【鉄道の英国近代史】-19世紀のモーダルシフトと「ジェントルマン資本主義」論-

19世紀前半、世界に先駈けて英国に登場した近代的鉄道。誕生の経緯と、その後の発展の歴史を、社会や経済との関わりを交え素描します。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

一行の後にはいつも女子や子供が群れ集まって半狂乱になり、口々に罵ったり石を投げたりした。特にスント・ヘリンズでは生命の危機にさえ曝された。その地では別の助手が炭鉱夫たちに捕まったが、彼らは助手を竪坑に投げ込むと脅し、…計器は粉微塵になってしまった」(小松芳喬 前掲書)

2021-02-26 17:12:51
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民衆の間には、煙を吐いて走る機関車への嫌悪と畏れが広がっていたのです。未知のものを嫌うのは人間の性ですが、運河業者のネガティヴキャンペーンも多分に影響していました。そしてそれは、運河に投資し、土地を貸している貴族や大地主をも巻き込んでいたのです。 pic.twitter.com/pcUKjqQdta

2021-02-26 17:13:23
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彼らはビラを撒いて反対運動を煽っていました。「中年を過ぎたジェントルマンならば、轢かれるといけないから、鉄道を横断しようとしないだろう。狩猟場はだめになってしまうであろう。牝牛は機関車の見えるところでは草を食べなくなるであろう。機関車の煙を目にすれば婦人は流産するであろう。

2021-02-26 17:13:41
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機関車の火花で農地は台無しになり、農家は火災を起こすであろう。馬は(需要が無くなるから)絶滅してしまうであろう。燕麦や乾草には買手が無くなるであろう」 (小松芳喬 前掲書)

2021-02-26 17:13:59
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1824年、測量未完のまま仮委員会は、正式の委員会(会社設立後は取締役会に昇格する)に改組し、設立趣意書(公共の鉄道を敷設し、運賃と輸送時間を低減することを宣言)を発表しますが、地主と運河関係者は直ちに「バーミンガム・ガゼット」紙に反対者を募る広告を出し、攻勢を強めます。 pic.twitter.com/xPVfpvUvoU

2021-02-26 17:16:13
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同じ頃、委員会から設計主任に任命されたスチーブンソンは、S&D鉄道と掛け持ちで仕事を進めます。彼は頓挫していた測量を早期に完了させるべく、夜陰に乗じたり、別の場所で銃を発砲して反対者の注意を逸らしたりするという強引な方法を採り、1825年末に基本計画を纏めました。 pic.twitter.com/voA9DR6v91

2021-02-26 17:16:47
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しかし、鉄道推進派は同年、下院(庶民院)で行われた会社設立に関する法案審議が事実上の否決に終わったことで、一敗地にまみれます(南海泡沫事件への反省から、株式会社の設立には議会の承認が必要だった)。前述のように、貴族や地主を敵に回したことが致命傷となったのです。 pic.twitter.com/B2yjoiYbGJ

2021-02-26 17:17:23
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この時代、貴族が雁首を揃える上院(貴族院)は勿論、下院(庶民院)さえも一代貴族(准男爵)や爵位を持たない地主(ジェントリ)の牙城だったのです。彼らは19後半に至るまで下院議席の6割以上を占め、同世紀末にようやく1割に達した産業資本家を数の上で圧倒していました。 pic.twitter.com/WqXw8YzEmn

2021-02-26 17:17:52
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ここに至って委員会は戦術を根底から転換します。彼らは機関車に拘るスチーブンソンを解任、鉄道の動力を曖昧にします。そして英国屈指の財産を持つ在地の大貴族であり、実質的な運河の所有者でもあるスタッフォード侯爵ジョージ・ルーソン・ゴアを会社の大株主とすることで味方に引き入れたのです。 pic.twitter.com/AY717l1S0D

2021-02-26 17:18:20
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この工作は効果覿面で、貴族・地主連合は指導者を失い大きく切り崩され、翌年の議会審議では、下院・上院とも賛成が上回り、晴れてL&M鉄道会社が正式に発足する運びとなりました。 但し、上下両院とも蒸気機関車の使用に対し感情論的な否定派が多数を占めたという事実も見過ごせません。 pic.twitter.com/yYx7sRuQEV

2021-02-26 17:18:56
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1826年、スチーブンソンが主任技師に復帰し、総延長56キロに及ぶ鉄道の建設が開始されます。反対派の土地を避けてルートが設計されたため、不利な地形が多く、線路は湿地帯を埋め立て、山を切り崩し(或いは隧道を掘り)、長大な高架橋を架けるなど、工事は困難を極めました。 pic.twitter.com/d2OEw5tVW8

2021-02-26 17:19:28
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一方、鉄道の動力は大きな論争となります。機関車を推すスチーブンソンと、定置式エンジンを支持する一派が対立。後者は費用を推計し、初期投資こそ定置式が上回るものの、維持費が低いため2年で定置式が有利になると唱えました。 これに対し、スチーブンソンは1829年に機関車の競走試験を実施。 pic.twitter.com/VsGlyzQw1Q

2021-02-26 17:20:03
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レースに参加した4両の機関車の内、スチーブンソンが設計したロケット号(画像)は卓越した性能を発揮し、定置式エンジン派を沈黙させたのです。 かくして1830年9月15日、L&M鉄道は蒸気機関車によって運行される世界初の本格的な近代鉄道として開業しました。 pic.twitter.com/5mF8bxVWh7

2021-02-26 17:20:39
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オープニングの式典には宰相のウェリントン公爵(ワーテルローでナポレオンを破った元将軍)ほか閣僚、政治家、スタッフォード侯爵などのお歴々が参列し、スチーブンソンが運転する機関車に牽かれる列車に乗ってリバプール・マンチェスター間を旅しました。 pic.twitter.com/W0cBKinoKO

2021-02-26 17:21:11
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なお、L&M鉄道が世界初の近代鉄道とされる所以は、蒸気機関車の全面的な使用以外に、旅客と貨物双方を搬送した事、輸送事業に外部の業者を用いなかった事などが挙げられます。同鉄道は約2時間で二つの都市を結び、開業から3か月半で乗客7万人、貨物4千トンが運ばれています。 pic.twitter.com/V1nqcXrNVP

2021-02-26 17:21:43
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収入を見ると、1831年の乗客収入は10.2万ポンド、貨物収入は5.3万ポンド。10年後にはこれがそれぞれ15.1万ポンドと11.4万ポンドへ増大し、純利益は単年で13万ポンドに達しました。L&M鉄道は事前の予測を上回る大成功を収めたのです。特に乗客収入の多さは会社を驚かせました。(画像は三等車) pic.twitter.com/YUr26G6aQs

2021-02-26 17:24:53
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1830年代初頭、マンチェスターとリバプールはいずれも人口20万人を擁する英国第2と第3の都市であり、鉄道は潜在的な乗客輸送の需要を掘り起こしたのです(画像は一等車。馬車を3台つなげた構造をしており、欧州鉄道のコンパートメント席の原点になった)。 また、1845年の貨物輸送は20万㌧を記録。 pic.twitter.com/WZ2DEnZqBx

2021-02-26 17:25:28
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鉄道に脅威を感じた運河は段階的に約50%の運賃引き下げを行いましたが、それでも鉄道には敵いませんでした。その頃のL&M鉄道の綿花の運賃上限は1トン・1マイル当たり11シリング。対して運河は15シリング。鉄道は物資を安価に、そして遥かに早く運ぶことが出来たのです。 pic.twitter.com/LNuoqjTWAB

2021-02-26 17:26:00
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1824年のタイムズ紙に、次の様な文言を見ることが出来ます。「運河会社は、従来採用されていた広範囲の交通手段に取って替わった。もし、鉄道が運河より優れているならば、今度は運河が道を譲らなければならない。」(富田新 「イギリス鉄道業の生成と発展」) 今や、勝敗は明らかでした。 pic.twitter.com/u24nlrhNGq

2021-02-26 17:26:35
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L&M鉄道の建設には、74万ポンドの巨費が投じられました。このうち、橋梁・トンネル・築堤・線路敷設などの工事費用は50万ポンド(約68%)。他に、土地取得9.5万ポンド、機関車・貨車・客車8万ポンド、レール6.8万ポンドなどが挙げられます。レールが1割弱を占めているのも面白いですね。 pic.twitter.com/0mDpP82dGR

2021-02-26 17:27:07
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河川用蒸気船の導入で先行した米国が、鉄道では英国に後れを取った一因として、巨大な建設費用が指摘されます。蒸気船は川や既存の船着き場をそのまま利用できますが、鉄道はそうはいかず、膨大な資本投下を要するのです。では、L&M鉄道の資本はどのように供給されたのでしょうか? pic.twitter.com/kZ2ubt68vh

2021-02-26 17:27:41
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ここに興味深いデータがあります。会社設立時の職業別出資比率です。それによれば、①商人(商業資本)は43%、②製造業(産業資本)は3%。対して③貴族・ジェントリは40%。20年後の1845年には、①21%、②4%、③43%。会社が貴族や地主を味方につけたのは単に議会対策に留まらなかったのです。 pic.twitter.com/mthXl8J5Dj

2021-02-26 17:28:15
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貴族やジェントリのなかには、新時代の到来を理解し、積極的に適応を図る者が少なからず存在しました。工業の大部分が従業員100人以下の小企業によって営まれ、内部留保で事業を拡張していた当時にあって、鉄道の登場は、貴族・ジェントリへの格好の投資対象の出現を意味したのです。 pic.twitter.com/vCF9FHlvgv

2021-02-26 17:28:50
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L&M鉄道の開通以降、英国では急速に鉄道網の整備が進みます。1830年代と、40年代の投資ブームは特に後押しとなり、1850年代初頭に総延長は1万キロを突破。ブリテン各地の都市は互いに結ばれました。1860年、鉄道は1.4億人の乗客と7,500万トンの貨物を輸送し、2,200万ポンドの収入を得たのです。 pic.twitter.com/hcqxPWhEv1

2021-02-26 17:29:25
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HIROKI HONJO @sdkfz01

この時代の人々にとって、それはまさに革命でした。1840年代、急行列車は平均時速80キロ以上で運航するようになり、1860年代に入ると駅馬車で10日を要したロンドン・エディンバラ間の移動時間は、8時間に短縮。これは、1日か2日あれば英国の殆どあらゆる場所に移動できることを示しています。 pic.twitter.com/WIIs7InI5t

2021-02-26 17:30:10
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