- southmtmonk
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微博をのぞいたらこんな映像が上がってました。youtubeにあるのかもしれませんが。六字真言 http://t.co/cixPe0p
2011-08-18 03:04:50ものすごく基本的なことだけれども、仏教の修行法にはたくさんのバリエーションがありますから、自分のやっていない乗の行法について、やってもいないくせにとやかくいうのは止しましょう。
2011-08-18 01:23:55ダライ・ラマは、明日から観音の六字真言を唱える籠り行に入ろうと誓願を立てに来た人がいたら、「空性についての正しい理解なしに真言行をしては、トランス状態と悟りを勘違いしてしまう」とは説かずに、観音菩薩の真言の御利益について説くでしょう。
2011-08-18 01:24:15なんてすいません。明日から念仏の籠り行に入ろうとしている在家の行者さんに、大寺院の学問仏教の言説を押し付けて水を差している人がいてちょっと辟易したので。南無阿弥陀仏。
2011-08-18 01:27:55@goyou @10Qwaka これはインド・チベット・シナでも日本でも、どこでも同じ。ただし、これに反対する人がどこでもいたことも事実。そういう人は、経典より、部派的に世俗的言語習慣としての論理的整合性を尊重するだけの話。そもそも空性は、その論理的整合性を超えていることだとおも
2011-08-18 09:38:35@goyou 真宗では一念三千の論題があるので、念仏の篭り行は禁止です。親鸞聖人がお聞きになったら、笑うか、怒るかどっちかだろう。たくさん念仏することは禁止という風潮はなんとかならないかなあ。
2011-08-18 07:09:03@a368304 さっき念仏行をするという人に、トランス状態と悟りを混同してはならないみたいなことを言ってたのもゲルク派の人でしたよ(笑)
2011-08-18 07:43:53@goyou @a368304 ゲルク派が観音真言をすすめないということはありませんよ。そもそも教えなくても知ってるのが六字真言でしょ。
2011-08-18 08:59:59@goyou 行をするとする人しない人の区別ができてしまい、差別することになるから、差別思想だという話です。南無阿弥陀仏は、行として称名なら差別で、行でなく念仏なら差別にならないというややこしい理論です。昔は普通にみんなで念仏できたのに、残念です。
2011-08-18 11:22:12@kadzukhi 宗教社会学的な視点を全く持たずに特定の宗派の論理学だけをやってきた研究者達は、その宗派が犯した社会的な問題について責任を負わなければならないと思っています。
2011-08-18 07:58:12@goyou 私自身にも痛く響く言葉です。本来あった姿を「論理学・哲学」のみに傾けて、民衆と乖離させる傾向が、確かに見られる気がします。「猟奇的な部分ばかりを重視する」という傾向に対する反動とも思えますが。
2011-08-18 08:02:00@kadzukhi 学僧達の言うような邪淫と呪殺ばかり繰り返すような「猟奇的な部分ばかりを重視する」傾向なんてものが、はたして実際にあったんでしょうか?そこから検証していかないといけないようにも思うんです。
2011-08-18 08:05:28@goyou 今の私の考えでは、寧ろ日本の学者達の中にある部分が問題では無いか?と思います。ラマ教という名が今でも年配の研究者からポロっと出たり、逆に「民衆的な部分」を「邪淫」として必要以上に退けたり、と。
2011-08-18 08:08:40@goyou @10Qwaka 「確信を持って祈ることで誰しもが空性を体験し極楽往生できるという考え方です」違います。思想とか考え方とか見解ではない。特にアミダの念仏は、アミダの誓願によってアミダを念じたり唱えただけで極楽浄土に行けるというのが特徴。空性の理解を問わない所がすごい
2011-08-18 09:35:08@tonbani @10Qwaka アミダの念仏は、アミダの誓願によってアミダを念じたり唱えただけで極楽浄土に行けるというのが特徴。ジェ・リンポチェもབདེ་བ་ཅན་དུ་སྐྱེ་བའི་སྨོན་ལམ་ཞིང་མཆོག་སྒོ་འབྱེད་で同様のこと言ってませんか?
2011-08-18 09:55:47@ooo157 僕が「確信」という言葉を使ったのは、阿弥陀如来の救済力に絶対的な信心を抱くことを言おうとしたんですが、不適切な用語だったでしょうか?
2011-08-18 09:59:33@goyou それなら同意見ですが、「確信を持って祈ることで誰しもが《空性を体験し》極楽往生できるという考え方です」は誤解を招く表現ですね。アミダの誓願の凄いところは、五逆でなければ念じれば誰でも浄土に往生でき、そこで正覚に決定できることです。それが何にもまして素晴らしいところ
2011-08-18 10:15:26