ソハヤノツルキ(家康の三池)の物語
ソハヤノツルキこと、家康の三池の物語には当初子孫長久の守神の言葉がない。多数の史料を使って、三池の物語の変化を見ていきたい。
- a_ri_no_ri
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アリノリ
@a_ri_no_ri
そして、この刀の価値を認めて、物語を与える要因になったのは、徳川家康である。徳川家康の遺品刀剣は『駿府御分物刀剣元帳』にあるだけでも1000を超える。家康がこの中から三池(ソハヤ)を選び、拵を与えなければここまで記した物語は全て消えてなくなる。
2020-09-12 21:44:10
アリノリ
@a_ri_no_ri
ソハヤ(三池)は茎(なかご)に「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」と刻まれていても、その銘由来の物語はないのだ。家康が所有していなければ、別の所有者が何か話を与えたかもしれないが、「子孫長久の守神」などという大仰な話にはどうやっても不可能だろう。
2020-09-12 21:44:19
アリノリ
@a_ri_no_ri
刀の価値を認めて守り、物語を与えるのは人間である。ソハヤ(三池)の場合は、それがたまたま徳川家康だった。 三池(ソハヤ)は、無銘で三池典太作の確証はなく、茎に写しと刻まれた、やけに身幅が広く、身幅の割には短い、極端な猪首切っ先の異様な刀である。
2020-09-12 21:44:30
アリノリ
@a_ri_no_ri
異様な刀が家康という江戸時代においては最上の持ち主を得て、特殊な物語を持った。上記のようにその物語は事実ではない、にしても、この刀が大事にされる理由の一つになった。それだけは確かだ。
2020-09-12 21:44:42
アリノリ
@a_ri_no_ri
また、ここに記したように「子孫長久の守神」の物語はソハヤ(家康の三池)だけの物語である。とうらぶの回想「幕府の霊的な守り」で大典太光世も関わっていように話すのは、完全にゲームのオリジナリである。実際は大典太はソハヤ(三池)の物語には全く無関係なのでご注意を
2020-09-27 19:30:12