哲学院生のアライさんによる権利・社会契約・法の哲学話

哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter https://togetter.com/li/1416702 からの抜粋なのだ!
13
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑫【団体・成員の呼び方】 呼び方を列挙すると以下なのだ。 ⑴契約に基づく団体の公的な人格=政治体・共和国 ⑵設立される団体=国家 ⑶結合を構成する個人の集まり=主権者 ・その成員のうち  ⑷集合的には=人民  ⑸主権に参加する者=市民  ⑹法に従う存在=臣民

2020-03-28 14:52:48
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑬【人民主権】 ⑶によって、「人民主権」、⑶と⑹によって「治者と被治者の一致」、⑷⑸⑹で人民において「市民としての権利」と「臣民の義務」が一体であることが示されているのだ。呼び方を変えることで、同じ人たちが同じ人たちを制約する、人民主権が説明できるのだ。

2020-03-28 14:52:49
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑭【主権】 この「主権」とは「人民全体の意志である一般意志の行使」なのだ。この一般意志とは各人の私的な利益を目指す「特殊意志」やその合計である「全体意志」と異なり、人民に共通する利益、公共の福祉を目指す常に正しい政治体の意志なのだ。

2020-03-28 14:52:49
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑮【主権と法】 この一般意志は特定の誰かではなく、全体に関して取り決めをするのであり、その取り決めが「法」なのだ。社会契約においては、各人が自分たちの意志で自分たちに服従しているので、一部を特権化せず、市民に対し平等に権利・義務を与えることができているのだ。

2020-03-28 14:52:49
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑯【全体主義?】 よくルソーの社会契約説が「全体主義的だ」といった批判がされるけど、一般意志は個人を抑圧するのではなく、個人の自由な服従によって公共の幸福にかなう法、権利、義務が与えられるのだから、それは当てはまらないらしいのだ。

2020-03-28 14:52:50
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑰【代議制批判】 Rは⑴意志も主権も「他人」に譲渡できないし、⑵一般意志も主権も分割不可能であることから、「代議制」を批判しているのだ。譲渡も分割もできないなら、誰も主権を代表できないのだ。人民が主権者として行為できるのは全員が参加する「人民の集会」においてのみなのだ。 pic.twitter.com/k6OEB0VC2D

2020-03-28 14:52:50
拡大
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑱【立法権・執行権】 Rは「立法権」を「政治体の意志」、「執行権」を「政治体の力」と捉えて区別し、法の執行を担う執行権は個別的で特殊であるため、代表可能であると考えたのだ。そしてこの執行権の行使である「統治」や「行政」には民主政や君主政などいろいろな形態があるのだ。

2020-03-28 14:52:51
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑲【多様な統治】 つまり、立法権は一般意志の行使であるため、直接民主制に基づく「人民の集会」でないと機能しないけど、そこで決められた法の執行は個別具体的なことであるため、誰かに任せてもいいし、いろんな任せ方がありうるのだ。よってルソーは君主政を全面否定していたわけではないのだ。

2020-03-28 14:52:51
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑳【政府の暴走】 とはいえ政府が人々の権利を脅かすこともありうるのだ。これを防ぐ方法は、⑴行政官が公僕であることを自覚すること、⑵もしくは人民が行政官の任免、政府の変更の権限を持つことなのだ。そのために、面倒であっても人民の集会が定期的に開かれることが重要なのだ。

2020-03-28 14:52:52
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

㉑【有徳な市民】 もう一つ大事なのは、市民が怠惰で安楽を求めるのではなく、自分が果たすべき役目を自覚し、有徳であることも重要なのだ。忙しいからと言って人民の集会を無視するなら、それは権利・自由よりも利益を優先し、奴隷になりかかっていると言われても仕方ないのだ。 pic.twitter.com/xJj2vL0S7H

2020-03-28 14:52:52
拡大
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

㉒【ルソー批判】 またRはその他の書物でも権利や自由を謳っているのだ。ただし『エミール』には、女性差別的な記述に対する批判があるのだ。でもこれに対しては「男女はその共通性からすると平等であり、その差異からすると比較不可能である」といった趣旨の記述から再批判がされているのだ。

2020-03-28 14:52:52
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

㉓【ルソー批判2】 さらに『社会契約論』の「経済的・私的な権利や自由に対する冷淡さ」に対する批判があるのだ。たとえばコンスタンの、「Rは<古代人にとって重要な政治的な自由>と<近代人にとって重要な経済的な自由>の違いを理解できていない」、といった批判なのだ。

2020-03-28 14:52:53
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

㉔【再批判】 これに対して吉田氏は、⑴経済的な自由だけでも政治的な自由だけでもダメだけど、逆にそれがゆえにRが全面的に誤りだとも言えない、⑵権利を維持するための負担を負うことの重要性を説いていること自体は経済的な権利にも共通する重要な議論だ、といった論点から捕捉しているのだ。

2020-03-28 14:52:53
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

㉕【まとめ】 ルソーは自然状態の時点で「人間本性」が自由で平等であることを示し、社会契約説で「物理的な力」が権利の基礎にならないことを主張したのだ。ルソーによれば社会において自由と平等を確保するには、自然状態における権利の「全面譲渡」、代議制ではない「人民主権」が必要なのだ。

2020-03-28 15:00:43
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

哲学話㊳【ルソーの権利論とは?】を追加したのだ! 哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter togetter.com/li/1416702 @togetter_jpさんから

2020-03-29 10:01:24
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

哲学話㊱ ①【カントの世界市民権・訪問権とは何か】 #新型コロナウイルス で出入国制限などが生じてるけど、そもそも外国に訪問したり外国で歓迎されたりする権利が人にはあるのだ? カントの平和論や世界市民権、訪問権、国際連盟、世界共和国について扱った論文を紹介するのだ! pic.twitter.com/hiYxV5RAG1

2020-03-24 15:57:50
拡大
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

②【文献・目次】 菅沢龍文「世界平和と基本的人権,その指標としての「訪問権」 : カントによる世界市民権概念について」、『法政大学文学部紀要』(76)、13-31頁 hosei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_… ※無料 ④―⑧訪問権・交流権 ⑨―⑯国家・連盟・体制 <略称> カント=K 『永遠平和のために』=『平和論』

2020-03-24 15:57:50
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

『人倫の形而上学』前半(『法論』) 『たんなる理性の限界内の宗教』(『宗教論』) 『世界市民的見地における普遍史の構想』(『普遍史』) 『人倫の形而上学の基礎づけ』(『基礎』) 『実践理性批判』(『実理』) 『理論では正しいかも知れないが,実践においては誤りであるという俗説について』(『俗説』)

2020-03-24 15:57:51
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

③【問題提起】 カントの挙げる世界市民権と言えば「訪問権」なのだけど、これが世界市民法に属すのか、国際法に属すのか、交易を含めた「交流の権利」を意味するのか、などに関しては研究者の間に意見の相違があるのだ。また世界市民権は「世界市民社会の体制」と共に考えないと理解できないのだ。

2020-03-24 15:57:51
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

④【訪問権】 Kは『平和論』で ⑴相手を家族のようにもてなす「客人の権利」は「二人」の間の契約に基づく ⑵地表を共同で占有する権利に基づく「訪問権」は物に関する権利を可能にする「万人」の契約に基づく と考えたのだ。人が物を占有できるのは、誰かが占有できるという契約があったからなのだ。 pic.twitter.com/KniCReD0e2

2020-03-24 15:57:52
拡大
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑤【訪問権2】 『法論』では、この地球の表面の共同占有権(総体的占有)に関しては、 ⑴実際に取得するとなると、「時間的条件」に基づく移り変わるものになる ⑵でも、取得を支える根源的な「権原」は空間的条件に基づく、移り変わらない「理念」 なのだ。 pic.twitter.com/h0GE9Nryz3

2020-03-24 15:57:52
拡大
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑥【交流の権利】 『法論』ではさらに、この土地を共同占有する根源的「共有態」と「交流」を区別し、この交流の権利が世界市民権だと書いてあるのだ。でも『平和論』では「共有態」に基づく訪問権が世界市民権だとされていたのだ。

2020-03-24 15:57:53
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑦【交流の権利2】 実は『法論』では「諸国民」、『平和論』では「人」(万人)が主語となっていたのだ。そして『平和論』の訪問権は訪問したら敵扱いされない権利であって交流の権利とは異なるのだ。つまり、同じ世界市民権の中で、「諸国民の交流の権利」と「万人の訪問権」は区別されているのだ。

2020-03-24 15:57:53
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑧【交流の権利3】 また、この交流の権利とは商業的な物流のことを指しているのだ。さらにバードやルシュカは『法論』と『平和論』は立場が変わっていると考えているけど、『法論』の中でも、私法に位置する諸国民の法・権利と、万人のもつ訪問権は区別されているので、それは誤りなのだ。

2020-03-24 15:57:54
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑨【世界市民体制】 『法論』では、「他人に対して汝を単なる手段とすることなく、彼らにとって同時に目的でもあれ」という定言命法の裏返しが述べられるのだ。外国でもこうした「人間性の権利」を主張するものが「訪問権」なのだけど、この訪問権は「世界市民体制」があってはじめて保障されるのだ。

2020-03-24 15:57:54
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ