平安貴族が騎乗してた「シマウマ」(島馬)とは何か?古代日本の馬は島などの低湿地で飼育され、島伝いに沖縄まで「島の牧」が伝わってたことが分かった

島・河口などの低湿地で飼われていた古代日本の馬の歴史!当時の馬はどんな草を食べていたのか?
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追記
2021年9月18日に追記したツイート

巫俊(ふしゅん) @fushunia

馬は、湿原の環境に向いてる動物では無いそうなので、古代の「島の馬」の生育環境が気になるところですが、古代の管理技術や色々な条件では「島」や「河口」で馬を育てるのが「最適」だったということです。かなり不利な条件なのに「最適」だったのには事情があるということですね。

2021-09-18 21:40:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代は日本の人口も中世後期よりずっと少ないので、馬が逃げないように管理するのに「低湿地」「島」が向いてたってこともあると思いますし、高原などの適地は古代には森林が多く残っていて、それらの伐採が進んで土壌が流出し、草地になることで「馬の飼育」に有利な高原の環境が整備されていった。

2021-09-18 21:43:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代の日本で馬に食べさせる植物を確保するには、低湿地が適当で、そうした理由から「島の馬」が生まれたのだと思います。馬の飼育が日本列島に広がったのは古墳時代の5世紀ですから、古代においてはまだ新しい伝統で、馬に関する知識も相対的には不足してた可能性がありますね

2021-09-18 21:49:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

世界の各地では、必ずしも馬が「最適」な飼育環境で飼われてたとは限らなくて、とくに酷暑のインドでは馬に関する適切な知識が欠いた状態で馬を輸入するものだから、どんどん馬が死んでいったという故事もあります。

2021-09-18 21:51:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それに古代の日本は、匈奴と接してた漢帝国などとは比べ物にならないくらい、「馬飼育技術で優勢な敵対勢力による脅威」から解放されてましたので(蝦夷という馬を使う敵が成長しつつありましたが)、「弱い馬」であっても相対的には「弱くなかった」と思われます。

2021-09-18 22:19:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ただ、平安時代になると陸奥国の馬が、京では高値で取引されたことがありまして、伊賀国の馬の方がもっと安かったとありますので、通説的な感覚で知られてる「より適切な環境で飼われていた馬」も既に出現していたはずです。

2021-09-18 21:55:58
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