藤田直哉氏と佐藤雄一氏による、マジックワードに関する議論から詩歌の朗読パフォーマンスイベント「サイファー」のコンセプトまで
.@yy_sato 僕に説明責任を求めたようなので、評論家として、また詩人としての佐藤さんに端的にお聞きしたいのですが、「詩」もしくは「現代詩」の価値って、一体何ですか? そして、それはどのような根拠を持つ価値なのですか?
2011-08-26 04:50:21.@yy_sato 僕はサイファーを「ネット詩」としては高く評価しませんでしたが、そのような運動を行って「現代詩」の裾野とお客を広げようとする「現代詩」というジャンルへの献身的な行動には素直に尊敬を抱いています。それだけのことをして拡大・維持しようとしている価値とは、何ですか?
2011-08-26 04:52:09@naoya_fujita 当該のやりとりを確認したところ「 「詩」や「美術」に価値を見出していないのであれば、それは空疎なコミュニケーションの連鎖であって。でも、人が何かを「語る」のは、優れた作品に衝撃を受けたときだけなのではないかと僕は素朴に思っている。」と(・・・)
2011-08-26 04:43:12@naoya_fujita とおっしゃっています。また、「「現代詩を盛り上げたい」という理念で、現代詩を愛する人が集まって、コミュニケーションや活動が起きて、そこから美学が発生するという構造のはず」ともおっしゃってます。http://t.co/WzsmlDA(・・・)
2011-08-26 04:55:15@naoya_fujita この点をふまえると、(あげあしとりでなく)、どうも「コミュニケーション」「爆発力」「機知」といった藤田さまの語彙に齟齬を感じてしまうので、クリアにしていただけるとありがたいです。
2011-08-26 04:56:54@naoya_fujita 直球のご質問ありがとうございます。生産的なやりとりのほうにむかっていると思います。まず「現代詩」ではなくて、「詩」、もっといえば「韻文」であるということをまず強調したく思います。したがって、なんらかの既存のシステムにわたし自身のってるといても(・・・)
2011-08-26 04:59:41.@yy_sato 「機知」のある「コミュニケーション」が「爆発力」を持ち、「爆発力」ゆえに「コミュニケーション」が「連鎖」して「機知」が生まれる状態をが理想形態です(言及している個別の作品は必ずしもこうではありません)。「機知」によって爆発力が生じて連鎖することもあります。
2011-08-26 05:01:38@naoya_fujita 途中ですが、御返事。連鎖力があってもナイーヴにお示しになられた「美」とはなれ、コミュニケーションが自己目的化していることを、「グループセラピー」や「お料理教室」という例をお出しになって、ネガティヴに触れてますね。「そういう価値観の自分古いかも」とも。
2011-08-26 05:07:00@naoya_fujita 「実践」の原理的目標は、既存のシステムのあるなしにかかわらず、持続するサスティナビリティ―にあります。だから一種、疎外論的な含みをもつ「爆発力」(そうでなかったらすいませんが曖昧に用いられたとのことで、曖昧に解します)という語彙で(・・・)
2011-08-26 05:08:10@naoya_fujita はかられることには抵抗があります。そのうえで「あなたの思う詩の価値」について論じなさいということなので、結論から申せば、「内在的な自己肯定」と「自分のいなくなったあとの世界が実在すること、それが不確定であることを愛するための技術」です(・・・)
2011-08-26 05:11:25@naoya_fujita 途中ですが、「外部」「内部」「他者」がこれまたマジックワードになっています。実務的なことをいえば、ちゃんと客にアンケートをとって、ある程度の満足度を得られるようになってます。また、詩のメディア以外でもとりあげられているという実績もあります。
2011-08-26 05:13:49.@yy_sato 「連鎖」も「機知」も「爆発力」も、外部の人間に感じられるものでなければならないと感じています。参加者が「コミュニケーション」に価値を感じるのは分かるのですが、中学生ぐらいでタムロするのだって当人には十分楽しく「価値」がありますからね。
2011-08-26 05:09:12.@yy_sato で、コミュニケーションやネットワークのアートがちゃんと「表現」になるには、外部への意識が必要だと思っております。内輪の集まりはなんだって面白いものです。それは昔からもあったし、今もどこでもある。その「内部」の人間の感じる価値と別の価値を他者が抱くかが肝かと
2011-08-26 05:11:11.@yy_sato で、「コミュニケーション」をアートの名目で求める人々が現れてきて、同時代の「無縁社会」的な問題意識と結びつけてその必然性を理解して擁護したり促進する人の気持ちも分かるのですが、組織と運動それ自体を外部に提示して面白さと批評性出せてないとダメだと思います。
2011-08-26 05:13:59.@yy_sato 「価値」はあらゆる人間があらゆる基準で測って良いものであり、作者の意図とは関係なく作品も見られるし、ジャンルや集団も判断されるんじゃないでしょうか。僕は詩の雑誌に載ってるわけでもないので、影響力の低い言及者の一人に過ぎませんし。
2011-08-26 05:15:36.@yy_sato 皆を詩人にするというのは論理的な回答、すなわち「全員を内部にすれば内部的な価値を共有できる」ということであり、「内部」と「外部」の問題は把握した上で提示されているのだと思っておりました。
2011-08-26 05:16:41.@yy_sato 「外部」と言っても、哲学的な面倒な話ではなくて、詩に所属意識も愛着もないまったくの無関心だったり少し興味持った他人を説得できるかどうかということです。
2011-08-26 05:19:17.@yy_sato 「内在的な自己肯定」と「自分のいなくなったあとの世界が実在すること、それが不確定であることを愛するための技術」の二つが「詩」の価値だとすると、「それは詩じゃなくても実現できないか?」「詩というジャンルの固有性は何だろう?」と素朴に思います。
2011-08-26 05:20:03@naoya_fujita ですから内輪でたむろってるノリが、貫環境的に残るリズムを生みだすようなコミュニケーションになるようエクササイズを原理的に試行しています。結果ネットをとおしてザンビアなど10カ国以上で連鎖してますよ。「内輪」というのは「悪意」でゆがめた印象では?
2011-08-26 05:21:58.@yy_sato 「内在的な自己肯定」と「自分のいなくなったあとの世界が実在すること、それが不確定であることを愛するための技術」との実践として、「内輪でたむろってるノリが、貫環境的に残るリズムを生みだすようなコミュニケーションになるようエクササイズ」がサイファーなんですね
2011-08-26 05:24:12.@yy_sato 「内輪でたむろってるノリが、貫環境的に残るリズムを生みだす」ことによって「内在的な自己肯定」と「自分のいなくなったあとの世界が実在すること、それが不確定であることを愛するための技術」が可能であると。
2011-08-26 05:26:07.@yy_sato 悪意でなく素朴に思うのですが、それは密教とか仏教の儀式などで実現されていませんか? おそらく、特異性は「内輪でたむろするノリ」と「貫環境的」と「リズム」なのだと思いますが、これらが何故重要だとお考えなのか、率直に教えてください。悪意でなく純粋に理解したいんです
2011-08-26 05:27:50@naoya_fujita これは「あなたを詩人にする言葉が詩」というキャッチフレーズを受けた言葉だと思いますが、どうも予断が入っている印象ですので(以前、ぼくのリズム論は音韻論に限定したものという予断にもとづいた文章を書かれていて不快でした)、いうと、「詩人」というの(・・・)
2011-08-26 05:29:54@naoya_fujita はリズムで変性した状態であり、ダンサーでもいいということは実例で示しました。そして「詩」というジャンルにこだわる必要がないという藤田さまの言葉がおれには疎外論的に詩のジャンルにこだわっている印象です。
2011-08-26 05:32:07@naoya_fujita 詩学はもともと「制作の学」であるのだから、おっしゃるようになんでもいい、ただ、「あなたを変性させる」ものが詩というのはわたしがいってきたことです。これは無限に拡張できて、かつ具体的なフィルタリングでモルフェーがでてくる、だから美術批評や(・・・)
2011-08-26 05:34:11