東洋の専制君主と臣下R21号の問答集

禅の師弟関係とは東洋の専制君主と臣下との関係とアナロジカルな関係にあるという話題が先日のヤマカッコラボという勉強会で話題になり、それを受けてのTwitter上での茶番のような深ーい議論。
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ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 諸佛菩薩の所授にあらず、みづからが所能にあらず、感應道交するに發心するゆゑに、自然にあらず。 ですから、気づかせてくれたも、気づかせてあげたもなく、専制君主と臣下のいびつなかかわり方こそ気づきの場である? (続)

2020-10-12 09:17:24
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke 確かにそうでないと悟りを嗣法するって何が伝わるのかがまったく意味不明になりますもんね。この師もなく弟子もなく感應道交というところで、かろうじで、針の穴を通すがごとく意味が通るのかな。 実際かなりいびつな構造してますねこれ。

2020-10-12 09:24:08
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 あるいは無量劫おこなひて、衆生をさきにわたして、みづからはつひにほとけにならず、ただし衆生をわたし、衆生を利益するもあり。菩薩の意樂にしたがふ。 東洋の専制君主は遊び心から、臣下を演じてみた… (続)

2020-10-12 09:25:13
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 おほよそ菩提心は、いかがして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、佛道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり。いたづらに世間の欲樂をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。 なぜだ! 遊ぶ仲間が欲しいからだ。 (続)

2020-10-12 09:27:00
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke そうそう、「隣人無き者の隣人」こそが真の遊び相手。

2020-10-12 09:29:15
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 ここに「たれ」という天地いっぱいの卵があった。 それを生んで「くれた」とされる鶏だって、しょせん卵の中の登場人物に過ぎなかった。 ところが、この卵が孵化して、鶏(臣下)になった。 その臣下は新たな専制君主という卵を産んだ。その卵もやがて孵化し、臣下を演じることになるのだ。

2020-10-12 09:29:24
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke 「天上天下唯我独尊」を叫んだシッダールタは、まさにその時専制君主であった。 まあ、実際王子さまでもあったけどもね。 でも、我と大地と有情と同時に臣下へと進化した。

2020-10-12 09:31:57
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 「深まりと安らい」 その「深化」は東洋の専制君主の目から、むしろ表面化、一般化、民主化にしか見えないでしょうけれども。

2020-10-12 09:40:24
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke 深まりは、進みとはまた別の対比軸で面白いですね。 臣下が専制君主へと進化し、 その専制君主が道に迷って、悩んで、ようやく臣下という普通の人に深化できた。 行事は同環しますね。

2020-10-12 09:44:23
火童🔥多問第一 @kadoh108

@Yumihiki2010 @MuhoNoelke なんだ、毎週仏性を教えてくださっている彼がR21号だったのか。

2020-10-12 09:41:29
雪観英治 @Yumihiki2010

@kadoh108 @MuhoNoelke はい、あなたが専制君主です。 R21から教わると、誰もが専制君主となってしまうようプログラムされております。

2020-10-12 09:53:52
火童🔥多問第一 @kadoh108

@Yumihiki2010 @MuhoNoelke それは専制君主側がプログラムされているようにきこえます笑

2020-10-12 09:58:05
雪観英治 @Yumihiki2010

@kadoh108 @MuhoNoelke アイドルが1日警察署長を勤めるようなものです。 仏教とは実はそうゆう啓蒙活動でもあるのです。

2020-10-12 09:59:06
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 この構造を第五図だけで説明しようとすれば、できなくはない気がしますが、やはり第四図(臣下同志が横並びする世界)と第六図(専制君主の世界)の両極があってこそ、第五図のいびつ性=奇跡な構造が浮き彫りにされますね。 (続)

2020-10-12 10:00:27
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 ヴィパッサナ瞑想と永井先生の言うナサッパヴィ修行もこの道環の文字盤上の行持として、私は理解しています。 6時から12時まではヴィパッサナ瞑想の時間。義務教育というナサッパヴィ修行から解放されて、菩提と涅槃にドップリ浸かってもらう。 (続)

2020-10-12 10:07:16
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 12時に専制君主が目を覚ましたら、6時までは臣下として新たな発心をし、菩薩のナサッパヴィ修行をする。「本当の痛みがあるのですね」と。その他者という専制君主たちもまた、針が一回りすれば臣下仲間として深化する・・・。

2020-10-12 10:11:13
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke そうすると順修行は専制君主に進化するための道で、 逆修行は臣下へと深化するための道となりますね。 ロゴスの世界ではそれが懐疑論と逆懐疑論として問題化するわけか。

2020-10-12 10:23:50
火童🔥多問第一 @kadoh108

次の如来は弥勒じゃねえ、この俺だ。 そしてお前もだ…!

2020-10-12 10:11:27
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@kadoh108 そこにこそ「いびつな構造」が働くので、教育学的に考えるとすごく難しい。本来なら「この俺だ!」、そこにとどめるべきところに、(誤解されないように)「お前も」と付け加えたくなるが、その「も」は邪魔である。 いかにして、相手に「いや、この俺こそ!」と言わせるか。

2020-10-12 10:19:48
火童🔥多問第一 @kadoh108

@MuhoNoelke 確かに、1行目だけだとヤバそうだったので2行目を付けました。 「しかし本当はお前こそが次の如来だ…!」と言うと今度は1行目が嘘っぽくなってしまうし。

2020-10-12 10:22:34
雪観英治 @Yumihiki2010

@kadoh108 @MuhoNoelke ここにはメビウスの輪のようないびつさがあって、専制君主と臣下、師匠と弟子、先生と生徒、親と子、これらを同時に丁寧に演じ分ける必要が出てくるわけですね。

2020-10-12 10:27:13
火童🔥多問第一 @kadoh108

@Yumihiki2010 @MuhoNoelke そして如来と菩薩もでしょうか。 如来が一時代に一人しか現れないのはそういうことを表しているのかもしれませんね。

2020-10-12 10:30:07
雪観英治 @Yumihiki2010

@kadoh108 @MuhoNoelke おっしゃる通りですねー。 そしてその如から来たる者とは'この'〈私〉のことです。

2020-10-12 10:33:32