ソハヤノツルキ(家康の三池)の物語

ソハヤノツルキこと、家康の三池の物語には当初子孫長久の守神の言葉がない。多数の史料を使って、三池の物語の変化を見ていきたい。
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アリノリ @a_ri_no_ri

ソハヤノツルキの物語:その変化と『徳川実紀』の引用史料(以下、連投注意)

2020-07-26 19:07:52
アリノリ @a_ri_no_ri

近年、ソハヤノツルキと呼ばれるようになった、家康の「三池」には、他の刀剣にはない「特殊な物語」がある。 それは、徳川家康が死ぬ前にこの刀で生きた罪人の胴を切らせ、子孫長久の守りとし、遺言で久能山に納めさせた、という物語である。

2020-07-26 19:08:08
アリノリ @a_ri_no_ri

刀剣の物語は、「◯◯を切った、◯◯を退治した」あたりがメインで、付加価値要素として「◯◯(有名人や将軍,大名など)の所有」がある。刀のみだと刀身の「◯◯が特徴」となり、この範囲内に収まらない物語は「珍しい」部類となる。

2020-07-26 19:08:22
アリノリ @a_ri_no_ri

ソハヤ(三池)の物語は間違いなく珍しい。その物語が『徳川実紀』に載っていることもあり、そこそこメジャーな方だとは思う。本当かどうかの確認ができないが、久能山の目録には「あまねく人の知る如く」とソハヤの逸話は皆が知っている、と書いてある。昔は有名だったのかもしれない。

2020-07-26 19:08:31
アリノリ @a_ri_no_ri

今は、「あまねく人」に知られてはいないし、ファンの多い刀剣乱舞の回想「幕府の霊的な守り」は明らかにゲーム用に改変されており、実際の物語とは違う。ネット上にもソハヤの物語は紹介されているが、だいたい上記のように省略されている。

2020-07-26 19:08:45
アリノリ @a_ri_no_ri

では、実際のソハヤノツルキ(三池)の物語はどのようなものか、といえば、実は史料ごとに微妙に内容が変わる。さらに時代が下ると、当初の物語に「+α」が加えられて、「発展」する。家康の三池の場合、その「+α」が実際に起こった「戦い」であるのが特徴である。

2020-07-26 19:08:54
アリノリ @a_ri_no_ri

その「戦い」とは島原天草一揆である。江戸時代末以前で幕府が勝った戦いはこれしかないからだ。家康の三池が「子孫長久の守り」として「活躍」した話をつくるのなら、島原天草一揆以外には候補がないので、必然的にこの戦いとなる。『徳川実紀』にないため、+αとなるこの部分はあまり紹介されない。

2020-07-26 19:09:21
アリノリ @a_ri_no_ri

ここでは、内容と著者の没年から成立年代が古そうな逸話を順に載せていき、家康の三池(ソハヤ)に物語が「加算」されていくのを見ていきたいと思う。

2020-07-26 19:09:43
アリノリ @a_ri_no_ri

最初は『明良洪範』である。『徳川実紀』に引用されている中では、恐らくこれが一番古い。 *家康の病没は「4月17日」との前提を知ってから、読んでください。

2020-07-26 19:10:08
アリノリ @a_ri_no_ri

(4月1日)晩に及び、(家康様が)納戸役の都筑久大夫を呼び寄せ、前に帯刀していた三池の刀を持参するように命じられた。直ぐにそのお刀を持って来て差し上げると、家康様はこの刀を牢屋に持って行き、彦坂九兵衛と相談して、罪人の中で死刑に決まっている者の胴を試し切りするようにと命じられた。

2020-07-26 19:10:21
アリノリ @a_ri_no_ri

都筑がそのお刀を持って、次の間に出たとき、また、(家康様が)呼び寄せ、死刑に決まっている者がいなければ、試し切りをするには及ばないと命じられた。都筑はかしこまって、自ら牢屋へと行き彦坂と相談して、死刑に決まっている罪人を斬って帰った。

2020-07-26 19:10:36
アリノリ @a_ri_no_ri

(罪人の)胴体が心地よく斬れ、手のひらに切った感覚がないほどでしたと申し上げますと、(家康様は)枕刀と(三池の刀を)取り替えるように命じられたため、取り替えると、(三池の刀)を御手にとられ、二、三度振られました。

2020-07-26 19:10:50
アリノリ @a_ri_no_ri

このお刀は、三池伝太(作)と言われており、長さは二尺二寸、「莫耶(ばくや)の剣を模した」、「中屋妙伝所持」と刻まれており、(柄は)黒鮫、赤銅の目貫があり、久能山の神殿に納められているのだ。

2020-07-26 19:11:01
アリノリ @a_ri_no_ri

このときに至って、(家康様は)ご病気がかなり重くなられたときであっても、死刑に決まった者がいない場合は、試し切りはするなと再び命じられたことは、人を思う気持ちの致されるところであると、(これを)見聞きした人は感動された。

2020-07-26 19:11:19
アリノリ @a_ri_no_ri

このお刀のことは、神道の奥秘(=奥義,人には明かせない大事なこと)であるという。

2020-07-26 19:11:32
アリノリ @a_ri_no_ri

『明良洪範』では、 (1)病床にある家康が三池の刀で罪人を試し切りさせる。 (2)三池の刀はとてもよく切れたと報告がある。 (3)家康は三池の刀を枕刀として、二、三度振る。 という流れである。この3つの要素は『徳川実紀』にも採用されている。

2020-07-26 19:11:46
アリノリ @a_ri_no_ri

しかし、三池の刀の情報に誤りがある。家康のソハヤ(三池)に刻まれているのは、「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」である。『明良洪範』は正しい所持銘(切付銘)を記していない。三池についての正しい情報は知られていなかったらしく、久能山以外で正確な銘を記す史料はない。

2020-07-26 19:11:58
アリノリ @a_ri_no_ri

所持銘が不正確であるため、『明良洪範』のように病床の家康が三池の刀で試し胴をさせた、のが本当かどうか、信憑性は下がると言えよう。そもそも、どうして、死にそうな老人が罪人を切らせて刀を枕刀としたのか。『明良洪範』は「神道の奥秘」と記すだけで説明していない。

2020-07-26 19:12:08
アリノリ @a_ri_no_ri

これは『落穂集追加』でも同じである。以下に訳す。

2020-07-28 20:20:25
アリノリ @a_ri_no_ri

さて、(家康様が)お亡くなりになられる前日、16日の晩方、その日、御納戸衆もいましたのでしょうか、都筑久大夫と申す人を(家康様が)お呼びになられました。(病になる)以前、腰に差しておられました三池の御腰物が(納戸に)あるから、 取り出して持ってくるようにとの仰せでした。

2020-07-28 20:20:44
アリノリ @a_ri_no_ri

すぐに持ってまいりましたところ、この刀をその方の牢屋へ持参し、罪人どもの中の(誰か)で、胴を試して持ってくるようにとのご命令につき、かしこまりました、と(家康様の)御前を立って次の間まで出ましたところに、また、召し返されましたので、(家康様の)御前に戻りますと、

2020-07-28 20:21:07
アリノリ @a_ri_no_ri

罪人どもの中に、これは必ず死罪と決まった者が一人もいなければ、試し斬りには及ばないと仰せられました。しかるところに、幸い、悪名の者がいたので、試し斬りは済みました。(家康様の)御前に(御腰物)を持参し、本胴が気持ちよく落ちましたことを申し上げれば、

2020-07-28 20:21:19
アリノリ @a_ri_no_ri

(家康様は)枕元に置かれています御腰物と取り替えておくように仰せつけられました。このときはご容態もことの外重くあられる時で、悪名の者がいなければ試すことは無用であるとのご命令があったことは、

2020-07-28 20:21:45
アリノリ @a_ri_no_ri

曾子の末期に至って、床を変えるように言われたことと、その際に諸人が取り沙汰しました、と同じように問うているという。 【この部分は孔子の弟子の曾子関連の引用らしい。引用元はまだ未確認】

2020-07-28 20:21:56
アリノリ @a_ri_no_ri

右の三池の御腰物、試し切りするように仰られた理由を知りたいと申せば、答えて言うには、右のような次第があったように、(家康様の)お考えのほどを誰が知ることができません、とのこと。ただし、我らが若い頃は、神道の奥秘までを極めたという老人がいまして、

2020-07-28 20:22:06
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コメント

アリノリ @a_ri_no_ri 2020年9月27日
まとめを更新しました。 現段階で入手できているソハヤノツルキ(家康の三池)の情報&物語についての検討となります。
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