藤田直哉氏と佐藤雄一氏による、マジックワードに関する議論から詩歌の朗読パフォーマンスイベント「サイファー」のコンセプトまで
.@yy_sato その「責任」はどういう責任なのかに拠ります。わざと説明しないことで語の効果を期待している場合もあるからです。(とはいえ、僕がネットにおける詩をどういう基準で評価しているのかは、ある程度明確にしているはずなので、隠しているわけではないのですが)
2011-08-26 03:50:09自分を受け入れない制度には「既得権益」で「無理解」で「時代遅れ」とレッテルを貼って自己愛を守ろうとするメカニズムがあって、それで新しい運動を起こそうという気持ちが起きるのも分かった。しかし、自己愛を守ろうとしているだけで自分がダメなのか、新しい運動に価値があるのか誰にも分からない
2011-08-26 03:52:48.@yy_sato 「何」に対しての責任を批評家は負っているのか、に拠ります。当人への説明責任よりも、その「何か」の方を重視する場合に、説明をしないということはありうると思います。
2011-08-26 03:54:45「良い」も「悪い」も「凄い」も「ダサい」も「面白い」も、僕は基本的にtwitterでは無定義で使っています。それをロジカルに説明するには膨大なリサーチと思考の時間が必要ですよね。ギャグに何故笑ったのか、体系的・理論的に説明するのが困難なのと同じです。
2011-08-26 03:57:20twitterは気軽なメディアだと考えているので、僕は感想を「言わないよりは言った方がいい」という趣旨で書き込んでいます。しかし、それを評論にしろと言われたら、それは原稿依頼であるべきだと思います。twitterで評論めいたことを書くときはありますが、それはあくまで趣味ですから
2011-08-26 03:58:51@naoya_fujita まず、「詩をどういう基準で評価しているか示してること」と「爆発力」との関連性が不明です。かつて「爆発力」という言葉をある程度具体的にイメージできるような基準提示があったということでしょうか、仮にそうであるとして、申し訳ありませんが(・・・)
2011-08-26 03:59:06@naoya_fujita 当該テクストが思い当たらないので、お手数ですがお示しいただければ幸甚です。それとも、自分のかつて示した基準はいくらでも「定義」も曖昧なままいくらでも後付けできるということでしょうか?それこそ悪しき意味でマジックワードという印象です。
2011-08-26 04:00:14@naoya_fujita 「TWITTERは気軽なメディアであり、だから黙説法で語ることも多いアーティストでのTWITTERで「脱構築」と発言しても、そこまで語義語釈にこだわらなくていい」という意見が仮にあったとして藤田さまのいまツイートされたこととの差異をお教えいただければ。
2011-08-26 04:07:49.@yy_sato 「WEB環境の文学」という文章に一つはまとまっておりますが、カオス*ラウンジ騒動の中でその修正を行っています。あくまで「ネット上の作品」は「ネット」というメディアの特性を生かすべきである、という立場です。
2011-08-26 04:02:36.@yy_sato もう一つ重視しているのは「機知」です。さらに、映像論として『サブカルチャー戦争』や『ゼロ年代プラスの映画』で、視覚的に把握不可能なスピードを肯定していますが、モニタ上の表現には同じように適用されるべきだと考えています。
2011-08-26 04:04:26.@yy_sato 「爆発力」には、ネットで人々の話題になり連鎖するという意味、機知、そして図像の色彩感覚やスピードなどが含意されています。その上で、「何故それが重視されるのか」という問いが可能だと思いますが、それに答えるのは 1、趣味 2、体系的な理論 しかないですよね。
2011-08-26 04:07:31.@yy_sato 「脱構築」は語義や定義にそもそも抗う概念=非概念なので、その意見が来たら、その人の意見は正しいと思います。その上で、twitterで当該アーティストが応答するならば、質問をします。そこは応答することのメリットとデメリットを作家本人が自覚していると判断します。
2011-08-26 04:10:00@naoya_fujita ご説明ありがとうございます。「爆発力」はWEB上の表現を評ずるときに藤田さまがもちいられる言葉という理解でよろしいでしょうか?
2011-08-26 04:09:52.@yy_sato あの文脈においては、そうです。必ずしもWEB上には限らない使い方ですが。「詩を評価する軸としてそれはいけない」という意見もあるでしょうが、それはその評論家の方々が自己の責任において語ればいいだけであって、僕は僕の角度から評価を行います。
2011-08-26 04:11:47基本的な評価軸として「ネットの表現はネットの特性を生かすべきである」「ネットにあるものは文字だろうと朗読だろうと動画や音楽と等価に評価されるものである」というこの二つを踏まえた上で評価してます(メディアや支持媒体の特性をどこまで生かしているか、です)。
2011-08-26 04:21:12その次に、「見たことないものがあるか」と、「機知」が来ます。「機知」に関してはネットの特性である部分と僕の趣味であることと、他の人があまりそういうものを評価しないから、という三つの理由で重視してます。これらを価値判断の基準にすることには異論があるでしょう。
2011-08-26 04:23:36.@yy_sato その上で、僕は「サイファー」の中の、ネット上にアウトプットされた部分(朗読や、twitterでの議論やネットワーク)に関しては、映像としては評価できませんでした。しかし、現場でのパフォーマンスその他はまた違うでしょう。あくまでネット上の表現としての評価です。
2011-08-26 04:26:11@naoya_fujita なぜ「議論やネットワーク」が評価の対象になるのか謎です。以前、エクス・ポのツダり(不正確きわまりなかったですが)をもとに私のものとされた発言に言及されたとき、コミュニケーションの総体を作品として提示することに懐疑的ではありませんでしたか。
2011-08-26 04:31:26.@yy_sato ネットワークやコミュニケーションそのものをアートとして提示しようとする流れがあり、それ自体には肯定的なので、サイファーという運動体自体を僕は作品として見てます。否定的なのはそれらが現実的には内輪で参加者だけが面白いものであり他者が見て面白いものではないからです
2011-08-26 04:33:28.@yy_sato 別にそれはサイファーだけではなく、「ネットワークやコミュニケーションのアート」全般に思っていることですが。
2011-08-26 04:34:14@naoya_fujita 否定性を弁証法的に駆動させないための語としても「脱構築」はあったので(梅木達郎などの議論に依拠しています)、まず「非」ということばのご使用には違和感を持ちます。いずれにせよ、TWITTERは損得で発言するとの御考えは承知しました。
2011-08-26 04:37:20.@yy_sato 自分の人生の有限の時間を無償で捧げる価値がある作品であり、書かなければいけないという情熱を喚起する作品でしたら、まったく損得勘定抜きで書きますよ!
2011-08-26 04:42:45.@yy_sato 「詩」の価値は「詩」の価値に人生の有限な時間と人生を捧げるだけの情熱と覚悟を持った人がするべきです。僕は詩にそれだけの情熱を抱いておりませんので、有限の時間を、そのような情熱を喚起してくれる極少数のそのような作品や作家、そしてそれを生み出す可能性に使いたいです
2011-08-26 04:46:05