2021.07.18 青天を衝け(23)「篤太夫と最後の将軍」放送後の桐野作人先生による解説ツイート

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桐野作人 @kirinosakujin

本日の大河ドラマ「青天を衝け」大政奉還編。いよいよ将軍慶喜の大政奉還でした。慶喜がなぜ政権返上を決断したのか。慶喜は幕臣たちを前に政権返上の理由を語っていましたが、実際の朝廷への上表文とほぼ同じでわかりやすくしたものです。草なぎ氏も台詞覚えが大変だったのではと推察。#青天を衝け

2021-07-18 22:02:37
桐野作人 @kirinosakujin

慶喜の上表文は200余年の武家政治の失政と自分の薄徳があり、これからは「朝権一途」のため政権返上して「広く天下の公議を尽くし聖断を仰ぎ、同心協力すべし」と表明しています。じつに見事な辞表です。もっとも、その決断の裏には幕府がこのままではもたないという危機感あり。#青天を衝け

2021-07-18 22:02:37
桐野作人 @kirinosakujin

当時の慶喜の危機感や情勢認識はどういうものだったか。それを示しているのが、王政復古派の公家、正親町三条実愛の手記に、大垣藩士の市川元之助の言葉として語られています。 「水会以下人数一万有之故、薩二千位は攘は、易きことに候へ共、本国大国故、敵にはなしかたきこと」 #青天を衝け

2021-07-18 22:02:38
桐野作人 @kirinosakujin

その意味は「水戸・会津の在京人数は1万人なので、薩摩藩の2000人を打ち払うことは容易だが、本国は大国なので敵にはできない」というもの。付け加えれば、薩摩藩は大国のうえ遠国でもあることでしょう。長州再征でさえも勝てなかったのに、さらに遠い薩摩まではとてもとてもという訳。#青天を衝け

2021-07-18 22:02:38
桐野作人 @kirinosakujin

慶喜はたとえ京都で勝利しても、薩摩までは攻めていけず、戦乱が長期化することになり、外国の干渉を招きかねないから、戦争で決着をつけられない。だから、政権返上するしかないという理屈でしょう。慶喜は決して楽観せず、冷徹な情勢分析をしたうえでの決断だったことがわかります。#青天を衝け

2021-07-18 22:02:39
桐野作人 @kirinosakujin

本日の大河ドラマ「青天を衝け」大政奉還編02。大政奉還についてはいろいろ誤解があります。まず有名な二条城二の丸御殿の絵があります(聖徳記念館絵画館所蔵)。あれは10月13日、幕府が諸藩の大名を召集したときではなく、前日12日、主だった幕臣を集めたときを描いたものです。#青天を衝け

2021-07-18 22:49:34
桐野作人 @kirinosakujin

12日には慶喜が最初から出座しましたが、翌13日には老中が諸藩代表に政権返上を告げたのち、意見がある者は残れとなり、小松帯刀、後藤象二郎ら6名が居残ってから、初めて慶喜が出座したという流れです。この日のことは重要でよく知られていますが、前日12日はほとんど知られていません。#青天を衝け

2021-07-18 22:49:34
桐野作人 @kirinosakujin

では、12日はどうだったか。この日は大名は老中、守護職、所司代くらいで、あとは大目付、目付、禁裏附、町奉行など主だった公儀の面々が総登城を命じられています。卯の刻(午後6時頃)から慶喜も出座しました。ところが、深更になっても誰も下城せず、松平容保が下城したのが七ツ半(午前5時頃)。

2021-07-18 22:49:34
桐野作人 @kirinosakujin

それから追々、下城し始め、東雲頃、つまり夜が明けた頃ようやく下城が終わったとのこと。じつに12時間くらいも城内に留まっていたことになります。慶喜が長演説したらしいですが、政権返上にほとんどの幕臣が青天の霹靂だったはずで、不平不満が噴出して大激論になったか、#青天を衝け

2021-07-18 22:49:35
桐野作人 @kirinosakujin

あるいはあまりの衝撃に呆然自失となったか、詳しくは不明ですが、どうも慶喜の宣言に不満を抱きつつも服従したというのが実情らしい。例外はドラマにも登場する渋沢成一郎(目付支配書役)は意気軒昂で御三家の紀州家はじめ尾越など親藩にも働きかけ、幕府に抵抗する諸藩を鎮圧すべし、#青天を衝け

2021-07-18 22:49:35
桐野作人 @kirinosakujin

『七年史』によれば、渋沢の訴えに、滝川具挙、竹中重固、平山敬忠など有力幕臣が賛成したようで、その後、会桑とともに強硬な主戦論を唱えるようになります。翌13日早朝、会津藩公用方の小野権之丞は慶喜を訪ねて、慶喜の参内に護衛という名目で会津藩兵を同道させたいと訴えました。#青天を衝け

2021-07-18 22:49:36
桐野作人 @kirinosakujin

小野の真意は会津藩兵の武装参内であり、軍事的威圧に恐れをなした朝廷が慶喜の政権返上の上表を受理せず大政再委任を引き出し大政奉還を骨抜きにすることでした。しかし、慶喜は小野を叱りつけ会津藩兵の同行を拒絶しました。慶喜の政権返上はドラマで岩倉が述べたように、策略ではなく本音でした。

2021-07-18 22:49:36
桐野作人 @kirinosakujin

大河ドラマ「青天を衝け」小御所会議編。王政復古政変での有名な出来事だが、これにもよく知られた通説への疑問や誤解がある。まず睦仁天皇(明治天皇)出席の御前会議だとされているが、会議には天皇は不在だったと薩摩藩家老の岩下佐次右衛門が明治になってから回想している。#青天を衝け

2021-07-18 23:31:11
桐野作人 @kirinosakujin

岩下は政変当日、禁裏御所に詰めていたから信憑性がある。 次に山内容堂が徳川慶喜を擁護し、会議に招かないのはおかしいと岩倉具視に反論した一件。容堂が「みだりに幼冲の天子を擁し、権柄を盗み取ろうとしている」と批判したのに対して、岩倉が「幼冲の天子」とは帝をないがしろにしていると反論。

2021-07-18 23:31:11
桐野作人 @kirinosakujin

岩倉に不敬だと反論されて容堂が沈黙したと『岩倉公実記』にあるが、多少盛ってある感あり。福井藩の『丁卯日記』によれば、容堂にまず反対の論陣を張ったのは大久保一蔵とある。大久保は慶喜に官位と領地の返上を命じて、慶喜が不満を見せず従えば、速やかに参内を命じてもよい、#青天を衝け

2021-07-18 23:31:11
桐野作人 @kirinosakujin

もしそれを拒絶したら慶喜の譎詐であり、厳重に辞官納地を行い、その罪を問うべきだと主張。そのあと、岩倉が大久保のあとに意見したとある。容堂・春嶽VS大久保・岩倉の対決構図であり、決して岩倉が主役ではなかった。ドラマはそのあたりを勘案して岩倉を目立たせなかったのはお見事。#青天を衝け

2021-07-18 23:31:12
桐野作人 @kirinosakujin

もっとも、大久保の舌鋒は鋭かったが、やや強引の気あり。薩摩藩は大政奉還の段階では、小松帯刀の活躍もあって、慶喜の「反正」(失政への謝罪・反省)を認めていた。王政復古政変は小松不在の下で決行されており、大久保・西郷の暴走ともいえる。#青天を衝け

2021-07-18 23:31:12
桐野作人 @kirinosakujin

のちにその反動が起こり、松平春嶽や尾張慶勝らが慶喜を京都に復帰させるべきだと主張、辞官納地も徳川だけに押し付けるのはおかしいという議論が起こり、大久保・西郷は孤立する。両人は失脚するか否かの瀬戸際に追い込まれた。そこで江戸での薩邸焼き討ち事件が起きる。#青天を衝け

2021-07-18 23:31:12
桐野作人 @kirinosakujin

事実上の幕薩開戦だった。これもまた、西郷が仕組んだ謀略だという通説があるが、誤解である。大政奉還以前では、西郷らは江戸での挑発を命じていたが、大政奉還が実現してからは挑発行動を中止するよう、益満休之助や伊牟田尚平に再三命じていたが、彼らは暴走した。それが結果オーライとなる。

2021-07-18 23:31:13
桐野作人 @kirinosakujin

ドラマでは江戸城二の丸放火事件を取り上げ、映像でも火災シーンがあったのは初めてかも。これは伊牟田尚平が天璋院付きの女房に手引きさせて放火したともいう。その際、伊牟田はマッチを使ったという。わが国初のマッチでの放火かも。どうでもいい話題です。#青天を衝け

2021-07-18 23:31:13
桐野作人 @kirinosakujin

昨日の大河ドラマ「青天を衝け」慶喜の大政奉還の上表は、彼の歴史認識も含まれていて興味深い。現代語訳すると、 「臣慶喜、謹んで皇国の時のめぐり合わせを考えるに、昔、王の政治の大綱が緩み、相家(摂関家)が権を執り、さらに保平の乱(保元・平治の乱)で政権が武家に移ってから、#青天を衝け

2021-07-19 09:43:52
桐野作人 @kirinosakujin

祖宗(徳川家)に至り、さらに寵眷(寵遇)を蒙り、二百余年子孫が引き継いだ。そして臣(慶喜)がその職を奉じるといえども、政刑(政治と刑罰)が当を失うこと少なからず、今日の形勢に至ったのも、畢竟(結局)、(慶喜の)徳が薄いためであり、慚愧に堪えない。況んや当今外国の交際、(続く

2021-07-19 09:43:52
桐野作人 @kirinosakujin

日に盛んになってきたことにより、朝権一途にならなければ(朝廷と幕府の並立を否定)、綱紀は立ちがたいので、従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し、広く天下の公議を尽くし、聖断を仰ぎ、同心協力、共に皇国を保護すれば、必ず海外万国と並立するでしょう。臣慶喜は国家に尽くすところ、#青天を衝け

2021-07-19 09:43:53
桐野作人 @kirinosakujin

これにすぎないと存じます。去りながら、なお見込みもあれば、申し聞く旨、諸侯へ相達しおきました。これにより、この段を謹んで奏聞致します。以上」 これは10月14日に朝廷に提出したものだが、日本の政治の流れが、天皇→摂関家→武家→徳川家に移ったと、慶喜が認識している。#青天を衝け

2021-07-19 09:43:53
桐野作人 @kirinosakujin

さらに自らの失政を認めて徳川家は諸侯の列に降ることを明らかにし、「公議」を重視し「聖断」を仰ぎ、もって「万国対峙」を実現するとして、当時の重要なキーワードを使用している。これは慶喜に限らず、薩長や越土などの諸藩でも共通認識であり、反対する勢力はまずいないだろう。#青天を衝け

2021-07-19 09:43:54