女神の庭の殺人ゲーム1(#えるどれ)

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帽子男 @alkali_acid

六本指の手が二つ伸びて、なおあどけなさの残る頬を左右から挟み込む。 「ウィスト。あんたさんは立派に普通でしたぜ。手前が無理難題を押し付けたのにちゃあんとやってのけた」 「できてない…気がする…ぜんぜん」 「いやいや。うちの歴代のご先祖様と比べりゃあ見事なもんで」

2020-08-19 22:40:42
帽子男 @alkali_acid

「え…そっちと…比べても…あんまり…意味ない…気がする…」 「そりゃまそうだ。実を言や、あんたさんは普通の人間として生きてた方が苦労がねえと思ったんだが。手前の見込み違いで。へえ。これからは普通をそんなに頑張らねえで結構で。何事も無理はかえっていけねえや」 「うん…はい…」

2020-08-19 22:43:18
帽子男 @alkali_acid

ウィストは父の六本指の手をそっと支え持って頬に押し当てながら快さそうに瞼を閉ざす。 「木の園丁…ちゃんと…やるね…」 「ありがてえや」 「そうしたら…会える?お父さんに…夢じゃなくても」 「ウィストに助けてもらや何とか」 「うん。頑張る」

2020-08-19 22:46:06
帽子男 @alkali_acid

「そいじゃ。あとのことはご先祖と」 「あ…うん…ねえ…教えて…どうして男の先祖しかいないの?」 「ああそりゃ」 夢はゆっくりとゆらぎ切り替わる。

2020-08-19 22:48:09
帽子男 @alkali_acid

黒の乗り手、ウィストは薬草の庭にいた。蔦に灌木に苔に叢に、さまざまな植生が一見雑多に、その実巧妙に配置され、間には本棚そっくりの木が何本も生え、仕切りの中にはぎっしり冊子や巻物になった典籍が並べてある。 黒犬とも狼ともつかぬ大きな獣が、小径を闊歩している。 「…ウィスト」

2020-08-19 22:51:42
帽子男 @alkali_acid

庭の主らしき黒犬は口を利くと、ゆるやかな動きで、しかし非常な速さで少年のそばに巨躯を寄せた。 「よく僕の夢の庭へ。無事だったんだね」 「…アケノホシ?」 「そうだ。僕だ。黒の乗り手の眷属たる黒き獣の一匹、黒犬アケノホシだ」

2020-08-19 22:53:26
帽子男 @alkali_acid

獣はぐいぐい重みをかけ、やがて芝生に男児を押し倒すと、のしかかってじゃれついた。 「わぷ…どうして…アケノホシが…?」 「君は今、僕の夢の中に入り込んでいる。魔法の力でね」 「魔法!」 「夢想術という。かつて妖精の恋人達はこの術を用い、夢の小路と呼ばれる場所で逢瀬を重ねたという」

2020-08-19 22:56:14
帽子男 @alkali_acid

獣は淡々と解説する合間に、べろべろと少年の可憐な容貌といいもろげに細い首といい舐めまくり、襟から鼻をつっこんだかと思えば今度は裾に噛みついてはぐり、へそから薄い胸の間まで濡れた鼻をこすりつけ、舌でくすぐりつつ、ちぎれるほど尻尾を振った。 やがて、飛び退ると一声吠えて、駆け回る。

2020-08-19 22:59:02
帽子男 @alkali_acid

「あの…アケノ…ホシ?」 ウィストがあらためて呼び掛けると、犬はきりっとした表情に戻る。 「失礼。僕はいたって冷静だ。ただ、このところ君を守れない状況が続き…まるであの子を失いかけた時みたいでね。でも君は自力で戻って来た。優れた魔法の力で。ウィスト。とにかく良かった」

2020-08-19 23:01:20
帽子男 @alkali_acid

こらえきれず耳を伏せたり立てたり、尾をまた高速で振りながら、できる限り威厳を保ってアケノホシは語る。 男児はあいまいに頷いた。 「うん…あの…夢想術…どうやってるのか…解らないけど…」 「あとで詳しく教えよう。最も確実なのは使い魔を媒介とする方法で、胡蝶や鉢植を贈る手法をとる…」

2020-08-19 23:11:40
帽子男 @alkali_acid

「使い魔…」 「僕は君の、いわば使い魔だから、どのみちつながっている。だが我々の距離は現(うつつ)ではかなり離れているはずだ。そうそう幾度も夢で逢うのは難しいだろう。今いる場所を教えてくれれば迎えを送ろう」 「今いる場所…えっと…思い出せない」

2020-08-19 23:13:19
帽子男 @alkali_acid

「おっとそうだった。なれない術師が夢の中で無理に現の居場所を思い出そうとすると、眠りから覚めてしまいかねない。だったら別の方法だ」 黒犬は倒れたままの少年の額に額を押し付ける。 「…少し君の心象を僕に分けてくれ。今は微睡んでいる現の記憶もわずかばかり」 「はぇ…はぇ…」

2020-08-19 23:15:52
帽子男 @alkali_acid

アケノホシはウィストとしばし頭同士を触れ合わせたあと、やっと離れた。 「ありがとう…これで目覚めれば、君の居場所を僕も思い出すだろう。あとは最も信頼できる黒き獣を送る。安心して待っていてくれ」

2020-08-19 23:17:09
帽子男 @alkali_acid

「あの…はぇ」 「ほかに何かあれば、目覚めるまでの時間。できるだけ答えよう。君が起きたとき覚えているとは限らないけれど」 「あの…アケノホシに…夢で逢う前に…お父さんと…会った…夢で」 「ヤミノカゼに?そうか。あの子ももう蘇っているんだな」 「はぇ…それで…」

2020-08-19 23:18:41
帽子男 @alkali_acid

ウィストはもじもじする。 「もう…普通…頑張らなくて…いいって」 「普通?」 「はぇ」 「ウィストに普通のところなんかもともとないと思うけど」 「き、気持ちとしては…普通を…」 「そうなんだ」

2020-08-19 23:20:09
帽子男 @alkali_acid

アケノホシははっはと息を吐いた。 「ウィストはどんなウィストでも最高だよ。僕はそう思う」 「はぇ…はぇ…あ、あと、黒き獣って…ご先祖だって…」 「…うん」 「アケノホシは…えっと…おじいさん?」 「もっと遠いよ。君のひい、ひい、ひい、ひい、ひいおじいさんぐらいかな」

2020-08-19 23:23:22
帽子男 @alkali_acid

「ひい、ひい、ひい、ひい、ひいおじいさん」 「そうさ」 暗い膚の少年はしばらく考えて暗い毛並みの先祖をおずおずと撫でた。 「…変な感じ」 「だよね」 「…あ、あと、お父さんから聞けなかったこと…あって。なんで、女のご先祖は…いない?」

2020-08-19 23:25:41
帽子男 @alkali_acid

「えっ、えっとえっと…あ、そろそろ目覚めそうかも」 「はぇ…あの…でも、おばあさんとか?…ひいおばあさんとか、ひいひいおばあさんとか…」 「ワフ、ワウン。ヘッヘッヘヘ」 「あ、ごめんなさ…」 急に馬鹿面をさらす黒犬に、男児は気弱そうに引き下がった。

2020-08-19 23:27:31
帽子男 @alkali_acid

夢が揺らぎ、今度こそすべての景色が遠ざかり始める。 目覚めの兆候。 「あと…お母さん…とか…」 ぽつりと呟いたウィストに、しかし犬も馬もほかの獣ももう夢を通じて話しかけてくることはなかった。

2020-08-19 23:29:33
帽子男 @alkali_acid

瞼を開くと、ひんやりとした女の手に抱かれているのに気付く。視線を上げると、心臓が縮み上がるほど麗しいかんばせがまだ穏やかな寝息を立てている。 少年は慌てて慎み深く目を伏せるが、しかし肩にしかと巻き付いた腕をひきはがすような真似もできない。

2020-08-19 23:31:50
帽子男 @alkali_acid

初め頬に火照りを覚えたが、やがて強張っていた四肢から力が抜け、淡く口元がほこころぶ。 ウィストにとって先祖も両親も今はさほどに気がかりではなかった。血はつながらなくとも養い親のゲラとヂップがいたのだし、それで十分に思えた。

2020-08-19 23:35:48
帽子男 @alkali_acid

それよりも今は、決して通じ合えないと思っていた誰かを慕えるようになった心の動き、好ましく愛おしく感じられる気持ちこそが大切に思えるのだった。 「ダリューテ…さん…」

2020-08-19 23:39:08
帽子男 @alkali_acid

おぼろな夢の記憶は多くが溶け消えゆき、ただひとつの確たる情だけが残る。 黒の乗り手はまたしても日頃の慎みを捨て、妖精の騎士の寝顔を、こっそりともう一度だけ眩しげに盗み見たのだた。

2020-08-19 23:41:46
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