バトル・オブ・ブリテンについて語ってみたよ(途中)

とりあえず、現代の防空網に大きな影響を与えたバトル・オブ・ブリテンについて語ってみました。 後日続きます。
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ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

戦闘機軍団ではレーダー監視網、対空監視部隊、気球軍団などは直属に置かれ、高射砲軍団は陸軍の管轄でしたが、運用管理は戦闘機軍団が担当しており、防空体制構築のために軍を超えて、戦闘機軍団に指揮権が一任されていたことがここからも読み取れると思います。

2011-07-23 22:37:36
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

迎撃機の発信命令などは交戦セクターの警戒管制官に委ねられていたようで、旧日本軍と違い、実践的な指揮系統だったようです。

2011-07-23 22:43:19
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

迎撃機の管制指揮は、複数のレーダーサイトの感知情報をフィルター室に送り、方位、位置、敵味方の識別が行われ、各交戦セクター作戦室の地図に表示されたそうです。http://t.co/7M3X5uX

2011-07-23 22:41:28
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

レーダー網と防空体制についてはこんなものでよいでしょうか?

2011-07-23 22:43:54
山猫男爵 @baron_yamaneko

@futaba_AFB 1945年の極東某国の状況と比べると(´;ω;`)ブワッ

2011-07-23 22:27:17
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

某国より結構進んでるんですよねorz @baron_yamaneko @futaba_AFB 1945年の極東某国の状況と比べると(´;ω;`)ブワッ

2011-07-23 22:31:59
山猫男爵 @baron_yamaneko

@futaba_AFB Bf110の戦闘機としての限界というのは、もうこの時期には明確だったんでしょうか?それとも、まだ双発戦闘機でも結構いけてたのか?

2011-07-23 21:22:08
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

少なくともフランス戦の中盤までは敵の爆撃機を護衛機ともども駆逐しているみたいです。一方で、おそらくダイナモ作戦ではかなり被害を受けているのでは?と思います。@baron_yamaneko

2011-07-23 21:31:15
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

また、このころのイギリスのハリケーンは低オクタン燃料だったり、プロペラも二枚羽だったりする機種が多数いるようで、イギリス上空で戦うハリケーンよりもかなり性能が低かったみたいです。@baron_yamaneko

2011-07-23 21:32:10
山猫男爵 @baron_yamaneko

@futaba_AFB 燃料の質の問題もあったのですか!

2011-07-23 21:50:27
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

アメリカからの100オクタン燃料の備蓄が溜まって100オクタン用のマーリンが生産されるのがバトルオブブリテンの頃だったかと、プロペラの影響も加速性能には大きいです。“@baron_yamaneko: @futaba_AFB 燃料の質の問題もあったのですか!”

2011-07-23 22:04:58

バトル・オブ・ブリテン開始!7月の戦い

ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

「『フランスの戦い』と呼んだものは終わりました。やがてイギリスの戦いが始まります。我々が勝てばヨーロッパは解放され(中略)。もし我々が負ければ、(中略)新しい暗黒時代に入ります。よって我々は全力を尽くし、(中略)こう言わせたいものです。「これが彼等の最良の時だった」と。」

2011-07-24 20:23:54
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

というわけで、バトルオブブリテンの続きを淡々と

2011-07-24 20:24:18
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

前回のあらすじ、ポーランド即死、北欧も即死、フランスも即死、必死こいてイギリスに逃げ帰ったら、パリでバカンスを楽しんだちょび髭から和平しろって言ってきたよ! http://t.co/V5sKG0r

2011-07-24 20:26:30
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、バトル・オブ・ブリテン始まった日は恩賞やらなんやらの供与のために決められたもので、劇的な何かがあったというわけでは無かったりするのですが、ドイツから初めて100機以上の攻撃を本土に受けた7月10日がバトル・オブ・ブリテンの開始とされています。

2011-07-24 20:28:57
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

7月10日の午後からの本攻撃では20機以上のDo17 20機のBf110 同数のBf109がイギリスの迎撃機と空中戦に入るのですがBf110は敵機を駆逐するどころか、お互いに守るようにデス・サークルを作り離脱、制空戦闘機としてのその性能不足が決定的となります。

2011-07-24 20:30:53
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

この日はJu88 63機からなる別働隊がレーダーサイトの混乱もあり空襲成功この日イギリス空軍の出撃は609ソーティにものぼり、イギリス側も反撃のためドイツ空軍基地へ攻撃をかけけますが、ブレニム6機が出撃し1機を残し全滅と散々たる結果に終わります。

2011-07-24 20:32:17
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

翌日にはJu87による船団の攻撃が行われるなど、それまでと比べると大量の飛行機によって攻撃が行われていますが、この頃の空襲はのちの大空中戦と比べると少数であり、これはまだ上陸作戦が発動されておらず、ヒトラーがイギリスへの和平を求めているさなかだったからだと考えられます。

2011-07-24 20:35:06
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

7月14日には後々まで続くドイツによるイギリスへの夜間爆撃が常態化が始まり7月15日はウェストランド社の航空機工場への爆撃が行われますがこの時点では戦闘機生産への被害まだありません。翌16日にはヒトラーはイギリスへの上陸作戦準備を指示イギリスへの最終的な和平提案は3日後になります

2011-07-24 20:37:29
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

これを受けて20日までの戦闘は小規模ではありましたが、イギリス南東部以外への空襲が行われ、さらにフォース湾からテムズ河口への機雷散布も行われ、着実に戦闘が本格化していきます。

2011-07-24 20:38:47
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

され20日夜にはヒトラーが、「勝利と平和の演説」でイギリスへの和平提案の受け入れ要求し、この演説内容を印刷したビラをドイツ爆撃機によってイギリス各地にばらまいたそうです。チャーチルは時間稼ぎのため返答を3日ほど伸ばし、ヒトラーのイライラは募る一方です。

2011-07-24 20:40:17
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

ちなみにこの頃にはデファイアントがぼこぼこにされて、昼間戦闘機としての運用は難しい事が判明したり、使えない子扱いされかけているBf110を使った戦闘爆撃機が実験部隊として投入されることが決まります。しかし、デファイアントの苦難は後に戦局悪化の中出撃を命じられるなどまだ続くのです。

2011-07-24 20:42:41
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

22日にはイギリスは時間稼ぎをやめて正式に和平を拒絶。これによってイギリスへの本土上陸作戦が発動することが決定的になります。続いて25日にはイギリスの船団がドイツの空襲により10隻以上沈没し以後、船舶の昼間ドーバー海峡を横断することが禁止されることになります。

2011-07-24 20:44:25
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

この後は天候不良もあり、戦闘は散発的でしたが28日には天候が回復し激化、その最中にロッテ戦法を生み出したドイツ空軍のエース、メルダースと空戦の十則で知られる。南アフリカのエース、アドルフ・マランと対決双方撃墜には至らないのですが、メルダースはこの空戦で負傷病院行となります。

2011-07-24 20:48:49