- arishima_takeo
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そんな彼らの開き直りというか正当化としてですね、負けてゆくその名も内海文三―—偶然ながら、絶妙なネーミングですね。私はこの「ぶんぞう」を「文Ⅲ」と読んでますけど(笑)―—というこの主人公に皆が皆、思い入れしてきたんじゃないか。by浅羽通明『野望としての教養』88
2021-06-20 18:11:23「ヤブ医者」って言葉がありますね、「ヤブ」ってどういう字を書くかっていうと、「草藪」の「藪」だろうって思うかもしれないけど違いますね。「野巫医者」と書きます。この「巫」って何かというと、「巫女」の「巫」ですね。by浅羽道明『野望としての教養』137
2021-06-20 20:02:32「近代の実学でない知には、こういうところがある。だから、「金田一」って「近代知」なんじゃないかなんて思うんですけど」(浅羽通明『野望としての教養』475)。金田一耕助モダニティ説。
2021-06-22 20:48:11「日本の「世間」において、著者のようなフリー業者はクレジット・カードの査定からすらオミットされている。また警察の不審尋問に名を借りたいやがらせetcを免れるためにも、大学講師の肩書きはぜひとも欲しいものだった」(浅羽通明『野望としての教養』502)。へぇー。
2021-06-22 21:01:39浅羽通明『野望としての教養』読了。博学の数珠つなぎともいうべき講義録。面白かったが、『無責任の新体系』と真反対の結論で、いや本人からも言われたことがあるのだが、改めて苦笑してしまった。拙著は共同体から「浮いて」、独りになることが大事だという本なので。
2021-06-22 21:11:06なんだろう。個我に目覚めた知識人と世間の空気に従う大衆という対立が通底していると思うんだけど、まずその知識人連中がマジで個我に目覚めているかっていうとそうではなく、だいたいは知識人共同体の空気に従って生活しているわけじゃないですか(オリンピックに反対しておくと大体安パイ的な)。
2021-06-22 21:18:48で、そいつら自慢の普遍性は所詮は張り子の虎だってところに一つ危機を見てると思うんだけど、でも狭いサークルが自分たちのノリを常識と過信するのは、知識人共同体に限った話ではないのではないか(上司がいう「社会では通用しないぞ」)。
2021-06-22 21:23:37つまり、マクロには塊に見える大衆も、細かくみれば諸共同体の諸々のノリで分断されており、知識人共同体(狭いのに広い勘違い)と事情は同じなんじゃないだろうか。
2021-06-22 21:26:33その上で、大学に代表される知識人共同体の危機の問題も、もちろん後退戦を歩んでいることには同意するが、当の権威主義が崩れ去るかというと、どうだろう。最後の一線でそういうものが残る、しかも大衆の側が、よく知らんが正しいんでしょ的なテキトーな理由で権威主義を欲望するんじゃないのか。
2021-06-22 21:31:08オルテガのいう大衆の時代にはむしろひきこもりの専門家が幅を利かすってのはまさにそういう話だったのでは。記憶で書いているが。
2021-06-22 21:33:28私の本では、個我が各人のコアとしてある…のではなく、個我はある共同体にいるときの私と別の共同体にいるときの私のあいだの偏差として存在するという仕掛けになっている。言い換えれば、諸共同体を通過していくことが前提/推奨されている。 twitter.com/arishima_takeo…
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