ライトノベル作家・扇智史のつぶやき連作短編「ミッドウィンター・ログ」:エピソード5
- mizunotori
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あたしは即座に机に手を突っ込み、日記帳を取り出す。昨日の糸伊さんのページ、あの時は何もなかったけど、今はネットが繋がってるからタグが情報を呼び出してくれる――
2011-06-10 21:26:24ページの上に、ぽん、と飛び出したのは、立体地図。いつもの高架と、見覚えのあるビル。その周囲に広がるのは、廃墟と超高層建築、ゴシック調の尖塔と空中庭園――このクラフトスケープ、記憶にあるような――
2011-06-10 21:27:29「ここ!」空中の一点を指さすらっこ。スマホ越しに地図を見て、彼女は場所を察したらしい。一瞬のラグの後、人差し指の先っぽから、位置情報が呼び出された。それは見知った駅名で、しかしそれより有名な通称を、あたしも知っていた。「幽霊駅!」
2011-06-10 21:28:17ホロクズが降ったこともあってスクネットは不調で、今日は授業を抜け出すにもたいした手間はいらなかった――とはらっこの談。「ありがとね」「今日ばっかりは、ほっとけないし」「素直じゃないなあ」ヒメちゃんにからかわれ、らっこは赤面していた。いい子だなあ。
2011-06-11 20:38:59早足で駅に駆け込み、鞍条の一つ前で降りる。幽霊駅に電車は止まらないから、一駅分は徒歩で行くしかない。あたしたちにとってはちょっとしたランニング程度のものだけど、糸伊さんにはどうなんだろう……
2011-06-11 20:40:27「途中で行き倒れてたりしないかな」歩を進めるごとに風景は雑然としてくる。脇道を一つ一つのぞき込みながら、あたしはつぶやく。「その方が手っ取り早いよ、歩き回らなくて済む」らっこの判断はクールで、あたしの首根っこをつかんで大通りに引きずり戻すその手は力強い。
2011-06-11 20:42:00「でも……何か薄暗いね、この辺。昼間なのに」ヒメちゃんは不安げに言う。確かに、空き地や廃ビルもやたらに多く、屋上や窓枠のあちこちにホロ雪が積もっている。それは補修しきれないバグが大量に残っているってことで、何となく、見捨てられたような印象を受ける。
2011-06-11 20:43:11実際には、フェッチが多すぎたり人手が足りなかったりで、何もかも追いつかないんだろう。駅が使えなくなって客足が遠のけば、町はさびれていく。その現実にホロが追随したのが、この有様だ。足元を、ノイズまみれの猫が走り抜けていく。
2011-06-11 20:44:47「野々瀬さん、こんな場所じゃあ普通に歩けないんじゃないの?」「たぶん、近づかせてくれないと思う」らっこの疑念はもっともだ。彼女の持ってた地図では、鞍条あたりは立ち入り禁止になってるだろう。
2011-06-11 20:45:56その地点をあえて示したということは、もちろん病院の人には来て欲しくないってこと――あたしたち、あるいはあたし一人を、待ってくれているということ。だとしたら、どんなに危うい空間だって、進んでいくしかないだろう。
2011-06-11 20:46:56「小織、あんま焦らないで。また転ぶよ」はっとして振り向く。知らず知らず、だいぶ二人から先行してしまっていた。「ごめん」「ほんとに急いでるんだね、小織ちゃん。わたしたちより前に出るなんて、珍しい」早足で追いつきながら、ヒメちゃんがくすくすと笑う。
2011-06-11 20:48:14「そうかな……?」「そうだって」首をかしげるあたしの肩を叩き、らっこが前に立つ。二人と並んで歩き出しながら、「そっか、糸伊さんといる時は、あたしが前を歩いてるから」「……ふうん」らっこはうなずいて、あたしの前に出た。「そろそろ駅かしらね」
2011-06-11 20:49:32スマホを前に出し、らっこがつぶやく。高架線の先を見やると、薄汚れた駅舎と、その周囲でゆらゆらとたゆたうノイズ、そして時代がかったクラフトスケープがぼんやりと浮かび上がる。「近いね」「地図、どの辺だったっけ?」「駅のすぐそばだったと思うけど……」
2011-06-11 20:51:05思い出しながら、あたしは高い尖塔を見やる。ホロ世界にまだ活気があって、誰もが画面越しに風景を見ていたころは、ある瞬間の景色を保存して共有したり、ああした仮想上の建築を造り出すのが流行していた。そうして造成された構築風景――クラフトスケープの名残が、あれだ。
2011-06-11 20:52:24クラフトスケープは、美術の授業のカリキュラムにあるくらいでまだ死滅してはいないが、授業以外で油絵を描く人が一握りしかいないように、メジャーな趣味ではなくなり、飽きられた。そうして大半の仮想風景は消去されたはずなのだが、ここでは違ったらしい。
2011-06-11 20:53:47「近くで見るの、初めてだけど……壮観だね」駅に近づくにつれ、ホロでクラフトされた景色が増えてくる。ビルの外観がきれいに保守されて見えるのも、20世紀風の店構えも、ホロだ。駄菓子屋の古びたトタン屋根の質感はびっくりするほどリアルで、逆に物欲をそそる。
2011-06-11 20:55:02「ねえ、ちょっと見ていかない?」指さすあたしに、しかしらっこもヒメちゃんも醒めた視線を向ける。「そんなことしてる場合じゃないんじゃないかな……」「そうそう、元はといえばあんたのわがままなんだからね」「うう……」
2011-06-11 20:56:16「とはいえ、」らっこは辺りをじかに見回し、「闇雲に探すより、人に聞いた方が手っ取り早いかもね」「確かに、どっかで倒れて、どっかで看病されてるっていう可能性もあるか」ヒメちゃんも同意し、「ついでに温かい飲み物、買っていきましょ」カバンの中からカップを取りだす。
2011-06-11 20:57:45「最初っからそう言ってくれればいいのに! ありがと、二人とも」ぐっ、と親指を突き出し、あたしはお店のガラス戸を開けて飛び込む。
2011-06-11 20:58:58「いらっしゃい」店の奥にいたのは、初老の眼鏡をかけたおじさん。頭のホロがどう見てもかつらなのだが、そこは突っ込まない方がいいだろう。そもそも意味ないし。「こんにちは。あの、あたしたちと同じくらいの女の子、ここらに来ませんでした?」
2011-06-11 21:00:03こういう時は賄賂が欠かせない。店先の商品をちらほら物色、どれもタグ付きでカラフルな宣伝が目を射る。子どもの頃なら惹きつけられたが、さすがにそんな年じゃない。あたしはけばけばしい色の飴をおじさんに渡し、現金払い。
2011-06-11 21:01:09「女の子なあ、見かけないよ。あいつなら知ってるかもね」おじさんの指さした先は落書きまみれの壁。いや、よく見ると落書きの一つ、妙に出来の良い女の子の絵が動いた。平面ホロだ。「――面白いホロですね」らっこがスマホ越しに言う。
2011-06-11 21:02:12「あいつは、この辺を庭にしてるからね。聞いてみれば?」おじさんの軽口につき合うように、平面の女の子が壁から抜け出て歩いてくる。「喋るんですか?」「*****」らっこの質問に答えたのは女の子、いつぞやも聞いたような、フェッチ言語だ。
2011-06-11 21:03:27