クイズの聖地「久伊豆神社」、らき☆すたの聖地「鷲宮神社」と武蔵土師氏

クイズの聖地として知られる埼玉県久伊豆神社と、「らき☆すた」の聖地として知られる久喜鷲宮神社、それらを創建した古代氏族・武蔵国の「土師氏」についてです。
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リンク Wikipedia 出雲大社 出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社。神社本庁の別表神社。宗教法人出雲大社教の宗祠。 二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。 古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲 16 users 366
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

埴輪を作る仕事を担ってたから「土師」氏です。 相撲の神としても知られる野見宿禰(のみのすくね)が、貴人の死に際して一緒に臣下も死んじゃう殉死(じゅんし)の代わりとして埴輪を発明したという… 土師器(はじき)っていう土器もありますね。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F…

2020-11-17 22:04:31
リンク Wikipedia 埴輪 埴輪(はにわ)は、古墳時代の日本に特有の器物。一般的には土師器に分類される素焼き土器である。祭祀や魔除けなどのため、古墳の墳丘や造出の上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。 埴輪は、3世紀後半から6世紀後半にかけて造られ、前方後円墳とともに消滅した。大きく円筒埴輪と形象埴輪の2種類に大別される。 円筒埴輪は、普通円筒(最も基本的な土管形のもの)・朝顔形埴輪・鰭付円筒埴輪などに細分される。墳丘を取り囲む周提帯の上や、墳丘頂部、墳丘斜面に設けられた段部(テラス状の平坦面)に横一列に並べられた。 形 2 users 10
リンク Wikipedia 野見宿禰 野見宿禰(のみのすくね)は、土師氏の祖として『日本書紀』などに登場する人物である。土師阿多勝(若葉足尼)の父。 天穂日命の14世の子孫であると伝えられる。飯入根の兄弟である甘美韓日狭命(甘美乾飯根命)の子。襲髄命と同人とする説もある。 垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた。また、垂仁天皇の皇后、 9 users 117
リンク Wikipedia 土師器 土師器(はじき)とは、弥生土器の流れを汲み、古墳時代から奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけ(土師質土器)・焙烙(ほうろく)に取って代わられるまで生産された素焼きの土器である。須恵器と同じ時代に並行して作られたが、実用品としてみた場合、一般的に土師器の方がより日常的で格下の存在とみなされていたと考えられてきた。しかし、『正倉院文書』中の土器の器種別の価格表を記録した文書によれば、須恵器と土師器のあいだの価格差はほとんどなく、蓋付のものはないものに比較しておよそ倍の価格がついていることが判明した 2 users 3
somekita@特発性血小板減少症@EBIちゃん号 @mazuisake

twitter.com/yamatokoyomi/s… 野見宿禰の由緒のとこに書いてあった  出雲大社宮司の祖先は天穂日命 pic.twitter.com/hymrpYIjeR

2020-11-18 00:42:05
和こよみ*旧暦たん⛩️東洋人文系V @yamatokoyomi

@volcano_tan なにげにそうなのです! 国譲りのあと植民地総督として送り込まれてきた天穂日命の末裔が、現出雲大社宮司の千家家を筆頭とする出雲氏… 大己貴の末裔は、むしろ大和の大神神社の三輪氏と、その支流でのちに暦道宗家を輩出した賀茂朝臣氏(うちげうちげ!)に繋がってるのです!

2020-11-17 22:23:01
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和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

土師氏っていってもぴんとこない方が多いでしょうが… その系譜の一派には、道真公を輩出した菅原氏もいます! ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85…

2020-11-17 22:05:33
リンク Wikipedia 菅原氏 菅原氏(すがわらうじ)は、「菅原」を氏の名とする氏族。姓は朝臣。 菅原氏の前身は、天穂日命の子孫で、野見宿禰を家祖とし、葬送を職掌としている土師氏である。天応元年(781年)に古人が改姓を申し出たことから菅原姓を称するようになった。「菅原」の名は大和国菅原邑にちなむ。 古人は儒学を学び、桓武天皇の侍読となった。子の清公(770年(宝亀元年) - 842年(承和9年))(従三位・非参議)、および孫の是善(812年(弘仁3年) - 880年(元慶4年))(従三位・参議)も儒学を修め、文章博士を勤めた。また清公 1 user 14
リンク Wikipedia 菅原道真 菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめた。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたと 8 users 86
火山たん/三原あかり/地学系Vtuber @volcano_tan

この書き方を見て、大己貴命は出雲氏の直接の祖神ではないことに気づいたんだよ。 twitter.com/yamatokoyomi/s…

2020-11-17 22:15:51
和こよみ*旧暦たん⛩️東洋人文系V @yamatokoyomi

武蔵国は古代に、出雲系氏族の土師(はじ)氏が移住・開拓したことから、出雲大社の神である大己貴命(大国主)や、出雲氏の祖神・天穂日命が祀られた神社が多いのです。 twitter.com/yamatokoyomi/s…

2020-11-17 21:56:01
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

武蔵国は古代に、出雲系氏族の土師(はじ)氏が移住・開拓したことから、出雲大社の神である大己貴命(大国主)や、出雲氏の祖神・天穂日命が祀られた神社が多いのです。 twitter.com/yamatokoyomi/s…

2020-11-17 21:56:01
和こよみ*旧暦たん⛩️東洋人文系V @yamatokoyomi

さて…そもそもこの鷲宮神社は、古代に武蔵へ入殖して開拓した出雲系氏族・土師(はじ)氏が、祖先神と出雲の産土神・大己貴神(大国主)を祀って建立したという、とっても歴史ある神社です。2つ並ぶ本殿の右が土師氏の祖先神、左が大己貴神です。 pic.twitter.com/ATZRUzv2or

2018-02-16 20:15:00
リンク Wikipedia 祖神 祖神(おやがみ、そじん、そしん)とは、 本項では主に 1. について、ことに神道の神について記す。 主に、皇室および神別氏族、また上古の早い段階に皇室から分かれた皇別氏族において、祖先に当たる神代の神、あるいは上古の人物を「祖神」とする。「氏」とは共同の祖神をもつ同族意識によって結合した生活共同体であり、本来は「氏神」と同義であったが、その実態が歴史的に薄れて、中世以降は氏神は後に血縁から地縁へと変化し、地域の産土神・鎮守神と同様の神へと変化していった。
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

@volcano_tan なにげにそうなのです! 国譲りのあと植民地総督として送り込まれてきた天穂日命の末裔が、現出雲大社宮司千家家を筆頭とする出雲氏… 大己貴の末裔は、むしろ大和の大神神社三輪氏と、その支流でのちに暦道宗家を輩出した賀茂朝臣氏(うちげうちげ!)に繋がってるのです!

2020-11-17 22:23:01
リンク Wikipedia 国譲り 国譲り(くにゆずり)は、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)ともいう。 高天原に住む天照大御神は、「葦原中国は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原の天照大御神に報告した。 高御産巣日神と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。 12 users 27
リンク Wikipedia アメノホヒ アメノホヒは、日本神話に登場する男神。 古事記では天之菩卑能命、日本書紀では天穂日命、他に天菩比神などと表記される。 天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大御神の第二子とされ、天忍穂耳命の弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。後に他の使者達が大国主神の子である事代主神や建 4 users 28
リンク Wikipedia 出雲国造 出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を支配した国造。その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。 出雲氏(いずもうじ、姓は臣)は、国譲りに応じた大国主神を祀るため、天日隅宮(あめのひすみのみや=出雲大社)の祭祀を担った天之菩卑能命(あめのほひのみこと)を始祖、その子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を第2代とする。初めて出雲国造に任じられたのは『先代旧事本紀』(国造本紀)によれば第12代宇賀都久怒からであるが、千家家の伝承をまとめた『出 8 users 30
リンク Wikipedia 大神神社 大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪(大三輪町大字三輪字三諸山)にある神社。式内社(名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社と呼ばれた。中世以降は三輪明神とも呼ばれる。現在は別称を三輪神社ともいう。 三輪山(三諸山)を神体(神体山)とする。 大神神社は纒向・磐余一帯に勢力を持った先住族が崇敬し、磐座祭祀が営まれたとされる日本でも古い神社の一つで、神奈備信仰様式をとった神聖な信仰の場であったと考えられる。 全国
リンク Wikipedia 大神氏 大神氏、大三輪氏(おおみわうじ)、または三輪氏(みわうじ)、神氏(みわ/じんうじ)は、大和国磯城を発祥とし、大田田根子を祖神とする氏族。 直接的には、大田田根子の孫・大三輪大友主が氏祖である。 大神神社(奈良県桜井市三輪)を奉斎する大和国磯城地方(のちの大和国城上郡・城下郡、現在の奈良県磯城郡の大部分と天理市南部及び桜井市西北部などを含む一帯)が本貫。 氏の名は大和国城上郡大神郷の地名に由来する。三輪氏の姓は初め君だったが、天武天皇13年(684年)11月に三輪高市麻呂ら一族が大神朝臣姓を賜り、改賜姓五十 1 user 18
リンク Wikipedia 賀茂氏 賀茂氏(かもうじ、加茂氏/鴨氏/加毛氏)は、賀茂(加茂・鴨・加毛)を氏の名とする氏族。以下の3系がある。 地祇系賀茂氏とは別氏族である(『鴨氏始祖伝』)。なお『山城国風土記』逸文では、賀茂県主の祖の賀茂建角身命(天神系)は神武天皇の先導をした後、大和の葛城(地祇系賀茂氏の本拠)を通って山城国へ至ったとしている。 代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。また、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。平安時代初期ごろに上賀茂・下鴨の両神社の祠官家に分かれ、代々両社の祢宜を務めた。上賀
リンク Wikipedia 陰陽道宗家 陰陽道宗家(おんみょうどうそうけ)とは、陰陽道に由来する一族、一門において嫡流(正流)の宗家(家元)、またはその当主を指す歴史的名称。平安時代中期~後期以降、賀茂氏とその嫡流末裔勘解由小路家が暦道、安倍氏とその嫡流末裔土御門家が天文道の宗家として、代々家学を世襲してきた。この2家を合わせて「安賀両家」と呼ばれたが、江戸時代に賀茂氏が衰退して以降は、もっぱら土御門家を示す通称となった。 明治維新後の1870年(明治3年)に至り、新政府は「天社禁止令」を発布し、陰陽道を迷信として廃止させた。よって、この時点で
十市衆(島岡 武) @ad_himuka

@yamatokoyomi @volcano_tan 日向国一之宮の都農神社の周辺には三輪氏が分布しています。都農神社は式内社ですから、延喜式成立までにある程度の社勢があったようですね。

2020-11-17 22:28:44
リンク Wikipedia 日向国 日向国(ひゅうがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。 『日本書紀』には「日向」の語源説話として、景行天皇と日本武尊の征西説話において、「是の国は直く日の出づる方に向けり」と言ったので、「日向国」と名づけたと記述されている。 「日向」の読みについては、『日本書紀』に「宇摩奈羅麼、譬武伽能古摩(うまならば、ひむかのこま = 馬ならば日向の駒)」とあり、古くは「ひむか」と呼ばれたと考えられている。ただし、この「譬武伽」を日向国とするには検討が必要と指摘される。 成立当初は現在 2 users 10
リンク Wikipedia 都農神社 都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称されていた。地元では「一の宮神社」とも呼ばれる。 なお、『塵袋』には「吐乃(つの)大明神」とあり、『塵添壒嚢鈔』はそれに追書して疱瘡の治療に霊験あらたかであると載せている。また田畑の虫害を除くとの信仰もあった。 社伝によれば、神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まるという。また神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として「吐 5
リンク Wikipedia 延喜式神名帳 延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。 延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。本来「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいう。国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣 9 users 16