長いおまけのそのまたおまけの話(#えるどれ)

大長編小話。終わり。 シリーズ全体のまとめWiki https://wikiwiki.jp/elf-dr/
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帽子男 @alkali_acid

人間はこんなに沢山の水を体内に貯えておけるものかと、通りがかるものが見ればそう思うだろう。 幸いというか周囲は裏寂れた一画だった。 烏一羽、野良犬一匹うろついていない。 いや。 何もないでもない。 小さな獣が一匹大急ぎで埃っぽい路上を駆け抜けていく。 耳の長い、黒い毛並の。

2020-10-24 20:44:36
帽子男 @alkali_acid

兎だ。 奇妙にも背中に紐で結わえて時計を背負っている。 両端が膨らんで真ん中が縊(くび)れた硝子の中を、煌めく砂が行ったり来たりする仕掛けだ。 小さな黒い獣はぴょんぴょんと跳ねる途中で立ち止まり、だらしなく口を開けて放尿を続ける巨漢を振り返った。

2020-10-24 20:47:36
帽子男 @alkali_acid

しばらく耳をぴくぴくと動かしていたが、また急いで駆けていく。 「待って。待って。待ってたら兎さん」 続いて赤頭巾をかぶった少女が一人、小脇に籐籠を抱えて走ってくる。 「兎さんたら!」

2020-10-24 20:49:11
帽子男 @alkali_acid

青年はただぼんやりと自然の欲求を満たし続けた。実に長い。恐らく世界最長の記録が作れそうだった。 頭巾の少女があたりを探しているところへ、今度は鍔付き帽子を目深に被り、外套をまとった一団が到着する。 「いや!来ないで」

2020-10-24 20:52:33
帽子男 @alkali_acid

娘が怯えるのへ、やや距離を置くようにしながらぐるりと扇状になるように男達はためらいなく拳銃を抜いた。 「やめて…誰か…誰か助けて」 か細い声で震えながら訴える少女に、一人がこらえきれなくなったように発砲する。

2020-10-24 20:54:21
帽子男 @alkali_acid

頭巾の子は裾(スカート)を翻しながら倒れ、辻に転がった。弾は逸れたようだが、あどけない顔は土ぼこりがついて無惨だ。 「誰か…誰かたす…」 「黙れ!」 「よせ!」 ほかの面々の注意も聞かず、最初に引き金を引いた男はもう一発、突っ伏して動けない標的に撃ち込もうとする。

2020-10-24 20:56:11
帽子男 @alkali_acid

だがその頭が横合いから拳を受けて不安な角度に曲がり、崩れ落ちる。 「るっせええんだよ!!」 少女を包囲する男達のもとへ、酔漢が吠えながら乱入する。

2020-10-24 20:58:15
帽子男 @alkali_acid

外套の一団は不意打ちに迅速に対応して応戦にかかろうとしたが、たちまち徒手空拳の傭兵に叩きのめされる。 一人は状況の悪さを察して逃げ去ろうとしたが、いきなり銃が暴発したのか、腹のあたりを破裂させ、腸を撒き散らして倒れた。

2020-10-24 21:00:48
帽子男 @alkali_acid

ガウドは特に興味もなさそうに死体を一瞥すると、最後に残った一人に近づく。 「あ?撃ってみろこらてめぇ」 「…待て…待ってくれ…もしやあなたは…」 「あ゛ぁっ!?」 いきなり男は胸のあたりを破裂させ、火薬と血臭を撒き散らしながら後ろ向きに倒れて死んだ。

2020-10-24 21:03:42
帽子男 @alkali_acid

「ちっ…何なんだよ」 返り血を浴びてつまらなそうにしながら、ガウドは頭を掻く。すっかり酔いも醒めたようだった。 「あ、ああ…」 頭巾の子が消え入りそうなあえぎを漏らす。

2020-10-24 21:13:37
帽子男 @alkali_acid

「あん?」 「暗…」 一瞬、少女はおぞましげに青年を見上げるが、明るい肌の西方人が色の異なる民を目にした際によくある反応なので、取り立てて興味もわかなかった。

2020-10-24 21:14:56
帽子男 @alkali_acid

「…家はどこだよ」 傭兵はめんどくさそうに尋ねる。娘はあわてて頭巾をかぶりなおしながら、うつむいて答える。 「第十三区」 治安が良いとは言えない貧困地区だ。 「そうかよ。さっさと行けよ」 「…どっちか…解らない…」

2020-10-24 21:20:21
帽子男 @alkali_acid

「…ちっ」 青年はすたすたと歩き始めた。もう足元はふらついてもいない。少女が呆然としていると振り返る。 「何してんだ」 「…え…」 「んなゴミのそばにいてどうすんだ」 死んだり失神したりして動かない男達を顎で示す。

2020-10-24 21:22:35
帽子男 @alkali_acid

「ひっ…」 「さっさと来いよ」 「あ…あ、はい」 頭巾の子は立ち上がろうとしたが、腰を抜かしているのかうまくいかないようだった。傭兵はまた舌打ちすると襟を掴んで持ち上げ、肩に担ぐ。 「ひゃああ!?」 「るっせえな」

2020-10-24 21:24:34
帽子男 @alkali_acid

「か、籠…」 「ああ」 そちらも拾い上げて、鼻をひくつかせる。 「燐寸(マッチ)が入ってるの」 「燐寸売りかよ」 「うん」

2020-10-24 21:26:03
帽子男 @alkali_acid

ガウドはそのまま大股で歩き始めた。少女はしばらく深呼吸してから、やがて酒臭い巨漢に担がれたまま尋ねる。 「あの…どうして…共和国語が喋れるの」 「喋れて悪いかよ」 「…ううん…」 燐寸売りは口ごもった。 「あの…兎を見なかった?」 「見てねえ」

2020-10-24 21:28:48
帽子男 @alkali_acid

適当な大通りに出てから、辻馬車を止める。 どの馭者も当然、返り血を浴びた大男が小娘を担いでいるのを見て通り過ぎようとするが、睨みつけると馬が怯えて棹立ちになるのだ。 「おい…てめえ乗車拒否か」 「い、いえめっそうもない…」 「第十三地区までだ」 「うえ…」 「あ?」

2020-10-24 21:31:02
帽子男 @alkali_acid

辻馬車は仕方なく凶悪そうな客をあまりうれしくもない目的地まで運んだが、支払いは随分とよかった。金が人の良さを引き出すものか、馭者はつい別れ際に呼び掛ける。 「兵隊さん。あんたの色じゃこの辺りは向かないと思うが」 「さっさと行け。ぶっ殺すぞ」

2020-10-24 21:33:27
帽子男 @alkali_acid

少女が切ながるので、青年はもう担がずに前を歩かせた。 「家は近所か」 「うん…あの…」 いきなり石が飛んでくる。巨漢の頭のあたりをめがけて。だが太く長く黒い腕は、見かけによらぬ機敏さで掴み取ると、目にも止まらぬ速さで正確に投げ返した。

2020-10-24 21:36:36
帽子男 @alkali_acid

悲鳴が上がり、ざわめきが起きたあと、何人かのみすぼらしい恰好の、しかし決してごろつきとも思えない男達が出てくる。 「薄汚ぇ暗膚が!」 「鷲の爪にかけて腸引きずり出してやる」 全員が粗雑な鷲の刺繍の入った腕章をつけている。

2020-10-24 21:38:29
帽子男 @alkali_acid

ガウドはすぐさま突進して最初に叫んだ相手の喉首を掴んで吊り上げた。みしみしと骨が軋みをさせる。 「まってみんな!」 少女が叫ぶ。 「大切な!教会にとって大切だから!許しなく傷つけてはだめ!」

2020-10-24 21:42:27
帽子男 @alkali_acid

男達は驚いたようすで少女を振り返る。 「小さな姉妹がそう仰るなら」 「だが…この獣野郎がピエーリを離さねえ!」 ガウドは面倒くさそうに不平を漏らす貧民に仲間を投げつける。 「くそ弱ぇくせにきゃんきゃん吠えてんじゃねえよ」

2020-10-24 21:44:42
帽子男 @alkali_acid

「お兄さん…どうか…教会まで来て下さい」 争いを収めるためか、燐寸売りの少女は頭巾を抑えて乞う。巨漢はその仕草に一瞬身を強張らせ、のろのろと頷いた。 「いいけどよ」

2020-10-24 21:46:08
帽子男 @alkali_acid

娘が言う、教会は地区の片隅にある長屋の半地下にある数部屋をつなげてできた場所だった。 頭巾を被った女達がほかにもいて、どうやら尼僧ということらしかった。 「小さな姉妹よ…無事でしたか」 「おお…一体…それは」 「星の導きです」

2020-10-24 21:48:00
帽子男 @alkali_acid

精一杯おとなびた口調で頭巾の子が説明すると、頭巾の大人達は困惑したようすでしかし巨漢を迎え入れた。 「ようこそ星の智慧教会へ」 「西方の星の導きあらんことを」 いかにもぎこちない口ぶりだ。いったい東方の民に西方の星が何だというのか。

2020-10-24 21:49:39
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