脱レポート宣言!&CCSの意義

セラピスト養成校における実習とはどうあるべきなのか。 現行の実習からさらに一歩前に進むためのつぶやきまとめ。 各地域からあたらなムーブメントが出てきて欲しい。
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F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言①】臨床実習場面では、「(従来の)学生の担当患者」は不要である代わりに、クリニカル・クラークシップに則り、指導者は自らの作業療法場面を学生に見せ、「どのような評価結果に基づき実施しているか」という正当な根拠を口頭で説明する。

2011-07-18 23:11:11
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言②】学生は口頭説明を受けて、「他に方法はないのか」「どのような評価が必要か」ということを考え、実習記録(Daily note)に記載する。

2011-07-18 23:12:22
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言③】下記の①と②を繰り返し行い、学生が理解(納得)するまでディスカッションを行い、必要であればMind Mapを用いて視覚化する。

2011-07-18 23:13:36
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言④】臨床実習は「作業療法士としての思考過程を身につける場」であり、人の揺れ動く心情を無視して経過を文章化させ、「てにをは」を指摘するのは単なる国語の指導でしかなく、作業療法とは全く無縁である。

2011-07-19 21:34:53
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑤】臨床実習指導にア・プリオリに正しい方法などは存在せず、その妥当性は関心や目的に応じて規定されるべきで、方法(レポート)が手段である以上、「実習の常識」は再考されるべきだ。

2011-07-19 21:38:10
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑥】「学校の講義は理想論。現場を見ろ!」という某SVの見解は、急性期だろうが、地域在宅であろうが、「重要で意味のある作業」のもつ意味について、臨床応用という形で学生に示し、学ばせる機会を与えないことと同じである。

2011-07-22 11:43:43
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑨】「レポート作成にもメリットがある、全てが無駄だと思わない」…という意見は、単なる機能主義や心理主義であり、学生目線ではなく「自分の経験則」以外の何者でもない。つまり、指導者は学生に対して実習レポートを課すための合理的な説明はできないのだ。

2011-07-25 10:20:20
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑩】臨床実習が臨床教育へと繋がらない最たる原因、それは「権威主義」だ。指導者の「対養成校」「対学生」のそれは、対等、平等、公平を否定する。プロも最初は素人、共助互恵的な視点がないままのレポート指導や一方的な知識伝達は、学生にとって苦痛以外に何も残さない。

2011-07-25 11:07:14
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑪】臨床場面(現象)を理解するためには、現象をより捉えやすい諸要素に分解し、各要素間にどのような関連があるかを吟味するという「微分論」が必要なのだ。そのためには、レトロスペクティブに経過をまとめるというレポートは全く逆の発想であることに気づくべき。

2011-07-27 08:59:32
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑫】このような考え方(脱・レポート宣言)は、眼前の現象の捉え方を方向づけるという発想になり、Assessment(作業療法の効果判定)を進めていくためのエネルギーになる。つまり、拡散的思考が促進される、学生にとっては机上では学べないことが体験できるのだ。

2011-07-27 09:02:26
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑬】脱・レポート宣言は「概念枠組み(Conceptual framework)」」であるが、これは作業療法実践枠組みと同義と捉えても良い。「レポート評価優先信仰」のSVは、臨床教育における適切な概念枠組みを設定し、その設定理由を説明することが困難なようだ。

2011-07-27 09:04:49
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑭】作業療法で行う「作業」がもたらす効果や影響すべてを予測することはできず、この偶然性を対象者と学生が共に味わい、「作業療法も捨てたもんじゃないな・・・」と思えるところが臨床実習(教育)の醍醐味である。これは具体的体験であり、紙面上では絶対に味わえないのだ。

2011-07-27 09:08:20
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑮】レポート信奉者は、「学生にはトップダウンは難しい」と言う。だからといって、「学生はボトムアップ」という論理には繋がらないはず。紙面上の解釈はいくらでも加筆修正できるが、担当患者にはそれができないことは当然だ。そこに時間を割くのではなく、今の現象を重視すべき。

2011-07-28 10:37:48
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑯】権威主義的指導者と学生の緊張関係は、学生の対患者関係に投影されることが多い。このような状況下で、「レポート作成」と「(指導という名目での)レポート指導」では、その関係性はより一層強化されるだけだ。結果的に「辛い実習」となり、それが次の権威主義を生む。

2011-08-01 16:32:37
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑰】エビデンスという概念を、単に客観性としか捉えていない指導者は少なくない。眼前の現象は数値だけでは語れず、バイアスに溢れている。この手続きに厳密性が求められるのが「効果判定」であるが、これにはレトロスペクティブなレポート作成は全く寄与しないことは明白だ。

2011-08-01 16:37:50
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑱】CCSを導入するにしても、担当患者制を継続するにしても、それは実習形態の違いであって、「臨床教育の本質」は共通なのだ。学生は「考えながら学ぶ」のであり、「考える」という原理原則を「道具」として使いこなすことが臨床教育醍醐味だろう。この体験こそが重要なのだ。

2011-08-01 16:48:41
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑲】「レポート指導は伝統だ」というレポート信奉者は、「伝統とは、進歩・成長・発展をやめた瞬間から伝統は始まる」ということを理解していない。つまり、「流動的な現象を須く受け止める多種多様な方法論を持っていない」と公言しているのと同義だ。レポートは異質な伝統なのだ。

2011-08-01 16:59:10
F.TAMURA @fumitter88

【脱・レポート宣言⑳】臨床場面では積分的な発想は往々にして、相手の不興や離反を招くことが多い。「今、ここで」という微分的発想が不可欠だ。それはポートフォリオにはなっても、時系列的な整合性を伴うことはない。時間横断的な紙面上の俯瞰ほど、臨場感に乏しいものはない。レポートの限界だ!

2011-08-01 17:05:38
F.TAMURA @fumitter88

「脱・レポート宣言(第二弾)」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/169100

2011-08-01 17:13:47
B @tokyo_19

これから当院の臨床実習の基本スタンス確立に向けたミーティングを実施予定。業界の趨勢、クリクラ、脱レポート宣言の紹介、指導者側として評価されよう、という要点をまず提案する。

2011-08-05 12:52:12
日高正巳 @pthidaka

すばらしいことですね。いい実習にむけて、活発な議論がされることを期待。RT @tokyo_19: これから当院の臨床実習の基本スタンス確立に向けたミーティングを実施予定。業界の趨勢、クリクラ、脱レポート宣言の紹介、指導者側として評価されよう、という要点をまず提案する。

2011-08-05 17:01:57
F.TAMURA @fumitter88

脱・レポート宣言中の学生が、遂にADOCデビューを果たしたそうだ。作業が特定できて、トップダウンでの道筋がついたと喜びの連絡があった。やはり、臨床実習は「臨床教育」の場として、学生の成功体験の場でなければならない。

2011-08-08 18:54:49
D_o_T @Daisakuchan

脱レポート宣言。最近ではよく聞く。確かにレポートが必要とは思はないが、臨床実習を熱く語る人ほど臨床で働いていない。

2011-08-08 21:33:58
日高正巳 @pthidaka

【CCS研究会】 コアメンバー会議で熱い議論だった。 現状を考えても、臨床実習はCCSで行うしかないことは明瞭。 CCSは実習施設がないからお願いする方法 って、 そういう変な認識の教員がいるからおかしくなる。

2011-08-11 01:18:08