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【明治期の日本海軍と英国兵器産業】

19世紀末、パクス・ブリタニカを維持すべく大規模な海軍拡張に踏み切った英国は、従来の海軍工廠に加えて、民間造船所の大規模な育成・活用に踏み切ります。 それらの新興軍需企業は、成長の途上で新生日本海軍の建設に深く関わり、日本海海戦の勝利に大きく貢献しました。 英独建艦競争を描く続編はこちらhttps://togetter.com/li/1505168
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HIROKI HONJO @sdkfz01

「英国は日本の海軍を建設していたのだ。エルズウィック造船所で建造された四隻の軍艦のために海軍省選り抜きの大佐を四人も派遣しており、イギリス海軍の艦船と同等の良好な状態に保つため同じく英国人の技師たちを送り込んでいる。ロシアが戦争に敗れたのも不思議ではない」

2020-03-21 17:22:27
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ここで、何隻かの軍艦をご紹介しましょう。 まずは戦艦八島。清国の定遠級装甲艦に対抗すべく建造されましたが、就役は日清戦争後となり、日露戦争中の旅順港閉塞作戦で機雷により沈没しています。 同艦は姉妹艦富士と共に日本が手にした初の前弩級戦艦でした。 pic.twitter.com/MMNPPy5ceg

2020-03-21 17:23:08
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そして、アームストロング社にとっても、記念すべき1隻目の弩級戦艦だったのです。 設計技師は後にドレッドノート級やクイーン・エリザベス級を手掛けるフィリップ・ワッツ。 pic.twitter.com/adAPbU10So

2020-03-21 17:23:51
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彼はロイヤル・ソヴリン級をベースにしつつ、幾つかの最新技術を大胆に盛り込みます。アームストロング40口径30センチ砲や、装甲で覆われた主砲塔は、英国海軍に先行して採用されたものでした。 pic.twitter.com/kFUAzK7yV1

2020-03-21 17:24:36
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なお、ワッツは、「ローヤルネイビーの覇権が揺らいでるときに、軍艦を他国に輸出するなんていかんでしょ」という批判に対し、「外国から金もらって巨大な造艦能力を獲得・維持できるんだからエエやんけ」と応えています。

2020-03-21 17:25:07
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続いて、装甲巡洋艦出雲。フィリップ・ワッツの設計によりアームストロング社エルズウィック造船所で建造され、日露戦争で奮戦します。 本艦の新機軸は45口径20センチアームストロング砲と、クルップ浸炭鋼(装甲)でした。 pic.twitter.com/jn0ULfAwrl

2020-03-21 17:25:58
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そして、お馴染み敷島級4番艦、戦艦三笠。 敷島級は当時世界最優秀の戦艦で、1万5千トンの巨躯に40口径30センチ砲を搭載しています。 同時期の英国の戦艦カノーパス級はやや小さい1万4千トン、主砲は35口径30センチ砲。これに危惧を抱いた英国は敷島級に匹敵するフォーミタブル級を建造しています。 pic.twitter.com/NmtkpgYQjy

2020-03-21 17:26:41
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三笠は、ビッカースのバロー・イン・ファネスで建造されましたが、これは同社が手掛けた前弩級戦艦としては2隻目に当たります。 他の敷島級に比し、主砲の発射速度と防御能力の向上が図られており、英国海軍から羨望の声が上がったと伝えられます。 pic.twitter.com/12b6sSoV0N

2020-03-21 17:28:08
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このように、英国の民間造船所が建造した軍艦は最新鋭かつ最優秀のものでした。 日本政府とビッカースの契約には「すべての点においてイギリス海軍のこれと対応する最良の艦と同等となるよう建造され、装備され、艤装されなければならない」と記されていたのです。

2020-03-21 17:28:45
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尤も、英国側にもしたたかな計算がありました。 新しい装備をまず輸出用軍艦に採用し、効果を確かめてから、有益なものだけを自国の軍艦に採用しようとしていたのです。 従って、英国の技術や設計思想に欠陥があれば、日本は大きな損失を蒙ったことでしょう。

2020-03-21 17:29:19
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しかしながら、結果的に英国製軍艦は当時としては非常に優れたものであり、日本海海戦での勝利に大きく貢献したのです。 これは同時に、英国民間造船所の勝利でもありました。 ビッカースの造船所があるバロー・イン・ファネスには「ミカサ通り」があるそうです。 pic.twitter.com/szDCkqsqAE

2020-03-21 17:30:04
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この後、アームストロングとビッカースは英国海軍から弩級戦艦や超弩級戦艦の受注に成功し、ますます発展していくことになります。 写真はベレロフォン級弩級戦艦シュパーブ。アームストロング社が建造。 pic.twitter.com/anMugknj0b

2020-03-21 17:31:08
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日本海軍と英国軍需産業の友好関係は、1910年代、日本初の超弩級艦・金剛級巡洋戦艦の建造で一つの頂点を迎えます。 ビッカースは1番艦金剛を建造しましたが、この際日本人技師と工員を多数受け入れ、様々な技術を提供したのでした。 pic.twitter.com/qKMUaZ6T86

2020-03-21 17:31:57
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3隻の姉妹艦は日本で建造されましたが、榛名は神戸長崎造船所、霧島は三菱長崎造船所で建造されています。 これは、英国の方式を取り入れようとする日本側の試みでした。 ここに日本の官民造船所は超弩級艦を建造するノウハウを手に入れたのです。 pic.twitter.com/KTXL9hvKhV

2020-03-21 17:32:42
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日本は1910年代半ばに技術的自立を果たし、海軍と民間造船所の結合によって生じた軍産複合体は、平賀譲のイニシアチブのもとに発展していくでしょう。 pic.twitter.com/1vrSdcHq9e

2020-03-21 17:33:28
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日本が主力艦を国産化できるようになった後も、英国の軍需企業は日本海軍と友好関係を保ちました。 一例として、アームストロングとビッカースは日本製鋼所の株式の半分を保有し、積極的な技術支援を続けたのです。(多分、1920年頃まで) 写真は日本製鋼所室蘭工場。 pic.twitter.com/SE2GTipv9l

2020-03-21 17:34:19
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日本が軍艦輸入市場から去った後、英国の軍需企業は南米やトルコを新たな取引先とします。戦艦エジンコートの数奇な運命は、こうした時代背景を体現するものなのです。 しかし世界恐慌以降、軍艦の取引量は激減し、WW2後は英国の海軍と造船業は急速に縮小。昔日の栄華は過去のものとなったのでした。 pic.twitter.com/nhpd8IW1j9

2020-03-21 17:36:15
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以上、あいかわらずのヤッツケ仕事ですが、英国の軍需産業と日本海軍の結びつきについてまとめてみました。 たぶん間違いもあるので、話半分で読んで頂けたら幸いです。

2020-03-21 17:36:53
HIROKI HONJO @sdkfz01

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2020-03-21 20:54:18