池伝太・三池光世・三池伝太光世」表記であり、文化財登録名も「革柄蠟色鞘刀(かわづかろいろさやかたな)」でソハヤノツルキではない。

2019-08-09 21:03:37
アリノリ @a_ri_no_ri

江戸期の史料でも「三池」と書かれていて、徳川家康の所有刀剣「三池」として知られていた。ソハヤノツルキは、長く使われた号(呼称)ではない。よって、このツイでは字数の許す限り、ソハヤノツルキ(三池)と記す。

2019-08-09 21:03:46
アリノリ @a_ri_no_ri

御宿勘兵衛がソハヤノツルキ(三池)を所有していた。という情報が、『明良洪範続編』を根拠に「史実(事実)」のように紹介されることがある。しかし、『明良洪範続編』にはそんなことは書いてないし、『明良洪範続編』は「増誉曰く=増誉が言うには〜」形式で始まる信憑性の低い逸話集である。

2019-08-09 21:04:00
アリノリ @a_ri_no_ri

刀剣に限らず、「物」については、よほどの名品であっても正確な情報は残りづらい。ソハヤノツルキ(三池)も、徳川家康が所有する以前の情報が「皆無」であったため、『明良洪範続編』の記述が見つかったときに、さしたる史料検討もなしに「事実」と受け止められたようだ。

2019-08-09 21:04:11
アリノリ @a_ri_no_ri

だが、ソハヤノツルキ(三池)に関しては、『止戈類纂』掲載の「和世説」に「元武田家の侍桂山十郎所持」とあり、『久能山御宮御寶物目録』には、「元来徳川家相伝の御物にあらず、織田信雄公援兵の為に勝利を得たる謝恩として贈り参らせし物という」とある。

2019-08-09 21:04:25
アリノリ @a_ri_no_ri

「和世説」では「桂山十郎」が所持しており、『久能山御宮御寶物目録』では「織田信雄」の所持となる。桂山十郎は葛山十郎の可能性もある。葛山は御宿の同族で本家筋にあたるようだが、葛山十郎は葛山氏の出ではない。葛山十郎は武田信玄の六男で葛山氏の娘を娶り、葛山氏を継いだ人物だ。

2019-08-09 21:04:36
アリノリ @a_ri_no_ri

葛山氏は永禄11年(1568年)に武田信玄が駿河に進出した際に、今川を見限って武田に内通し信玄に降った。だが、元亀4年(1573年)に信玄によって葛山氏は滅ぼされ、遺領は上記の信玄の六男信貞(葛山十郎)が継ぎ、御宿監物(かんもつ)が年若い信貞の後見となったらしい。

2019-08-09 21:04:48
アリノリ @a_ri_no_ri

さらにその後、武田勝頼によって御宿領も領地替えが行われ、結果として葛山氏とその領地は、信玄・勝頼により、乗っ取られ、解体され、再編成された。葛山十郎こと葛山信貞がソハヤノツルキ(三池)を所有していた場合、三池は武田氏か葛山氏の所有であったのかもしれない。

2019-08-09 21:05:47
アリノリ @a_ri_no_ri

ただ、桂山十郎=葛山十郎の確証はなく、島原の乱の記述がある『和世説』は、確実に1638年以後の作である。天正10年の武田氏滅亡時に葛山信貞も自刃。御宿監物は武田から後北条に乗り換える。信貞から御宿監物へとソハヤノツルキ(三池)が移るか、奪われた可能性もあるが、不明。

2019-08-09 21:06:02
アリノリ @a_ri_no_ri

取り敢えず、史料上で確認できるソハヤノツルキ(三池)の元の所有者は、御宿家、桂山十郎、織田信雄となる。 この中で、『久能山御宮御寶物目録』が明治21年の史料であるため、「織田信雄」の所持は『日本刀大百科事典』で誤りであろうとされている。江戸時代の『明良洪範続編』の方が古いからだ。

2019-08-09 21:06:12
アリノリ @a_ri_no_ri

ならば、『明良洪範続編』の内容が信用できるのか、といえば、そうではない。こちらの記事(ソハヤノツルキに関する史料privatter.net/p/1738424)で検討したように、ソハヤノツルキについて記した『明良洪範続編』の内容には誤りが多い。他の記述でも『明良洪範』の誤りは幾つも指摘できる。

2019-08-09 21:06:25
アリノリ @a_ri_no_ri

他の記述に誤りがあるのに、ソハヤノツルキ(三池)に関する記述だけ「事実である」とは言えない。また、ソハヤノツルキに関する『明良洪範続編』の記述は葛山・御宿家についてのもので、内容がかなり「盛られて」いる。明らかに御宿家を「良く」見せるために書かれており、三池はその一部である。

2019-08-09 21:06:44
アリノリ @a_ri_no_ri

『明良洪範』の著者の増誉は真田氏の出とされる。真田氏は武田の元家臣で、御宿家も同じ。だからか、御宿家はいっさい悪く書かれていない。そこにあるのは御宿家を飾る話であって、ソハヤノツルキはその装飾の一部である。「徳川家康のあの刀」はもともと御宿家にあった、という書き方だ。

2019-08-09 21:06:57
アリノリ @a_ri_no_ri

では、実際の記述はどうかといえば、こうである。 「…御宿越前守と号す此家に伝来せし名剣あり、そばえの剣とも又御池とも称す。此名刀後年子細有て神君へ献奉る甚だ御賞翫有けり、→続

2019-08-09 21:07:07
アリノリ @a_ri_no_ri

→元和二年御他界の日御宿の御腰の物にて生胴をためし其儘血をも拭はずして御枕元に差置れ神霊を之に止められ永く国家を守らせ玉はんとの御事也しとぞ此事世にあまねく知事成ども御宿の名刀の出所并に永く神前に止めらるる趣意を知人少し」

2019-08-09 21:07:20
アリノリ @a_ri_no_ri

訳「…御宿越前守と称するこの家に代々伝わる名剣があった。そばえの剣とも、また、御池(三池)とも名付けられている。この名刀は、のちに、理由があって神君(=徳川家康)へ献上された。(徳川家康はこの刀を)とても大切にされた。元和2年、(徳川家康が)亡くなられる日に、」→続

2019-08-09 21:07:31
アリノリ @a_ri_no_ri

→「御宿の腰物(刀)をで罪人の胴を試し切りをさせ、そのまま血も拭わないで枕刀とされ、神霊をこの刀に留められ、長く国家を守らせなさったことは、世間によく知られたことであるが、御宿家の名刀がどこから出てきたのか、ならびに、永く(久能山東照宮の)神前に置かれている意味を知る人は少ない」

2019-08-09 21:07:41
アリノリ @a_ri_no_ri

血のついた刀をそのまま放置しているあたり、創作(嘘)くさい。錆びるよ。見ての通り、「御宿越前守と号す此家」とはあるが、御宿勘兵衛所有とは書いてない。徳川家康に献上したとあっても、いつ献上したのか書いてない。献上したのは「子細有り=理由があって」で、その理由は分からない。

2019-08-09 21:07:52
アリノリ @a_ri_no_ri

「そばえ」の剣と「ソハヤノツルキ」の切付銘を誤っているが、久能山の史料以外で「ソハヤノツルキ」の切付銘を正しく記した史料はないので、「妙純傳持ソハヤノツルキ ウツスナリ」という切付(所持)銘は広く知られてなかったらしい。増誉がソハヤノツルキについて詳しくないのも分かる。

2019-08-09 21:08:07
アリノリ @a_ri_no_ri

『明良洪範続編』が記す独自情報は、1.御宿越前守と称する家がソハヤノツルキ(三池)を所有 2.時期は不明だが、理由があって家康にソハヤノツルキを献上した、の2つである。他の情報は『坂家古日記/明良洪範/落穂集追加/久能記/和世説/徳川実紀』他、多数の史料と重複している。

2019-08-09 21:08:18
アリノリ @a_ri_no_ri

家康が死ぬ前に三池(ソハヤノツルキ)で罪人を試し切りさせ、子孫長久の守りとした話は、幕府が編纂させた『徳川実紀』にも掲載され、江戸時代には割と知られていたらしい。この話は江戸時代中に盛られ、島原の乱も三池(ソハヤノツルキ)の霊力が勝利に貢献したような話がつくられている。(from和世説)

2019-08-09 21:08:30
アリノリ @a_ri_no_ri

徳川家康の刀として有名な三池(ソハヤノツルキ)が、実は御宿家にあったとすれば、効果的に御宿家を「盛れる」だろう。最後に「知人少し=知る人は少ない」と書いてしまえば、『明良洪範続編』以前に知られていなかったことともつじつまが合う。とゆーか、合うようにしてあるのだ。

2019-08-09 21:08:41
アリノリ @a_ri_no_ri

個人的には「知人少し」と書いてある時点で、「信用できない」と思ってしまった。 増誉は没年からして家康と同時代の人ではない。自分が誰かに聞いた話や記憶、なにがしかの資料?に基づいて話し、それを聞いた誰かが『明良洪範続編』を記述したのだろう。

2019-08-09 21:08:50
アリノリ @a_ri_no_ri

切付銘の誤りからも分かる通り、増誉が語る内容は正確ではない。『明良洪範』の方でもそれは分かる。『明良洪範』には『明良洪範』と『明良洪範続編』があり、『明良洪範』にもソハヤノツルキ(三池)についての記述がある。家康が没する前に、試し切りをさせた話だ。以下に引用する。

2019-08-09 21:09:04
アリノリ @a_ri_no_ri

「枕刀ト取替置ヘシト命セラルヽニ依テ取替シニ、御手ニ取セラレ、二三度振給フ、此御刀ハ、三池傳左(太)ト称シテ、長二尺二寸、込ニ以莫耶之剣模之、中屋妙傳所持ト彫刻有リ、黒鮫赤銅ノ御目貫也、久能ノ神殿ニ納ル所也」 罪人で試し切りをさせた後の部分である。下に訳す。

2019-08-09 21:09:16
残りを読む(51)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?