「当時の日本の技術は低く遣唐使船は遭難ばかりだった」という通説は覆されつつあるらしい?
- matomeyouno
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空海についての本を読んでいて知ったんだが、「当時の日本は季節風を知らず、航海術も造船技術もレベルが低かったため遣唐使船は遭難することが多く、成功率は低かった」というのが従来の通説だったが、近年はそれを覆す研究が出てきているんだという。
2021-10-26 21:12:36〇すでに水没したジルニトラは水没しない。まだ水没していないジルニトラも水没しない。すでに水没したジルニトラとまだ水没していないジルニトラを離れて、現に水没しつつあるジルニトラは水没しない △色のない緑の考えは猛烈に眠るというわけでも眠らぬというわけでもない ロT-34 ShockとDJプラパンチャは同一でも別異でもない
早速図書館に駆け込んで上田雄『遣唐使全航海』(草思社、2006)を開いたら、200年余りの間に派遣された遣唐使船は36隻に及ぶが、うち26隻は無事に日本に帰着しており、7割強が往復に成功しているという指摘がある。当時としては優秀と言ってよさそうである。 #人員でみると8割強が帰国を果たしている
2021-10-26 21:13:02本書は「遣唐使船は季節風を知らず、それに逆行して航海したので、そのほとんどが遭難した」という定説についても検証しており、「季節風の存在を知っていたかどうかは別として、その航跡を見る限り大局的には季節風を利用した航海であった」と書き直さなければならないとする。
2021-10-26 21:13:33また本書は、それまで遣唐使の全貌を記した研究書や概説書は意外に乏しく、日中の交渉史の権威だった森克己の『遣唐使』(至文社、1955)が唯一と言っていいほどだったとする。そしてそこには、遣唐使船は季節風の知識を全く欠き、逆風を冒して渡航するものだから多くが遭難したという旨の記述がある。
2021-10-26 21:14:22その後の歴史事典や百科事典や、フィクションに登場する遣唐使の記述はまるで判で押したようにこれを踏襲しており、森克己の説が定説になってしまったことが、命がけの危険極まる航海という遣唐使の暗いイメージを形成する原因になったんだそうで。
2021-10-26 21:14:43伸びているようなので、私の「推し」の坊主であるナーガールジュナについて、20回ぐらいかけてあれこれ書いたクソ長い雑文を雑文をとりあえず貼っておきます。一応仏教の知識がほとんどなくても読めるようにはしたつもりではいます。 note.com/prapanca_snare…
2021-10-27 08:06:11こういうことかも?
@prapanca_snares エベレスト登山と一緒でノウハウある人からすればそこそこ行ける程度だったけど海と無縁の偉い坊さんとか貴族からしたら地獄だったんだろうし文字にして記録を残せたのが大体そういう人たちの意見がベースということ考えれば「あれで海渡んのはないわ~」って意見だけが後世に残っただけかもしれません
2021-10-27 11:06:43@prapanca_snares 遣渤海使も同時期に往来しており遣唐使が同じルートを使うこともあったので興味深いですね。日本についたら船が壊れたので新しいのを日本側で造って帰したという記録もあることから造船操船の技術ともそれなりに高かったと思います。
2021-10-27 09:32:10@prapanca_snares 鑑真が何度も失敗してましたし、阿倍仲麻呂もとうとう祖国に帰る事が出来なかった事が航海の負のイメージを強調してしまったのかも?
2021-10-27 10:33:40@prapanca_snares 遣唐使より前に白村江の戦いとかやってて大船団で朝鮮半島渡ってたのに遣唐使は失敗してたっておかしいなと思ってました。
2021-10-27 07:07:31@prapanca_snares 唐の高句麗攻めで、 いろいろあって百済に肩入れした倭人勢力が、唐と新羅の連合軍に敗退して半島を撤収して以降、半島沿いの航路は使えなくなったんで、 唐との国交回復しても直行便になって、まあ危険度が上がったことには違いないかも。
2021-10-27 11:24:55