【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/前編】

20世紀初頭に巨大な硬式飛行船を開発したことで知られるドイツのツェッペリン伯爵。 彼の望みは空に浮かぶ壮大な艦隊の建設でしたが、軍当局は硬式飛行船の採用に消極的だったため、民間航空事業へと転進します。 はじめのうちは困難の連続でしたが、ツェッペリン伯爵の飽くことを知らぬ情熱と優れたリーダーシップにより、1910年代前半、遂に飛行船による大都市間の航空旅客輸送を実現しました。 これは第一次大戦前に行われた唯一の、そして世界初の本格的民間航空事業だったのです。
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ツェッペリンは巧みに気嚢からガスを抜きとり、何とか不時着を成功させますが、夜の間に襲い来た暴風のため、平地にその身を横たえていたLZ2は徹底的に破壊されてしまったのでした。 pic.twitter.com/aqXh0y45pp

2020-09-05 16:11:48
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全ては水泡に帰しました。ツェッペリンやデュールの努力、妻イザベラの献身、ヴェルテンブルク国王の好意。何もかもが、実を結ぶことなく終わるかに見えました。 それでも、65歳の老伯爵の胸中に燃える情熱の炎が、消えることはありませんでした。 pic.twitter.com/DlbOlFpKBM

2020-09-05 16:13:21
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デュールも財産を失った伯爵の下に残り、わずかな報酬に耐えるばかりか、私費を投じて風洞実験設備を造り、研究を続けます。 これを見たドイツ皇帝、ウィルヘルム2世は、遂に重い腰を挙げました。国庫から10万マルクの資金を下賜するとともに、宝くじの収益金25万マルクを拠出したのです。 pic.twitter.com/YSJR1cqqXX

2020-09-05 16:13:47
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伯爵の不屈の闘志が、強引に3度目のチャンスをもたらしたといっても過言では無いでしょう。 pic.twitter.com/drhwpLVql2

2020-09-05 16:14:27
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1906年10月に完成したLZ3は、LZ2と殆ど同じ構造でした。唯一の、そして決定的な違いは、船尾の水平安定板にあります。これは、どん底の日々に、デュールが自作の風洞実験設備を用いてLZ2が直面した激しいピッチングを再現し、かつこれを克服する方法を徹底的に検討した結果、考案された物でした。 pic.twitter.com/7Eq6OWyqMG

2020-09-05 16:16:01
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10月9日、LZ3は、いよいよ初飛行の日を迎えます。 LZ3のテストフライトは、素晴らしいものでした。11名の乗員をのせて2時間17分に渡り自在に飛び回り、時速39.4キロの最高速度をマークしさえしました。 (画像はブリッジに乗り込む伯爵) pic.twitter.com/hbVICBDzcf

2020-09-05 16:16:31
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しかし、これは始まりに過ぎません。LZ3はその後、2年と2か月ほどの期間に、実に45回ものフライトを無事にこなし、その過程で8時間という滞空記録を叩きだしたのです。この時、LZ3は354キロもの長距離飛行を成し遂げました。 pic.twitter.com/98ibm5FiTT

2020-09-05 16:16:57
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1907年10月には、なんとヴェルテンブルク国王夫妻を乗せて飛行を行っています。小領邦の君主とは言え、王族が発展途上の飛行機械に乗った事実は、社会的に大きな意味を持っていました。資金援助を惜しまなかった国王ですが、LZ3への乗船はそれ以上にツェッペリンの事業を後押しすることになります。 pic.twitter.com/UfwOMAYdM0

2020-09-05 16:17:35
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ここに、国王と伯爵の深い信頼関係を見ることが出来るでしょう。 幸運はまだ続きます。ヴェルテンブルク国王夫妻に触発されたのか、ドイツ帝国皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセン(画像)その人が乗船を打診してきたのです。 pic.twitter.com/zFC8Z22oWd

2020-09-05 16:20:05
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ツェッペリン伯爵がこれを快諾したのは言うまでもありません。10月8日、皇太子はLZ3に乗り込み、短時間の飛行を楽しみました。 (画像は皇太子と飛行船) pic.twitter.com/TCERIbAE73

2020-09-05 16:20:38
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かくして翌年11月、ツェッペリンはドイツ帝国の最高勲章である黒鷲勲章を授与されたのでした。伯爵の挑戦は、遂に国家に認められたのです。 すっかり考えを改めたドイツ皇帝は、ツェッペリンを「20世紀最高のドイツ人」と褒め称えました。 pic.twitter.com/6zpvGHGj6P

2020-09-05 16:21:05
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LZ3は1908年に改装を施され、翌1909年に研究および練習用飛行船としてドイツ軍に買い取られました。その後、約4年の間事故ひとつ起こさずに軍務を全うし、旧式化に伴い1913年に退役、栄光の生涯を閉じました。(画像はベルリンに飛来したLZ3と伯爵) pic.twitter.com/hDGuAqadUr

2020-09-05 16:22:30
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画期的性能を有する最新の船が10年も経たずに時代遅れになる。LZ3以降の飛行船の発展は、それほど急速だったのです。そして、その発展の先導者こそ、ツェッペリン伯爵に他なりませんでした。 pic.twitter.com/znVH62y8uk

2020-09-05 16:22:59
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LZ3によって、航空界のパイオニアとして、或いは国家的な業績を成し遂げた偉人として、社会に認められたツェッペリン伯爵でしたが、それで満足するような人物ではありません。 彼にとってLZ3の成功は、あくまで通過点に過ぎないのです。(画像はベルリン上空のLZ3) pic.twitter.com/4RIOBFFjUR

2020-09-05 16:23:31
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巨大な軍用飛行船を多数建造し、強力な空中艦隊を築き上げ、ドイツ帝国をして欧州の覇者たらしめること。これこそが老伯爵の夢でした。 そんな折、彼の下へ軍から一つの提案が舞い込みます。24時間の耐久飛行を実現すれば、飛行船を正式に採用するというのです。待ちに待った知らせでした。 pic.twitter.com/bGvlYin1SK

2020-09-05 16:25:19
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しかし、24時間というのは極めて高いハードルです。LZ3の能力を超えると判断した伯爵は、より大型の飛行船、LZ4の建造に着手します。時に1907年11月。全長136m、直径13m、体積はLZ3の5割増しとなる15,000㎥。機関も更に強力なダイムラー社製105馬力ガソリンエンジンを2機搭載、最高速度は時速60キロ。 pic.twitter.com/YzjngPwoG7

2020-09-05 16:25:48
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ツェッペリンが船体の巨大化に強くこだわったのには合理的な理由があります。飛行船の浮力はガス嚢の体積に比例するので、大きければ大きいほど搭載能力が向上するのです。LZ4は、この点を活かして多量の燃料を積み、飛行時間の飛躍的な延長を図りましたが、 pic.twitter.com/0zKRzAMLmx

2020-09-05 16:26:21
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伯爵はいずれ数多の兵器を装備する空中戦艦を建造しようと夢想していました。 残された資金を含め、伯爵が持てる全てを注ぎ込んだ最後の切り札となる飛行船は、1908年6月に完成しました。陸海軍の代表者立会いの下、6月20日に無事初飛行を完了。 pic.twitter.com/Be70lflPCK

2020-09-05 16:28:09
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7月1日にはボーデン湖の基地からスイスまで往復380㎞を12時間で飛び、その性能を遺憾なく発揮しました。その2日後にはヴェルテンブルク国王夫妻を乗せて飛行し、世間の話題を呼んでいます。それにしても、初飛行から半月も経たない飛行船に乗り込むとは、この夫婦も余程の変わり者と見えます。 pic.twitter.com/rDVnuZ1vQg

2020-09-05 16:28:38
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画像はチューリヒ上空のLZ4。 pic.twitter.com/kMqfQfGZ2t

2020-09-05 16:29:04
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こちらの画像はLZ4に搭乗するヴェルテンブルク国王とお妃です。ブリッジ上に伯爵の姿が見えます。 pic.twitter.com/lZA0CcMvrj

2020-09-05 16:31:43
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8月4日、LZ4はいよいよ24時間の耐久飛行に出発します。午前6時22分、ツェッペリン以下12名の乗員をのせ、船はボーデン湖を離陸、針路を西へとります。直線距離で約130キロを飛び、バーゼル上空に達すると、今度はライン川に沿って北上を開始しました。 (画像は飛行に臨むLZ4、1908年8月4日払暁) pic.twitter.com/fJ9FeXZGx8

2020-09-05 16:32:19
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眼下にはストラスブルク(現在はフランス領ストラスブール)、マンハイム、ヴォルムスなどのラインラントの地方都市が現れては消えていきます。 大空を悠々と飛ぶ巨大な飛行船の登場に、地上の街々は大騒ぎとなりました。 pic.twitter.com/9ssQvzkspO

2020-09-05 16:32:49
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人々は歓呼の声を挙げながら街路に飛び出し、女性はハンカチを、男性は帽子を、盛んに打ち振ります。聖堂の鐘が鳴り響き、城壁からは間断なく放たれる礼砲の轟音が大地を揺るがしました。(画像はLZ4のブリッジからの眺望) pic.twitter.com/LsNcnkkc0T

2020-09-05 16:33:26
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画像はLZ7が飛来した1911年のデュッセルドルフ。1908年のLZ4の飛行もこんな感じだったのかなあ、というイメージ写真です。 pic.twitter.com/5p6gfQPKia

2020-09-05 16:34:01
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