(2020/06/29完成)日本語で学ぶアメリカ史 第一章:新世界 (教材:Joseph L. Locke and Ben Wright, eds., "The American Yawp," 2018)

教科書を変更して最初の講義です。教科書をひたすら翻訳します。 2020/06/20 第三節まで公開。 2020/06/29 完全公開。
3
前へ 1 ・・ 5 6 次へ
Mr. HB @USHist_English

・エルナン・コルテスは34歳の野心溢れるスペイン人で、キューバ征服で豊かになり、1519年にはメキシコ侵攻を組織した。600人の部下、馬、大砲と共に航海したコルテスはメキシコの海岸に到達。先住民通訳のドーニャ・マリナを頼りに(メキシコ民衆は彼女をラ・マリンチェ[訳注:malinchista

2020-06-29 20:24:08
Mr. HB @USHist_English

「外国勢力に味方する」に由来か]と非難している)、コルテスは征服の準備で情報と味方を集めた。計略、暴虐、そして深刻な政治分裂の利用を通じて、彼は数千人もの先住民の味方から支援され、スペイン人競争相手を打ち負かし、テノチティトランに進軍した。

2020-06-29 20:24:21
Mr. HB @USHist_English

・説得と、恐らくアステカ族の中にはコルテスをケツァルコアトル神と思った者もいたため、スペイン人は平和的にテノチティトランに入った。コルテスは帝王モンテズマを捕らえ、アステカの金銀貯蔵庫と鉱山ネットワークの掌握権を得るため彼を利用した。結果的にアステカ族は反乱を起こした。

2020-06-29 20:25:43
Mr. HB @USHist_English

モンテズマは裏切り者扱いされ、反乱者は街に火をつけた。モンテズマはコルテスの部下の3分の1と共に殺された。この出来事を「悲しみの夜(la noche triste)と言う。スペイン人は多数の地元反乱民を押し退け運河を渡りテノチティトランを脱出すると軍を再結成し、より多くの先住民を味方につけ、

2020-06-29 20:26:41
Mr. HB @USHist_English

スペイン人増援を捕らえ、1521年にはテノチティトランを包囲した。85日に渡る包囲戦は食料と新鮮な水を枯渇させた。しかも天然痘が街に吹き荒れた。あるスペイン人曰く、それは「大いなる破壊として人々を襲った。身体中が疱瘡に覆われた。顔、頭、胸などだ。凄まじい荒廃もあり、大勢死んだ…

2020-06-29 20:27:00
Mr. HB @USHist_English

動けないし、目を向けることもできなかった。」コルテスや部下のスペイン人、それに味方の先住民はテノチティトランを略奪した。寺院も略奪され、1万5千人が落命した。2年にわたる戦いの末、百万人の帝国は疫病、政治対立、千人のヨーロッパ人征服者によって転覆されたのだった。

2020-06-29 20:27:21
Mr. HB @USHist_English

・さらに南へ、南アメリカのアンデス山脈に沿って進むと、ケチュア族、又の名をインカ族、が広大な山脈帝国を運営していた。アンデス高地にある首都クスコから、征服と交渉を通じて、インカ族族は現在のエクアドルからチリ中部及びアルゼンチンに至る、

2020-06-29 20:28:07
Mr. HB @USHist_English

南アメリカ大陸の西半分に広がる帝国を打ち建てた。彼らは山の側面に段丘を切り開き、肥沃な土壌で農業をした。そうして1400年代までに千マイルに及ぶ、恐らく1200万人もの人々を結びつけたアンデスの道を管理した。だがアステカと同様、インカ族と被征服民の間に生じた動揺は緊張関係をもたらし、

2020-06-29 20:28:54
Mr. HB @USHist_English

インカ帝国は侵略者に弱くなっていた。天然痘が1525年、スペインの侵略前からインカ帝国を直撃した。伝染病は人々の命を荒らし回し、人口は半減、帝王ワイナ(Huayna)・カパックとその家族の大半も病死した。後継者争いは激しい戦争になった。コルテスのメキシコ征服に刺激を受け、

2020-06-29 20:29:34
Mr. HB @USHist_English

フランシスコ・ピサロは南に進むと混沌に引き裂かれた帝国を発見した。168人の部下を引き連れた彼はインカ帝国の指導者を騙し、帝国の支配圏を握ると首都クスコを1533年に確保した。疫病、征服、奴隷制がインカ帝国の残骸を吹き飛ばしてしまった。

2020-06-29 20:29:49
Mr. HB @USHist_English

・メキシコとペルーを征服して、スペインは新しい帝国を樹立した。広大な行政体ヒエラルキーによって支配された。王室から任命された者が広大な領地とインディアン労働者を監督し、役人が金銀の採掘を統制し、またガレオン船で太平洋を渡り金銀を輸送するのを管理した。

2020-06-29 20:30:54
Mr. HB @USHist_English

一方、スペインから移住者が新世界に押し寄せた。16世紀だけで22万5千人が移住し、3世紀に及ぶスペイン植民地支配全体で75万人が移り住んだ。スペイン人移住者は多くの場合若い独身男性で、土地、富、社会的上昇と様々なものを求めてやって来た。

2020-06-29 20:31:28
Mr. HB @USHist_English

労働者、職人、兵士、事務員(clerks)、聖職者が大勢太平洋を渡った。だがインディアンは常にスペイン人より数が多かったので、スペイン人は必要にかられて、あるいは意図して彼らを植民地の暮らしに取り込んだ。しかし、この取り込みは平等を意味しなかった。

2020-06-29 20:31:42
Mr. HB @USHist_English

・精緻な人種階層が新世界におけるスペイン社会の特徴だった。中世の慣行を起源とするが制度化されたのは1600年代半ばの血統制(Sistema de Castas)が人々を、「純血性」とされるものによって様々な人種集団へと編成した。スペイン植民地社会では精密な階層群が社会的・政治的上昇の必須条件だった。

2020-06-29 20:32:18
Mr. HB @USHist_English

イベリア半島人(Peninsulares)が政府の最高レベルを独占し、最大の地所を誇った。その子孫である新世界生まれのスペイン人はクリオーリョ(criollos)と呼ばれ、次に高位の地位を占め、イベリア半島人に富と機会の点で匹敵した。

2020-06-29 20:32:34
Mr. HB @USHist_English

後に続いたのがメスティーソ(mestizos)で、スペイン人とインディアンが混淆した人を指した。

2020-06-29 20:32:50
Mr. HB @USHist_English

・後の北アメリカにおけるフランスのように、スペインは人種間婚姻を許容し、時に支持さえした。単にスペイン人女性が新世界に少なすぎて、純スペイン人を保つ自然成長率を維持できなかったのだ。カトリック教会は人種間婚姻を庶子問題や強姦への倫理的防波堤として擁護した。

2020-06-29 20:33:38
Mr. HB @USHist_English

1600年までにメスティーソは植民地人口の大部分を構成した。1700年代初頭までに、全体の3分の1よりも多くの婚姻がスペインとインディアンの溝を埋めた。イベリア半島人とクリオーリョから富と影響力によって切り離されたメスティーソは、典型的にはスペイン新世界社会の中間的地位を占めた。

2020-06-29 20:33:55
Mr. HB @USHist_English

彼らは完全にはインディオではなかったが、純血(limpieza de sangre)ではなかったので純血のスペイン人から外された。十分な富と影響力のあるスペイン人の父はメスティーソの子を人種偏見から守った可能性があるし、

2020-06-29 20:34:13
Mr. HB @USHist_English

裕福なメスティーソの中には家系を「白くする」ためにスペイン人と結婚した者もいたが、彼らはスペイン新世界の中間的地位に閉じ込められる方が多かった。奴隷とインディアンは社会の梯子の最下層を占めた。

2020-06-29 20:34:23
Mr. HB @USHist_English

・多くの人々が血統制を、自身と子供のために利益を得るよう巧みに利用した。例えばメスティーソの母親はメスティーソの娘を実はカスティーサ(castizas)、すなわちインディアンのクォーターだと主張し得た。

2020-06-29 20:35:35
Mr. HB @USHist_English

もしその娘がスペイン人と結婚すれば、法律上は「純粋な」クリオーリョの子供を産むことになり、その子はスペイン人と同じ完全な権利と機会を得られるのだ。だが「通り抜け」(passing, [訳注:生まれによって規定される人種と実際の肌の色から判別される人種が異なっている者が、

2020-06-29 20:35:58
Mr. HB @USHist_English

その肌の色によって人種の壁を通り抜けること])はごく僅かの者だけの選択肢だった。スペイン新世界帝国の大多数の先住民は文化・人種混淆(mestizaje)を、英領北アメリカを凌駕するレベルで行なった。西領北アメリカは完全にスペインでも完全にインディアンでもないハイブリッド文化を形成した。

2020-06-29 20:36:32
Mr. HB @USHist_English

スペインはテノチティトランの上にメキシコシティを建てただけでなく、食事、言語、家族も原住民の基盤を元に作り上げた。1531年、フアン・ディエゴという貧しいインディアンが語るには、彼の元に聖母マリアが訪れたのだが、マリアは肌黒くナワ語を話すインディアンだった。

2020-06-29 20:36:48
Mr. HB @USHist_English

メキシコ中に奇跡の話が飛び交い、グアダルーペの聖母(Virgen de Guadalupe)が新たなるメスティーソ社会の国民的アイコンになった。

2020-06-29 20:36:57
前へ 1 ・・ 5 6 次へ