- ttt_ceinture
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"承前)つまりその影響がイブン・アラビーの影響と合体して今日にまで及んでいるスフラワルディーの神智学が発展することになるのである。ここには、ひとがそれを勝利と判断しようが失敗と判断しようが、とにかくトマス主義と呼ばれるようなものは存在しない」"
2011-06-09 22:54:44"承前)(アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』岩波書店)) ……「不可能性」の領域が、一挙に街路へと落下し、天界と煉獄を連結する。「いい表せなぬものが存在することは確かである。それはおのずと現れ出る。それは神秘である。」"
2011-06-09 22:57:13『中島らも烈伝』と『バンド・オブ・ザ・ナイト』が読みたくなるレビューだなあ。そういえばりがーはすでに読んでいたのだったか。 http://d.hatena.ne.jp/hilune/20051206/p1
2011-06-06 23:14:07鈴木さんの『中島らも烈伝』を遠出して立ち寄った図書館から借りてきたが、初めて訪れた誰もいない喫煙室で読むことと似つかわしい本だった。部屋で続きを読んでいるが、同じように読めない。
2011-06-07 23:39:41死から数年が経過したころに、チャット部屋でらもの訃報が話題となり、ふと部屋に迷い込んだ人が、死去を知らなかった、昔世話になっていた、とぽつりぽつり語っていたこと、友人のこと、学生時代のこと、などを頁を風に泳がせるようにして思い出していた。
2011-06-07 23:43:32枕頭の書とは逆に、他処の書がある。人の部屋に転がりこんで酒を飲み音楽を聴きながら開く友達の本があった。たしか、丹生谷の本はそうやって知った。だから今でも我有化できなく感じるのかもしれない
2011-06-08 11:08:59らも烈伝は、鈴木さんの96年時点の丹生谷対談で語った「カオスに対してどんなふうに対峙するか」や「アルトーの「ヴァン・ゴッホは狂人ではなかった」をカオスのことと並べて考えないわけにはいかない」といった発言からすると、後退しているんじゃないだろうか……
2011-06-10 12:44:34"たとえば或る女の子が如何にも不当な事故で亡くなった時……[…]結局最後まで、その死に顔をみたときにすら、私はその子の固定したイメージを確定することができなかった(棺の中の顔というのは、死化粧のためか、不思議に抽象的だ。あれは誰の顔なのだろう……)" ―丹生谷貴志「墓標と忘却」
2011-06-10 21:33:27"通夜の夜と不眠、[…]他に話題のないままの、無意味な世間話[…]『恋愛のディスクール』の冒頭の言葉を思い出す。「この言葉は無数の人々が口にしている(誰が知ろう?)。けれども、それは誰によっても維持されてはいない。周囲の言語から完全に打ち捨てられた場所」……" ―同上
2011-06-10 21:37:36今日ふと考えていたのは、豊崎光一しかり(特に『リゾーム』)、丹生谷貴志しかり(特に『光の国あるいはvoyage en vain』)、紙面を引用のコラージュに仕立てるものは、どういう欲求によって駆動されていたのかということだった。
2011-06-11 01:44:08『エピステーメー』も特集号に応じて、たとえば「セザンヌについての各著者の文章」といったコラージュ集成があった。これには、一つには紹介作業ダイジェストの役割もあったのだろうが、異なる文脈の著者たちを衝突させる意欲からも生じていたのだろうし、そう考えるとbot作成の意欲とよく似ている
2011-06-11 01:46:01また、『リゾーム』が雑誌増刊として刊行されたこと、『光の国』が朝日出版社の単発で終わった叢書から出たことを考えると、いま思われているよりも雑誌媒体との親和性が高かったのではないかと思う。論文邦訳で誌面を作ることと引用編集はそう遠くもないのだろうし。
2011-06-11 01:48:12@yishioka 小説を書く動機に近かったんじゃないかと思うんですよ。『ヘルメスの音楽』や、浅田・丹生谷の後期バルトへの傾倒ともつながると思う
2011-06-11 01:49:19「引用の織物」はそれだけで趣味的にも好まれがちだったが、このような媒体操作の手法を、商売上取り入れられた形跡が見当たらないのではないか、と思う。これは著作権上の障害からなのか、著者の力量や名の壁が大きいからなのか、試みに限界があるからなのか、何に由来しているのだろう。
2011-06-11 02:22:35