戦国期南奥の「中人制」についてまた考えてみた

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三浦介 @miurano_suke

但し、以前も述べたことがあるけれど、ここで言う「血縁(婚姻)関係」は従来の「縦横に張り巡らされた」ではなく、「伊達家との血縁(婚姻)関係(伊達家を通しての南奥諸侯同士の親戚関係を含む)」です。

2020-06-03 18:26:02
三浦介 @miurano_suke

そこで注目したいのが武水しぎのさん(@takemi_sigino )のこの見解(twitter.com/takemi_sigino/…)。 全員が「正室所生」とされたことによって、それらの嫁入り先や入嗣先の南奥諸侯の間で「平等意識」が促進されたのでは…。 twitter.com/miurano_suke/s…

2020-06-03 18:28:10
武水しぎの @takemi_sigino

晴宗の子は全員、久保姫所生ということになってるけれど、没年齢から逆算すると非現実的。 けれども、「久保姫所生の子という立場」が縁組に大事だったことは想像に難くないし、そういうことにするのがむしろ当然だったことも想像に難くない。

2017-06-27 01:02:37
三浦介 @miurano_suke

そしてそうなると、武水しぎのさんはこう(twitter.com/takemi_sigino/…)仰ってて、稙宗の代との比較ではその通りと思うのだけど、より長いスパンで見た時には「伊達家の姻戚としての平等」、もっと大胆に言うと「伊達家の姻戚として、伊達家の下での平等」という意識を育むことに繋がったのではなかろうか

2020-06-03 18:30:58
武水しぎの @takemi_sigino

@miurano_suke 側室所生の娘を嫁に迎えてますので…… 伊達側から見ると同じ下舘所生の娘を室に迎えた懸田と同クラスという扱いでしょうか。 なので晴宗子女が全て「正室所生」の扱いを受けているところに、伊達側の勢力後退を感じます

2017-07-25 17:24:38
三浦介 @miurano_suke

そして実はこれが一番言いたかったのだが、前述のことはつまり裏返せば伊達家を南奥諸侯に優越する存在に高めることになり、後の政宗による南奥制覇にも大いに影響したんじゃないだろうか…なんて考えたりもする。 twitter.com/miurano_suke/s…

2020-06-03 18:31:50
三浦介 @miurano_suke

ともかく、何度か述べてるけど改めて、戦国期南奥の血縁(婚姻)関係について他地域と違う独特の状況があるとするならば、それは「多くの家が伊達家と姻戚になっている」ことなのではないか? 小林清治氏の時代の見解を前提にする前に、それ対して、もう一度精査する必要があるんではなかろうか…。

2020-06-03 18:32:51