「継続できない理由は自分を馬鹿にするからで、継続できる理由は自分を馬鹿にしないから(坂口恭平)」

才能とか努力とかの話・書くこと・描くこと・音楽・創作・アート・発明・研究
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坂口恭平 @zhtsss

製作期間は10日間。それで二ヶ月分は食べて行きたいと思った。僕とフーで一ヶ月25万円はかかる。それの二倍。つまり5000ドルでーす。と言った。ジャックは納得し、次の日すぐに入金してくれた。これが僕が初めて絵が売れた瞬間である。2007年、僕が29歳の時である。で事務所を登録した。

2011-06-29 23:10:00
坂口恭平 @zhtsss

しかも、次の週にもう一つの絵まで違う人売れた。絵を売るという行為がまるで楽市楽座、まるでドラクエの道具屋のような精神であることに気づき興奮した。トルコのバザールで生きているようなキャラバンサライ的生き方のような気持ちになって、これで行けると思った。保証も何もない。最高じゃん、と。

2011-06-29 23:11:54
坂口恭平 @zhtsss

そして、同じ頃。日本で素人の写真集作って次どうするって悶々としていたころ、隅田川の鈴木さんと出会う。0円ハウスを出したとき唯一お前はすごくなると言ってくれた当時週刊朝日の副編集長だった矢部万紀子さんが久々に飯を食べようと誘ってくれて飲んでいるとき鈴木さんの話をすると顔色が変わった

2011-06-29 23:14:56

スピードのある人物とちゃんと出会う

坂口恭平 @zhtsss

こういう時、重要なのはスピードのある人物とちゃんと出会うことだ。矢部さんもとにかく早い人だった。次の週、AERAを見て興奮した。初めて書いた原稿である。原稿料も25万円ほどもらい、それも興奮した。その瞬間、これを原作に映画を撮ることが決まり、さらに単行本を出版することが決まった!

2011-06-29 23:19:20

絶対に時がくるまで、自分を安くしない。

坂口恭平 @zhtsss

絶対に時がくるまで、自分を安くしない。これを徹底していて間違いではなかったと確信した瞬間だった。映画と出版が同時に決まるのである。これは矢部さんによる狙い撃ちだ。この人は松本人志の遺書を編集した人でもある。なんか見えるんだろうね。僕はそこまでは分からなかった。

2011-06-29 23:21:25

自分よりも自分のことを信じてくれている人

坂口恭平 @zhtsss

ここでもやはり、自分よりも自分のことを信じてくれている人によって僕は突き進んでいる。僕の周りの人々は僕の光がよく見えている野だろう。僕はたまによく分からなくなり、首を吊ろうと何度も思った汗。もうないけどね。誰も見向きしてくれないと才能なんか無いと単純に思うこともあったよ。でもね

2011-06-29 23:23:32
坂口恭平 @zhtsss

いつも僕が光っていることを教えてくれる人にぎりぎりのどん底に落ちたときに出会う。光を僕に当てるのではなく、僕の光を感じてくれたんです。それが僕の今の行動の全ての原点です。みなさんありがとうございました。おかげで今は元気に発光しようと思えてます。そして今度は僕の返礼義務が訪れました

2011-06-29 23:25:42
坂口恭平 @zhtsss

カナダでの芸術、コレクターたちとの出会いそして写真集から原稿の執筆という新しい活動の芽吹きこれらが渾然一体となって僕は完全な独立体となって使命を全うする人生を歩き始めた。2007年、29歳。石山修武が19歳の時に餓死しなければ十年後食べれるようになっている言われ十年が経っていた!

2011-06-29 23:29:35
坂口恭平 @zhtsss

その時、出版したのは0円ハウス写真集一冊。展覧会個展一度。連載無し。まだ完成していない350枚の原稿を完成させなくてはいけない。貯金200万のうち残りは結婚式で100万円になっていた。フーは妊娠した。これは生きる意識を高めるには最高のタイミング。僕は朝4時に起きて原稿執筆を始めた

2011-06-29 23:33:14

好きなことしか、やらねばならないことしか、やってきていない

坂口恭平 @zhtsss

僕には確信があった。好きなことしか、やらねばならないことしか、やってきていない、ということに。だから絶対に大丈夫なんだ。自分よりも信じてくれる他者も知っている。フーはお前は絶対にすごい人間になると予言している。娘もできたんだから、人間の必然としてうまくいくんだろうと。原稿は進んだ

2011-06-29 23:35:38
坂口恭平 @zhtsss

僕はとにかくルーティンを作ることにした。これからは完全な自由な時間と生活が始まる。それならばサラリーマンよりも徹底したルーティンを作ってやろうとおもった。芸術家はサラリーマンよりもサラリーマンにならなければいけない。そこで毎朝四時起床。その後12時まで朝食抜きで一気に原稿を7時間

2011-06-29 23:37:22
坂口恭平 @zhtsss

そして、昼飯を食べて、後は読書したり、散歩したり、ぼうっと過ごす。昼間は人が働いている間はぼうっとしようと決めた。朝、仕事をするのは小学生の漫画描いている時からの習性。人が忙しいときにゆっくりする。これは僕が時間を作り出さなくてはいけないと思っていたので、半分義務的でもあった。

2011-06-29 23:38:42
坂口恭平 @zhtsss

そして、二ヶ月後、僕は初めての書き下ろし単行本用の原稿350枚を完成させた。一切の書き直しなし。構成考えず、右から左に一直線。推敲もせずに、原稿を大和書房に送った。結果はばっちりであった。ちゃんと出版されることに。僕は生まれて初めて原稿を書いたのに天職であると確信した。楽だったの

2011-06-29 23:41:27

2004年からずっとネットで日記を書いていた

坂口恭平 @zhtsss

なんでだろと思ったら、僕は2004年3月からずっと日記をネットで書いていて、それが気づいたら100万字を超えていたのであった。だいたい一冊分が10万〜12万字なので約9冊分、ちびちび書いていた計算になる。四年間でそれくらい書いていた。それで原稿の持久力がついていたのだ。

2011-06-29 23:43:43
坂口恭平 @zhtsss

さて戻りましょう。原稿を書き終わり出版に向けて動き始める。同時にフランスでの展覧会、そして雑誌COYOTE、ecocoloでの連載がスタートする。一切の売り込みはしてません。あのリトルモアの一度きり。絶対にしてはいけませんから。自分が発光してそれが人に届くまで待たなくてはいけない

2011-06-30 00:06:05
坂口恭平 @zhtsss

そして2008年1月、大和書房よりTOKYO0円ハウス0円生活が出版される。値段は元々会議で1700円と決まっていたが、しつこい僕はここで行動を起こす。0円話が1700円じゃ辛い。せめて1500円にと言うと、出版社はそれでは計算が合わないという。そこでどうしたか?簡単なことです

2011-06-30 00:07:59
坂口恭平 @zhtsss

5000部で印税が10%だったのを8%に下げていいよって言ったのである。これが伝家の宝刀。人はお金が好き。僕は人が好きなものをぶっこわすのが大好き。お金なんかいらないよーと言ってあげると大抵のことはうまくいく。そうすれば1500円にできるというのでそうなった。簡単でしょ。

2011-06-30 00:09:32
坂口恭平 @zhtsss

さらにそういうハプニングには奇跡が起こりがち。大和書房の社長がたいそうその姿勢を気に入ってくれて、減った分の印税をこそっと僕に払ってくれたのだ。結果的に印税10%のまま、本の値段をさげることができた。いい話である。これはみなさんも応用してみたらいかがでしょうか。お金にはユーモアを

2011-06-30 00:11:49
坂口恭平 @zhtsss

1500円で300ページはうれしいので、やっぱり本は売れました。1ヶ月で重版。重版後はそこまで売れなかったけど8000部刷りました。ということで本でそれなりに稼ぐことは覚えた。というよりも同時にドローイングの方が売れるようになった。50万円の絵が数枚また売れた。

2011-06-30 00:14:14
坂口恭平 @zhtsss

2008年は本を二冊出版し、絵が数枚売れ、連載が増え、マネックス証券の壁画を30万円で描くなど、さすが娘が生まれると仕事が湧いてくる。この年の収入は400万円だった。お昼の12時に仕事を終わらせて、育児も手伝いながらの活動としてはまあまあの出来ではなかったかと思っている。

2011-06-30 00:17:59
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