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toshi3636_1
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以前、佐賀新聞社長の中尾清一郎さんとエジプトに行ったとき、ピラミッド内部の幾何学的構造の精緻さに驚いた。そして、博物館でツタンカーメン王のお墓の副葬品を見たとき、その精巧さと美しさにまた驚いた。
2021-10-25 07:19:42
ツタンカーメンの副葬品の精巧さには、若くして亡くなった王への愛が込められていた。そして、もっとも驚異だと感じたのは、これらをつくった人は、お墓に埋めてしまうわけだから、その後誰にも見られないだろうと思っていただろうということだった。
2021-10-25 07:20:37
普通、美術品は誰かに見られることを前提に制作する。ところが、ツタンカーメン王の副葬品は、つくって埋めてしまったらもう誰にも見られない(ということが前提であった)。それなのに、ここまで丹精にものをつくるというのはどういうことなのだろうと思った。
2021-10-25 07:21:29
港千尋さんの本に、盲目の写真家の話が出ていて、その写真家にとってはシャッターを押すまでの行為で写真という経験が完結しているのだと書かれていた。ツタンカーメン王の副葬品をつくったひとたちも、つくるまでの行為で芸術としての経験は完結していたのだろう。
2021-10-25 07:22:37
以前、雅楽の世界について東儀秀樹さんにお話をうかがった時、東儀さんが、皇居で行われる雅楽の演奏はどなたも聞いていらっしゃらないこともあるとおっしゃった。観客のいないところで、夜がふけるまで音楽を奏で、踊り、うたうことがあるのだという。
2021-10-25 07:23:46
観客、受け手のいない芸術表現に心を惹かれるところがあるのは、通常の芸術表現においても、ほんとうは観客の主観的体験にはアクセスできないのだと知っているからだろう。つくっている間の経験が全てで、それを受け手がどのようにとらえているかはわからない。芸術はそれぞれの主観に閉じている。
2021-10-25 07:25:10