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日本は宝石自体は出る国なのでますます分からない。宝石と金銀はなんか主に仏像とか刀剣とかになった。あとは簪。江戸時代には箱簪という胸元に挿す飾りとか帯留めとかも登場したし、男性は根付けや煙草入れを身につけたけど、宝石への関心は驚くほどないです
2021-09-05 22:41:07
これは本当に謎。 奈良時代までは髪飾りはもちろん首飾り腕輪指輪耳飾り全部あったのに、平安初期はかろうじてあったらしい簪もふくめ装身具すべて捨て去っている。 江戸時代にようやく髪飾りは復活してるけど、肌にふれる装身具は結局明治の西洋文明が入るまで復活しなかった twitter.com/sv_g8/status/1…
2021-09-05 23:31:35
明治に開国した後は和服にジュエリーを合わせる人は一気に増えましたよ~。当時の絵をみるとイヤリングをしていたり、あとは和服に指輪も流行ったし、半襟に宝石をつけるのも大流行しました。けどそれは逆にいうと「なんでそれまで流行らなかったの?」であってな……
2021-09-05 22:53:36
なお和服アクセサリーの例として、明治時代には金の鎖の先に懐中時計を付けて、ネックレスのように首からかけるのが流行しました。あとは半襟をおおきく出して着物を着て、合わせの部分を小さなブローチで留めるという着こなしもあります。文明開化でアクセサリーを満喫していた様子がよく分かる。
2021-09-06 00:33:18
弥生時代とかは出土品見ても着けてるのに、その先の平安以降はアクセサリーを着ける文化が廃れてるんだよな。確かに謎。着物の形だと邪魔になるからかな? twitter.com/sv_g8/status/1…
2021-09-06 01:11:12
古代日本にはかなりはなやかな装飾品の文化があったのに、どんどんとそれらが廃れていって、首輪や指輪、耳飾りなどが消えていき、髪飾りばかりが豪華になっていった感があるの、すごく不思議なんだよね。
2021-08-23 12:36:05
指輪腕輪は陶器や漆器が傷付かないようにじゃないかなぁと。陶器も漆器も高かったし、土物は柔らかい。耳輪は垂髪メインになった頃から耳を出さないのが嗜みだった気がするからそれでかな。ネックレスはわからない…。 twitter.com/sv_g8/status/1…
2021-09-06 00:37:24
現代においても、和服にネックレスやブレスレットは合わせないし、せいぜい耳飾りくらい? それも割とカジュアルな装い限定な気がする。髪も大きく結わなくなったから、髪飾りもどんどんシンプルになっているし…。 まあ、日本の気候風土的に、装身具が合わないのかもねえ…。高温多湿だもんね…。
2021-08-23 12:39:09
高温多湿で他の地域に比べれば比較的に水との接触が容易だった日本では、水分を吸う素材ではないものが肌に直接触れることが敬遠されたのではないか、って『図説 指輪の文化史』(浜本隆志著、河出書房新社)に書いてあった。 twitter.com/k_maya/status/…
2021-09-06 00:55:01
飛鳥時代までは『玉帯』といって革のベルトに金属や宝石の装飾をつけたものが一般に用いられていたんですが、平安時代ぐらいにはもう一部の装束で用いられるのみになりましたね…… これはどんな本を読んでも「謎」と書かれているので、きっと今後も長く謎で在り続けるんだとおもいます
2021-09-05 22:46:05
着物はガウン状でボタンがついていなくて前でうちあわせて帯で留める服、っていう東北アジアにひろがってる形状の服の一種なんですが、これが中国とか韓国とかだと銀のアクセサリーをちゃんと付けるんですよ。韓国や中国は帯から下げる飾りを付ける。日本はなぜかそれもない。
2021-09-05 22:44:44
急になくなったあたりの理由が謎なんですよねー。そのころに遣唐使が廃止されてるからガラパゴス化が進んだのかもしれません。でも日本は金も銀も出る国だし、仏具や刀葬具を見るとおり加工技術もあったのに、なんでか装身具だけが消滅したのかはわからない。
2021-09-06 01:13:43
遣唐使が廃止され、唐から品物が入り難くなったことで国風文化が形成され、その中には唐風衣装だった女性の装束が十二単への移り変わりもあるのよね。 十二単の唐衣と裳は唐風装束のなごり。 twitter.com/k_maya/status/…
2021-09-06 02:02:44
この話に関連したさらにややこしいトピックとして、日本に隣接していた琉球王国・アイヌ民族の双方がジュエリーを身につけていたという話があります。特にアイヌ民族の女性が身につけているタマサイという首飾りは、かつては日本刀の鍔を使って作られていたという。
2021-09-06 01:07:08
あとジュエリーに対して言われていたのが、日本は土地と人との結びつきが強いから宝飾文化が発展しなかったのでは、ですかね。宝飾品は古来貴金属を持ち歩く=財産を持ち歩く、という意味合いが強いので移動が多い国ほどジャラジャラ身につけます。現代でも日本だと資産として宝石見てる人少ないでしょ
2021-09-05 23:41:14
宝飾品は動産という観点を外して見ることはできないと思っています。インドだと昔は女性が所有することができる財産は自分で身につけているジュエリーのみだとされていたため、花嫁衣装だと全身をずっしりと黄金で覆うというぐらいにジュエリーを纏います。中央アジアの女性もすごい重量の銀を付ける。
2021-09-06 01:40:09
平安時代に入って、国風文化の普及とともに姿を消したのよね、装飾品。 それまでは冠も耳飾りも腕輪や指輪もあった。 冠は一応、天冠が残っているけど宗教装飾の面が強いし。 確かに謎だわ。 twitter.com/sv_g8/status/1…
2021-09-06 01:20:59

奈良時代の女性の地位に詳しくないんだけど、平安時代に入ると高貴な女性は外に出ずに家族や婚姻相手にしか姿を見せなくなるので権威の現れである首飾りや耳管を付ける必要がなくなったのかなぁと言う想像はできる。遣唐使の廃止以降だろうけど、服飾史ではどう考えられてるのかは確かに気になる twitter.com/k_maya/status/…
2021-09-06 00:19:34
服がでかくながくなって首腕指はみえなくなって邪魔ですし、髪の毛おろすから髪飾りも耳飾りもみえないんですよね…江戸時代になって髪を結うようになってかんざしその他に全振りなのもうなずけるというか twitter.com/k_maya/status/…
2021-09-06 00:25:10
どっかのタイミングで布地に価値を見出してしまった結果、アクセサリーを付ける余地がなくなったってのはあると思います。だって金のジュエリーは付けてないけどお着物には縫箔も施すし金糸で縫い取りもするもんね。
2021-09-05 23:06:52