小林和幸編『明治史研究の最前線』読書メモ

2020/06/23 コラム13まで読破
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American History Student in Japan @hollywood20204

歴史学の思想史では人物研究が衰えた一方、政治史では逆に人物研究が興隆。桂太郎の「立憲主義」、谷干城の愛民主義・平和主義、大隈重信の「文明運動論」・「東西文明の調和」論など、新しい切り口が次々出ている。この動向に思想史はどう答えるべきかが今後の課題で、思想史と政治史の接点を探ると。

2020-06-05 20:30:24
American History Student in Japan @hollywood20204

政治史と思想史の接点の一例に福沢と大隈の関係があり、一般に結託していたとされるが実は福沢は大隈を欺いており、時に小賢しい妨害すらしていた。こうした「政治家」的側面を政治史的に明らかにし、それを人物の思想解明に役立てることは出来ないかと提案。この点については政党研究も有力とのこと。

2020-06-05 20:35:50
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グローバルヒストリーについては、かつての西洋思想基準の自明性に対する反省から東アジア史的文脈が注目。明治中期国粋主義とアジア史といった研究がある。90年代の国民国家批判から発展し、ナショナリズム自体の多様性と、それら相互の関連や対抗関係が明らかにされつつある。

2020-06-05 20:40:52
American History Student in Japan @hollywood20204

第三章はここまでにしますが、史学史というより歴史学研究方法論の章でしたね。歴史学の思想史はそこで悩み抜いてきたということでしょう。レファレンスを兼ねた史学史として読むのは厳しいですが、日本近代史方法論の背景にある問題意識が少し見えたのは有益でした。

2020-06-05 20:47:19
American History Student in Japan @hollywood20204

コラム9の明治「保守」思想で、若き日の丸山眞男が陸羯南の「保守」性を「節操」と「一貫性」から高く評価した話が出てました。丸山は保守派にも目配りしていたようですね。

2020-06-09 22:07:51
American History Student in Japan @hollywood20204

コラム10は天皇制研究。戦前の天皇像が一面的なのは認めつつ、ある程度の事実・根拠を踏まえてはいるとし、この天皇像を形成した証言を無価値と一蹴せず、整理・検討していくべきとする。

2020-06-09 22:13:54
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天皇研究の興隆はやはり平成を待たねばならず、平成になって初めて史料公開が大きく進んだとの由。党派的天皇論争に囚われない実証研究が進んだ要因とする。一方、天皇研究では、天皇が時代毎に「演出」され作られることを念頭に置くべきと主張。どのような立場であれまずこの現実自体は認識すべきと。

2020-06-09 22:19:35
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コラム11は明治知識人。マルクス主義、ポスト構造主義、近代化論、ポスコロ、フェミニズムへの敵愾心を感じさせる記述ですが、一方でジェンダー研究から出た思想史研究を「ジェンダー研究のカテゴリーに押し込」んでいることも批判し、上記の「主義」が提起する問題そのものから逃げているとも言及。

2020-06-09 22:32:09
American History Student in Japan @hollywood20204

第四章は初期議会。従来は明治憲法の絶対主義的文面と強大な行政権が強調されたが、現実の政治展開を見ていないと批判。超然主義の変遷、自由党の変質の原因、伊藤博文の政党結成による内閣運営など、当然に問われるべき事柄が捨象されてきたという。

2020-06-10 00:33:42
American History Student in Japan @hollywood20204

転換点が坂野潤治『明治憲法体制の確立』(1971)で、超然主義の藩閥政府と政党が接近した答えを提示。政府と政党が互いに単独で目標を達成できないので接近したとする。政府は更に譲歩する形で自由党を政権入りされるが、反発者が「山県閥」を形成。古い通史の問いに実証的な解を与え、研究水準が向上。

2020-06-15 19:54:52
American History Student in Japan @hollywood20204

坂野の乗り越えが課題となり、伊藤之雄は『立憲国家の確立と伊藤博文』(1999年)を出す。坂野は「積極主義」(地方利益誘導)が政党への妥協案としたが、伊藤は地方利益の要求は強くなかったと批判。妥協成立については自由党の強化、指導部の権力集中に原因を求める。伊藤博文ら藩閥官僚改革派と妥協。

2020-06-15 20:01:29
American History Student in Japan @hollywood20204

近年は坂野説と坂野説批判をベースに多様な議論が展開、様々な研究が紹介。例えば村瀬信一『明治立憲制と内閣』は明治立憲政治体制を支える内閣の制度化を扱う。その中で連帯責任的総辞職の定着過程が描かれているそうです。

2020-06-15 20:09:13
American History Student in Japan @hollywood20204

ただ、近年の記述は正直あまり整理されていないというか、事例紹介以上の流れを提示できていません。穿った見方をすれば「個別実証に留まり大きな流れがここ20年生まれていない」とも読めます。坂野があまりに巨人過ぎたのかもしれません。さながらアメリカ南部史のウッドワードでしょうか。

2020-06-16 19:03:39
American History Student in Japan @hollywood20204

コラム12は日本の主権論。主権は多義的で論争的な概念だが、日本では一般に天皇主権・国民主権の二分法で把握されがち。これは憲法制定権力論と親和的な主権論とする。一方、井上毅を源流として佐々木惣一は主権者を拘束する理性主権の可能性を明治憲法に見出したという(嘉戸一将『主権論史』2019年)。

2020-06-16 20:53:33
American History Student in Japan @hollywood20204

コラム13は政党研究。坂野は政党を扱うもののあくまで政局史のアクターであり、政党自体の実像が対象ではない。この政党自体の研究なしに1920年代の政党政治の開花は理解できないとする。特に運動体(=選挙)、政権構成主体、代議士の専門性が政党研究の論点にすべき事柄という。

2020-06-16 21:06:11