【鉄道の英国近代史】-19世紀のモーダルシフトと「ジェントルマン資本主義」論-

19世紀前半、世界に先駈けて英国に登場した近代的鉄道。誕生の経緯と、その後の発展の歴史を、社会や経済との関わりを交え素描します。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

鉄道は短期間で最大級の産業に上り詰め、1840年代後半には鉄生産の20%、機械生産の10%を吸収していました。また、1865年のGDPは、鉄道が存在しなかった場合に比し、11%も大きかったとする推計もあります。そして、1847年には国民所得の7%、国内総投資の60%以上が国内の鉄道建設に注がれました。 pic.twitter.com/emOy50THUA

2021-02-26 17:30:45
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この巨額の投資には、貴族・ジェントリの資本が重要な役割を果たしています。例えば、ロンドン・バーミンガム鉄道の職業別出資比率は、1833年時点で①商人51%、②製造業者(産業資本)14%、③貴族・ジェントリ16%だったものが、1837年には①40%、②8%、③31%になります。 pic.twitter.com/wjB85m0Pnh

2021-02-26 17:33:21
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バーミンガムから更に北へ延び、L&M鉄道へ接続するグランドジャンクション鉄道は、1833年時点で①商人53%、②製造業者8%、③貴族・ジェントリ20%でしたが、1845年には①商人30%、②製造業者2%、③貴族・ジェントリ34%。 pic.twitter.com/R5juodtqSm

2021-02-26 17:33:55
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ダービーから北へ延びリーズに至るノースミッドランド鉄道は、1836年時点で①商人45%、②製造業者17%、③貴族・ジェントリ22%でしたが、1842年時点で①商人21%、②製造業者7%、③貴族・ジェントリ44%。 pic.twitter.com/iRv4A9h96p

2021-02-26 17:34:27
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ロンドンと西方のブリストルを結ぶグレートウェスタン鉄道(赤線)では、1835-36年時点で①商人28%、②製造業者8%、③貴族・ジェントリ42%。 pic.twitter.com/a4fli2tEXH

2021-02-26 17:35:04
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上記が示すように、貴族・ジェントリの投資は徐々に増加し、40年代には3~4割を構成するに至りました。 「鉄道経営が軌道に乗り出す四十年代の中頃から、特に地主貴族が鉄道投資に関心を持ちはじめて、全国の鉄道投資家の主流を形成するようになった」(湯沢威 「イギリス鉄道経営史」) pic.twitter.com/W85sZ5MsIr

2021-02-26 17:35:41
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実際、19世紀中葉の英国における貴族・ジェントリ層の財力は圧倒的でした。1858年からの20年で100万ポンド以上の遺産を遺した者は、製造業者13名、商人16名に対し、大地主は117名。彼らの豊かな資金は、世界初の国家規模の鉄道網を実現し交通に革命を起こす一方、旧時代の支配層を延命させたのです。 pic.twitter.com/8GQb1ldqrW

2021-02-26 17:36:43
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鉄道等への投資を通じて産業文明へ適応した貴族の典型例として、第7代デボンシャー公爵、ウィリアム・キャベンディッシュを挙げることが出来ます。英国北西部に位置する所領にある鉄山のため、彼は1846年に鉱石を港まで運ぶ鉄道を設置。これは大きな利益を上げましたが、公爵の野望は止まりません。 pic.twitter.com/yGwkmOunkz

2021-02-26 17:37:16
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1850年代から60年代にかけ、彼は海沿いに製鉄所や造船所を建設。公爵自身が取締役会長を務める鉱山鉄道は延長されて南北で外部の鉄道網と接続(ファネス鉄道、画像青)し、高炉用石炭の搬入と鉄製品の搬出に用いられます。彼は鉱山主であることに飽き足らず、自らの膝元に工業地帯を築いたのです。 pic.twitter.com/i1vsApe2CG

2021-02-26 17:37:51
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これこそは、後に巨大軍需会社ビッカースの企業城下町となり、戦艦三笠や巡洋戦艦金剛が建造されるバロー・イン・ファネスに他なりません。そして、ファネス鉄道会社は資金・資産の管理や、工業団地の都市計画、工場の運用を司る実働部隊の役割を担っていました。 (画像は引込線を備えた製鉄所) pic.twitter.com/e3LZnFJVJ4

2021-02-26 17:38:24
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新時代の波濤を迎え撃ち、乗り越える貴族がいる一方で、社会的に成功を収め貴族に「昇格」する実業家も存在しました。富を手にしたシティの銀行家が、土地や邸宅を購入し、零落した貴族と婚姻関係を結ぶ事例は夙に知られていますが、鉄道にも、そのような社会的「梯子」の機能があったのです。 pic.twitter.com/SDmS4gZZcX

2021-02-26 17:38:53
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例えば近代鉄道の萌芽であるS&D鉄道設立時の筆頭株主だった商人のエドワード・ピーズは、鉄道事業で財を成し、1830年の株主名簿にはジェントリとして登録されています。このように貴族・ジェントリには常に外部から新しい「血」が供給されていました。 pic.twitter.com/P99fCfaVwH

2021-02-26 17:39:25
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彼ら「新参者」は進んで貴族・ジェントリ的価値観を取り入れました。それは、田園地帯に広壮なカントリーハウスを構え、働かずに資産収入だけで豪奢な生活を営むことを至上とするもので、役職に就くとしても、生活の手段ではなく、名士としての高貴な責務(政治家、企業幹部など)と解されました。 pic.twitter.com/1rG66BsMnN

2021-02-26 17:39:55
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家督を継げない次男・三男などの場合、止むを得ず働くこともありますが、その場合でも、企業や官庁の俸給雇用者は嫌厭され(彼らにとっては使用人と同義であったため。なお、軍人や外交官は事情が異なる)、法律家や会社の経営層として報酬(賃金では無い)を得るのが望ましいとされました。 pic.twitter.com/ktCelCuQML

2021-02-26 17:40:26
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このような価値観は、マックス・ウェーバー的なプロテスタントの職業倫理とはかけ離れたものであり、また、「大企業の社員」になるのがステータスだった一昔前の日本人の感覚とも大きく異なるものですが、前述のように貴族・ジェントリ層は19世紀を通じて政治・経済に大きな影響力を保ったため、 pic.twitter.com/ces929Ya4j

2021-02-26 17:40:58
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英国の帝国主義は少なからず彼らの利益に沿う形で展開されていくのです(ジェントルマン資本主義)。即ち、国内の鉄道建設が一段落した1850年代以降、英国資本は海外への投資に活路を見出し、鉄道はまさにその中核を担うのです。それこそは、貴族・ジェントリ層の資産収入の維持に不可欠でした。 pic.twitter.com/AYXYdYDoLY

2021-02-26 17:41:30
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インド植民地では、行政当局が鉄道建設に対し、99年間の土地の無償貸与と5%の利子・配当を保障(このためインドの財政は大変な負担を強いられています)。これによって1880年には1.5万キロに及ぶ鉄道網がインドに形成され、ロンドン証券取引所に上場された証券は1872年に9000万ポンドに達します。 pic.twitter.com/9wMlOhu9OZ

2021-02-26 17:42:03
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これらの鉄道は、英国へインド産の茶や原綿、各種鉱物資源を輸出し、綿製品を輸入するのに使われると共に、非常時には軍隊を輸送することを期待されました。また、投資資金の実に1/3がレールや車両の購入代金としてイギリスに還流し、重工業の発展に貢献したのです。 pic.twitter.com/NSNnf0NZ9L

2021-02-26 17:42:32
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カナダ植民地においても、行政当局が鉄道の利益を保証し、1億ポンドを超える資本が流入。1886年には1.7万キロを超える鉄道網が出現しました。今やカナダの諸地域は鉄道で一つに繋がれ、西部への開拓・植民を促進するとともに、英国へ大量の木材・穀物、その他農林業産品の供給が可能になったのです。 pic.twitter.com/K0E5WVXpTW

2021-02-26 17:43:00
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「非公式帝国」(政治的・経済的従属地域)である南米にも膨大な資本が投下されました。経済成長の著しかったアルゼンチンの鉄道には1910年までに1.8億ポンドの英国資本が投下され(同国への投資全体の7割に相当)、総延長は1890年には0.9万キロ、1910年には2.9万キロへと躍進します。 pic.twitter.com/Vhy26iPGXd

2021-02-26 17:43:28
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英国の鉄道投資は、植民地や南米の開発途上国のみに留まりません。米国へも総額3億ポンド(1890年時点)が投下されましたが、これは同国の鉄道会社の資本形成額の実に3割に達しました。こうして米国南部の綿花プランテーションは東部の港湾に接続され、そこから英国へ供給されたのです。 pic.twitter.com/OEZzSNtiey

2021-02-26 17:49:23
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この他、ヨーロッパの鉄道へもかなりの金額が投下されていました。1850年代、ベルギーやフランスの鉄道会社の取締役会がロンドンで開かれるのは珍しくありませんでした。 (画像は運河会社の取締役会) pic.twitter.com/2zRh22OT54

2021-02-26 17:50:06
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1863年、ロンドン証券取引所の証券総額に占める鉄道のシェアは国内15.3%に対して海外12.7%(計28.0%)でしたが、1893年には国内13.0%、海外23.7%(植民地3.3%、アメリカ11.3%、その他外国(南米と欧州)9.1%)となり、国内外の鉄道が上場する証券(株券+債権)の36.7%を占めるに至ります。 pic.twitter.com/8lAt4jNWZT

2021-02-26 17:50:40
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この頃、英国の総投資の半分が国外へ向かい、更にその半分が(海外の)鉄道に投下されていました。

2021-02-26 17:51:01
HIROKI HONJO @sdkfz01

その後も英国の海外鉄道への投資は増大し、1913年にはインド1.4億ポンド(残高)、その他植民地3.1億ポンド、米国6.2億ポンド、その他外国4.6億ポンドに達します。 車両や、その保全用設備は植民地だけでなく欧米へも輸出され、レールは世界商品にまでなりました。 pic.twitter.com/MJNWoxR2WM

2021-02-26 17:57:38
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