昔の女性が別姓のように見える理由について
- the_no_plan
- 167270
- 343
- 254
- 4
@1059kanri 当時、夫(頼朝など)がプライベートで妻を呼ぶ時、部下たちの前で妻の話をする・呼ぶ時にはどのように呼んでいたのでしょうか。
2020-11-19 19:48:32@Ippei_painter 基本的には「御台」あるいは「東」「西」などの正妻としての呼び名で、非常に近しい親族などの場合、その人の幼名を用いたと考えられます。あと役職、官位を持っている場合はそれを用いたでしょうね。
2020-11-19 19:53:47@1059kanri 「東」「西」は存じませんでした。 仲良しは幼名呼びなのですね。創作の補いにいたします。
2020-11-19 19:57:46@Ippei_painter 中世以降の女性は、基本的には男性のように名乗りを変えず、おそらく一生幼名のままだったと言われていますね。
2020-11-19 20:00:50@Ippei_painter 中世、戦国期の女性やその呼び方についてはこの本がすごくお勧めなのですが、残念ながら出版社で品切れのようで(;´Д`) 戦国を生きた公家の妻たち - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社 yoshikawa-k.co.jp/book/b33873.ht… @yk_salesより
2020-11-19 20:04:35@1059kanri @yk_sales ありがとうございます。 あれ? この本なんか見たことあるぞ・・・ と思ったら、妻 @karuta_s の部屋の本棚にあるのを今確認しました😂
2020-11-19 20:09:10@1059kanri 女性は名前よりも立場(御台様とか)で呼ばれる印象があります 本人の固有名詞で呼んでくれるのは親兄弟くらいで、そもそもみんな名前知らなさそう
2020-11-19 19:58:26@1059kanri ご指摘いただくまでうっかりしていましたが、そういえばそうですねw 書状なんかが残っているので諱や当時の名乗りが残っている、伝わっている、というだけですかね
2020-11-19 20:13:56なぜガラシャだけは細川なのだろう。 政子や富子の例ならば、明智玉子とか明智ガラシャと呼ばれて当然なのに。 twitter.com/1059kanri/stat…
2020-11-19 20:18:28「北条政子」「日野富子」はあくまで歴史用語であって、歴史的には源頼朝正妻も足利義政正妻も、「北条政子」「日野富子」とは呼ばれておりません。
2020-11-19 19:29:50@1059kanri 慶長以降も辛うじて戒名が分かれば御の字ですね。しかし、何故政子や富子の例を以て夫婦別姓の論拠になると思ったのか(困惑)まだ別姓のメリット足り得る妻個人の私有財産権について言明した方がいいような気も。
2020-11-19 20:04:32@shoshinn おそらく社会全体でそういう感じで、男性の場合、公的なものに繋がる人が多く、故にたまたま「公的な」呼び名が記録され後世に残る人が多かった、というだけの話かとも
2020-11-19 20:11:18@koren777 特に中世は、女性に関する記録が著しく少なくなり、大名の母や妻子でも、記録すら無い、という事も珍しく有りませんね。
2020-11-19 20:15:00@Makkulo00Neko56 実際には「本名」も様々な形があるのですが、あくまで公的、朝廷的な呼び方だと、それぞれ「北条四郎時政女政子」、或いは「平政子」、「日野(裏松)右少弁重政女富子」、或いは「藤原富子」となるかと。
2020-11-19 21:51:37