ア㊙️イさんのお尻と学ぶ海賊の世界(全14回)

最近出版された海賊に関する英語の実証論文の中から、「これは…!」と感じたものをまとめたのだ。大量に出版されている研究の中のごく一部でしかないから、今後追加する可能性があるのだ。 史実・事実・政策に関する部分での誤りがあるかもしれないのだ。お尻さんは海賊研究の専門家ではないから、あまり鵜呑みにしないことをオススメするのだ!
58
前へ 1 ・・ 9 10 次へ
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

そこで交渉チームは家族達から依頼されたヨーロッパ人を探して身代金を支払い、解放させ連れ帰ったのだ。慈善行為のカンパの方は、主に女性や子供の解放に使われたのだ。しかもバーバリ諸国はしっかり「出入国税」とかもとっていて、国を挙げた身代金ビジネスが行われていたと言えるのだ。 (9/19) pic.twitter.com/HlyIsXJt4J

2019-09-04 19:56:31
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

これはビジネスなのだ。だから「領収書」もちゃんと用意されていたのだ。筆者達が目をつけたのはこの領収書で、なんとアルジェリアで行われた約4000件分の身代金取引の情報が残っていたのだ。そこには誘拐された人の氏名、年齢、職業、誘拐された場所、時間が記載されていたのだ! (10/19) pic.twitter.com/xwwode01lk

2019-09-04 19:57:38
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

その領収書をもとに、いつ・誰が・どこで誘拐され、いくら身代金が支払われたのかをデータ化したのだ。もう記述統計を見るだけでワクワクしちゃうのだ(Ransomが身代金全体、Earmarked Ransomはそのうち家族から依頼された人々の身代金額)。 (11/19) pic.twitter.com/hZW2dPYPQR

2019-09-04 19:58:17
拡大
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

これを時期ごとに分けて見てみると、短期間の間に身代金ビジネスにかなりの変化があったことがわかるのだ。誘拐地点は徐々に大西洋に移動していき、誘拐される人物も「漁師」が増えていくことがわかるのだ(後述するけどこれがかなり重要)。 (12/19) pic.twitter.com/cJpX3FGeQ0

2019-09-04 19:58:55
拡大
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

まず、1536-1692年の間に誘拐対象がどう変化していくのかを分析した結果、1675年以後はそれ以前と比較して漁師が誘拐される確率が統計的に有意に高いことがわかったのだ(結果1) (13/19)

2019-09-04 19:59:34
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

そして身代金額と相関する要因を統計的に分析したところ、漁師は他の職業(聖職者や貴族、兵士)と比べて身代金額が少ないこともわかったのだ(結果2) つまり、バルバリア海賊は徐々に身代金の少ないはずの漁師の誘拐にシフトしていったことがこの2つの結果からわかるのだ。 (14/19)

2019-09-04 19:59:53
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

これは彼らにとって何を意味するか?漁師は聖職者や兵士を誘拐するよりよっぽど簡単だけど、そうした「儲からない」人しか誘拐出来ないぐらい彼らが弱体化していたということなのだ。ちょうどこの時期(17世紀末)はヨーロッパ諸国が力をつけ始めた時期でもあるのだ。 (15/19) pic.twitter.com/2s85Qn7Mf6

2019-09-04 20:01:27
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

筆者によれば、ヨーロッパ諸国に対する相対的な「劣位」はバルバリア海賊だけの問題ではないのだ。海賊は帝国の海軍力の中心でもあったから、オスマン帝国そのものの軍事的な優位性の喪失も意味している、ということなのだ。 (16/19) pic.twitter.com/qpQUJc0JY6

2019-09-04 20:02:07
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

オスマン帝国の軍事的な失墜と帝国としての衰退の兆しと考えられる(諸説あるけど)1688年の「第二次ウィーン包囲」もちょうどこの分析で示されたバルバリア海賊の衰退の時期と一致しているから、あながち間違った見方ではないと思うのだ。 (17/19) pic.twitter.com/Ol1T3jinA5

2019-09-04 20:02:33
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

バルバリア海賊、ひいてはオスマン帝国がこの時期になぜ衰退したのか?この問いはこの論文では残念ながら直接分析されていないのだ。あり得る説明としてはヨーロッパ側の技術革新と、国家・官僚制の制度化の成功にあると思うけど、それはまたいつか扱うのだ! (18/19)

2019-09-04 20:03:00
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

今回の話は doi.org/10.1016/j.eeh.… からなのだ。 アルジェの奴隷市場ってどんな感じだったんだろうとか、解放されようと自分の身分を頑張ってごまかす人や、間違えて解放された人もいたのかな…とか、なんかこう、とてもロマンを感じる論文でしたのだ…! (19/19)

2019-09-04 20:03:26

嘉靖の大倭寇:海禁政策と海賊

ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

明朝12代皇帝・嘉靖帝は海禁政策を厳格にする事で密貿易を徹底的に取り締まろうとしたんだけど、それは海賊の激増(いわゆる「嘉靖の大倭寇」)を招いてしまったのだ。その背後にあるメカニズムを、300年間に及ぶ中国沿岸部での海賊のデータを用いて明らかにした研究があるのだ。 (1/17) pic.twitter.com/AJyhsJUwIn

2019-09-05 11:52:47
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

明(1368-1644年)はその初代皇帝・朱元璋の時代から、朝貢貿易以外の海外貿易を禁ずる解禁政策を行っていたのだ。とは言え、だんだんとその規制も緩んで行き、中国沿岸部の都市では盛んな貿易が行われていたのだ。 (2/17) pic.twitter.com/YMPT1qwdtf

2019-09-05 11:53:23
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

中国の特産品と言えば絹で、その加工品は特にヨーロッパでの需要が高かったのだ。バスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由して中国に到達すると(1517年)、多くのヨーロッパの商船が絹を求めて中国にやってくるようになるのだ。 (3/17) pic.twitter.com/SUVQ5UiRor

2019-09-05 11:53:58
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

このように、絹を中心として実質的に「貿易」が行われていたとはいえ、海禁政策はずっと続いていたから、それが密貿易であることに変わりはないのだ。 こうして増え続ける密貿易を憂慮した嘉靖帝(在位:1522-66年)は、その取り締まりを改めて強化する政策を行ったのだ。 (4/17) pic.twitter.com/tYeKNNR7cL

2019-09-05 11:54:25
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

これじゃ商売上がったりなのが、沿岸部の商人達なのだ。何せ今まで取引していた相手(海外の商人)とのビジネスを全面的に封じられちゃった訳だから、その損失を何とか埋めないといけないのだ。じゃあ彼らがとった手段は何か?海賊になるのだ! (5/17) pic.twitter.com/5UwGYDDn7Y

2019-09-05 11:55:14
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

こうしていわゆる「後期倭寇」のブーム(「嘉靖の大倭寇」)がやってくるのだ。当時の代表的な海賊として王直が挙げられるのだ。彼は日本との密貿易を盛んに行った商人としてだけでなく、海賊の頭目としても有名な人物なのだ(後に捕らえられ処刑されるけど)。 (6//17) pic.twitter.com/00M5wVuAF2

2019-09-05 11:56:03
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

じゃあそんな海賊達が狙う場所はどこか?そりゃ獲物が沢山あって儲かる場所、つまり絹の生産地なのだ。海賊達はわざわざ絹織りが出来る人を拉致して島に幽閉し、絹製品を作らせるぐらいシルクに執心していたのだ。 (7/17) pic.twitter.com/nyTX2LwW6P

2019-09-05 11:56:39
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

ちなみに次代の隆慶帝は財政再建のために海禁政策を緩めたんだけど、途端に海賊被害は減っていったと言われているのだ。 あと一つだけ注意をしておくと、後期倭寇はほとんどが中国人(8割以上とされている)で、日本人/朝鮮人海賊はあまり多くなかったと言われているのだ。 (8/17) pic.twitter.com/SnE0r1Msz9

2019-09-05 11:57:26
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

さて、ここまでの話をまとめると、「嘉靖の大倭寇」と呼ばれる海賊の急増に関して、 ・嘉靖帝が解禁政策を厳しくした1550-66年に起きた ・当時最も価値が高かった絹の生産地がその被害に遭いやすかった という予測が導かれるのだ。 いざ実証なのだ! (9/17)

2019-09-05 11:57:58
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

この研究では、1371-1640年の間に中国の33の省で発生した各年の海賊の件数と、絹の生産地や都市化度、人口密度、飢饉の発生、沿岸部の要塞や島の数といった諸々のデータを収集・統合し、統計分析を行ったのだ。グラフや図からもう傾向が明白なのだ。 (10/17) pic.twitter.com/w7e7EVuxAp

2019-09-05 11:58:53
拡大
拡大
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

こうしたデータはほぼ当時の史料から作成されたのだ。主なソースは、皇帝やその治世について当時書かれた『大明実録』(全3058巻)とかなんだけど、中国はとにかくデータが豊富だから凄いのだ…。 (11/17) pic.twitter.com/SEu3aNGBgv

2019-09-05 11:59:27
拡大
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

統計分析の結果、海禁政策が厳しくなった1550-66年の間に、絹の生産地はそうでない地域と比較して海賊が発生する確率が約1.3倍高くなっていたことがわかったのだ。予測通りの結果なのだ! (12/17)

2019-09-05 12:00:37
ア㊙️イさんのお尻 @bot99795157

この論文では結果の頑健性のチェックをしっかりしているのだ。まず、絹の生産地以外に、海賊にとって「獲物」が多いはずの貿易が盛んな地域の指標として都市化度(人口1000人以上の都市がどれぐらいあるか)や歴史的に古い港(宋・元時代)がある省を用いた分析をしているのだ。 (13/17) pic.twitter.com/3I9ciR1aLC

2019-09-05 12:01:07
拡大
前へ 1 ・・ 9 10 次へ