戦国期会津蘆名家の家臣、佐瀬家について

まとめました。
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三浦介 @miurano_suke

戦国期の会津蘆名家家臣、佐瀬一族について。 天文元年の田地売券に「佐瀬大学助」、天文4年の寄進状に「佐瀬大隅守常教」の署名有り(それぞれ『福島県の古代・中世文書』126-76、77)。

2020-01-26 23:27:06
三浦介 @miurano_suke

この2通の文書は中2年しか空いてないこと、どちらも佐瀬が実成寺の「周防』なる人物を指南していることから、「佐瀬大隅守」は「佐瀬大学助」が名乗りを変えた姿で、どちらも同じ「佐瀬常教」のことだろう。

2020-01-26 23:27:51
三浦介 @miurano_suke

また天文9年の諏訪神社の棟札には「佐瀬大和守種常」と並んで「佐瀬信濃守常和」の名前がある。 以上のことから、佐瀬家も天文年間の段階で既に少なくとも3系統に分かれていたのがわかる。 所謂四天宿老家は、やはり各々広く枝分かれしていたようだな。

2020-01-26 23:28:52
三浦介 @miurano_suke

これらからは佐瀬家の通字が「常」だったことがわかる。 そして「大和守種常」のみがその通字を下の字に持つことから、この大和守家が一段上の家格だったと考えられるのではないかな? ということでやはり所謂「四天の宿老」としては佐瀬大和守家を当てるのが正解だろう。 twitter.com/miurano_suke/s…

2020-07-15 20:06:19
三浦介 @miurano_suke

そして種常の後継者と思しき「大和守常藤」は通字を上に戴いていることからすると、一族からの養子だったのかもしれない。 twitter.com/miurano_suke/s…

2020-07-15 20:17:17
三浦介 @miurano_suke

佐瀬中務→大和守 佐瀬大学→大隅守 佐瀬伯耆守 佐瀬源兵衛 佐瀬外記 佐瀬平七郎 (佐瀬河内守) (佐瀬伝兵衛) (佐瀬伝七郎) (佐瀬玄蕃) ( )囲みは一次史料には見えない名前。

2020-01-15 11:56:15
三浦介 @miurano_suke

伝兵衛や伝七郎はそれぞれ源兵衛や平七郎から作られた架空の人かも。 twitter.com/miurano_suke/s…

2020-01-15 12:10:05

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