(自称)日本唯一!那須戦争博物館行ってみた (2020/03/07)

栃木県北部にある那須町はいわゆる那須高原としてさまざまな観光地があることで有名です。しかし、そこを走る那須街道の途中には周りののどかな風景とは一転して異様な風景が目に入ります。道路脇にはためく日章旗と旭日旗、砂利の駐車場に入ると目に入る「戦争博物館」の文字。そんな異様な施設「那須戦争博物館」に行ってみました。
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那須戦争博物館とは

 私が所有している(6年前訪問した時にもらった)パンフレットによると、一個人が愛国の情熱で作った明治建軍より終戦までの陸海軍当時の品15000点を展示した日本唯一の戦争博物館とのことです。ただこの施設をインターネットで検索すると、「怪しい」「異様」「怖い」などの感想をちらほら見かけます。
 ここの館長である栗林白岳(秀行)氏は14歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願し、のちに関東軍の獣医生である上等兵の階級で終戦を迎え、3年に渡るシベリア抑留を経て帰国しました。その後、現在地である那須郡にて個人的に興味のあった軍の資料を集めているうちに博物館規模にまでなったという経緯があります。そんな栗林氏も昨年3月20日に永眠されました。直接お会いしたことはありませんが、毎年8月15日の終戦の日に靖国神社にて軍装姿の氏をお目にかけたことがあります。その時かの小野田寛郎少尉がいたことも覚えています。
 当館には前述の通り6年前に訪問したことがありますが、ただその時は「家族旅行で時間が余ったついでに寄ってみた」程度の理由であり、私自身もそれほどその類の分野に興味を持っていなかったこともあってかあまり深い鑑賞はしませんでした。6年後の現在になってからは、私もある程度の戦争や軍事に関する知識もかじる程度ですが心がけていますので、「あの時見に行った戦争博物館をもう一度見に行ったらどんな発見があるだろう」と思い、3月某日に東京からはるか170、180km離れた那須戦争博物館まで鈍行で行くことに至りました。

まず電車で2時間半乗ろう

 宇都宮線の宇都宮行きに乗り、終点の宇都宮駅まで行きましょう。約1時間半このままなので私はグリーン車(約800円)に乗りました。宇都宮駅で降りた後、となりのホームから4両編成の黒磯行きに乗ります。この電車も52分と長いのですが、全席オールロングシートなので疲れないよう注意してください。トイレはあるのでご安心を。終点の黒磯駅に到着しました。この時点で片道2640円です(グリーン車の料金除く)。西口から「那須湯本」行きのバスに乗りましょう。ただ問題として、このバスは1時間に1本程度なのと、交通系ICカードが使用できないのです。ですから予め黒磯駅の待合室でバスを待っている間に小銭を両替えしておくことを勧めます。

バスに乗ろう

 のどかな風景と林道が18分続きます。那珂川を渡るといかにも那須らしい高原の風景は乗っていて楽しくなります。止まるバス停ですが「守子坂」(もりこざか)で降りましょう。ちなみにバス料金ですが片道680円もかかります。高いですが文句は言わないようにしましょう。

魚交(さめ)喪中です @shark_ishi

黒磯駅-那須戦争博物館最寄りバス停まで 15分くらいこの光景が続きます。 pic.twitter.com/M2yUONl9ta

2020-03-14 13:07:52

関東自動車バス「守子坂」バス停から徒歩わずか1分!

那須戦争博物館

 入り口前の異様な風景は6年前も現在も変わりませんでした。入るには少々勇気がいるかもしれませんが、思い切って受付まで行きましょう。料金は1000円です。

事前に電話することをお勧めします

 長い時間をかけて行ってみたら閉館なんて悲しいことにはなりたくなかったので、前日に那須戦争博物館に電話をかけ、「明日お伺いしたいのですが開館しておりますか?」とお聞きしました。現在管理をしている奥様からは「開けておきますね~」と御親切にも開けていただけるとのお言葉を貰いました。これはもしかして電話をしなかったら開いていなかったのでは?(ちなみに那須戦争博物館のHPでは年中無休と書かれていますが、2月当分は冬季休業ですし、土日にしか開けていないとのことです。

なのでほぼ私のために開館して頂いたという訳です。
後になって家族連れなどが数人来ましたが

那須戦争博物館の展示品

 亡き栗林館長が生前に収集した戦争関連の品々が当博物館のメインで、野外展示品、屋内展示品の陸軍館、海軍館、日用品などの展示室で分かれていますが、その品々はあまりにも数が多く、中には本物か疑わしいもの明らかに偽物だと思うものなど怪しい展示物が多いのです。その展示品の数々をご紹介します。なお個人的な偏見や間違いなども含んでおりますのでご了承ください。

野外展示品

九七式中戦車「チハ」
 入り口すぐの場所にあります。これは実物ですが、塗装が日本軍のものとはまったく異なる色にべったりと塗られており、6年前に見た状態とあまりにもかけ離れていました。日本にある3両の現存車両のうちの1両ですので今後とも大切にしてもらいたいです。

魚交(さめ)喪中です @shark_ishi

那須戦争博物館レポ(1) 九七式中戦車「チハ」 主砲に九七式五糎七戦車砲(57mm)を搭載した旧砲塔タイプで、2005年に神奈川県三浦市の雨崎海岸にて発見された車輌です。以前訪れた時(7年前)はボロボロの錆色でしたが、現在はなんとも言えない塗装に塗られています。どうしてこうなった。 pic.twitter.com/ItX3BQ0cby

2020-03-07 13:29:08
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アメリカ製零戦のエンジン(?)
 『太平洋の各所で集めたパーツを組み合わせ完成した零戦』のエンジンとのことですが、たぶん民間機か自衛隊機の払い下げではないでしょうか。

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那須戦争博物館レポ(2) アメリカ製零戦エンジン チハの隣にあります。説明板によると「太平洋の各島で集めた零戦の部品を組み立て完成したもの」「米国防省払下げ」と書いてあります。怪しさ満点ですが、これ如きに慄いては当館の鑑賞はできません。カオスな展示品のオンパレードをお楽しみください。 pic.twitter.com/Z4MFtFKG9r

2020-03-07 13:38:22
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重慶にて製造された中国製ジープ
 ジープではありません。戦後にソ連にて製造されたGAZ-69自動車です。ちなみに6年前見た時は国民党のマークがフロントにありました。

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那須戦争博物館レポ(3) 重慶工場製ジープ 説明板には「中国軍が米国の援助を受けて製造した軍用ジープ」と書かれていますが、これはジープではなくGAZ-69というソ連の自動車で、第二次大戦にて使用されていたGAZ-67(こちらはジープを参考に開発)の後継車種として開発されました。つまり戦後製です。 pic.twitter.com/aRWMjIuDML

2020-03-07 13:55:21
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鵜来型海防艦「志賀」
 戦後、巡視船「こじま」として千葉県にて保存されていましたが、平成10年に地域住民の反対があったにも関わらず県が解体を強行しました。その際に解体された部品の数々(艦首、舵、指揮台など)がここに移設されています。

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那須戦争博物館レポ(4) 海防艦「志賀」艦首 「志賀」とは第二次大戦末期に建造された鵜来型海防艦の19番艦で、戦後海上保安庁の巡視船「こじま」となりました。退役後は千葉県にて公民館施設として保存されていましたが、平成10年に解体されてしまいました。これが実物なのか正直疑わしいですね... pic.twitter.com/S7IFBn28aT

2020-03-07 14:07:09
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魚交(さめ)喪中です @shark_ishi

陸軍省 海軍省 海防艦「志賀」舵 pic.twitter.com/7hePudrHYh

2020-03-14 22:55:24
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九八式臼砲「ム弾」
 日本陸軍の兵器のなかでも米軍を苦しめたと言われている重迫撃砲です。説明版にはロケット砲と書かれていますが、実際に噴射性能はありません。なおこれは実物かもしれないとのこと。

魚交(さめ)喪中です @shark_ishi

那須戦争博物館レポ(5) ロケット砲 九八式臼砲(通称「ム弾」)といいます。臼砲といっても一般的な砲身は無く、有翼の尾部を発射機に差し込み弾体そのものが射出するという仕組みです。なお噴射装置は無いので厳密にはロケット砲ではないとのこと。日本軍兵器のなかでもかなりの効果を発揮しました。 pic.twitter.com/BjVSgijled

2020-03-07 18:55:10
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戦闘機の主翼と胴体
 戦闘機と言っていますが、実際はT-34メンター初等練習機で自衛隊機の払い下げです。胴体に日の丸を描き直す必要はあったのでしょうか...

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