産業革命とフランス革命とか

16世紀から19世紀のヨーロッパについて個人的に本で読んだこととか考えたことを書いていきます。
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孫二郎 @344syuri

しかし、この戦いでプロイセンが得た物は自信などというあやふやなものだけではなかった。 戦後の取り決めでプロイセンが得た領土はラインラントとヴェストファーレン。 ヨーロッパ最大級のルール炭田を擁し、製鉄業が産声を上げていたまさにその地域である。

2021-11-11 20:57:37
孫二郎 @344syuri

その潤沢な石炭はプロイセンを工業化するには十分すぎるものであった。 さらにはその副産物として、東方に移民として住んでいたドイツ人たちが新しい産業に惹かれて続々と帰還を果たしたのである。 プロイセンはその泣き所を急激に補強しつつあった。

2021-11-11 20:57:38
孫二郎 @344syuri

その強大化はビスマルクの言葉通り「鉄と血」によってあがなわれ、その主導の下で北ドイツ関税同盟の締結、やがて統一ドイツの誕生を見ることになる。

2021-11-11 20:57:38

フロンティアの先にあるもの

孫二郎 @344syuri

独立後のアメリカの経済活動は、開戦前とドラスティックに変わることはなかった。 綿花は相変わらず輸出の大黒柱であり、その収穫のためには輸入奴隷の労働力が必要だった。

2021-11-13 09:41:19
孫二郎 @344syuri

この状況はナポレオン戦争が引き金となった米英戦争で変わり、北部においてイギリス製品の代替品を国産化する動きが出始めた。 この動きはアメリカの北部と南部の間に緊張を生み、のちの南北戦争への伏線となる。

2021-11-13 09:41:20
孫二郎 @344syuri

こののちアメリカ産業は独立独歩の道を歩き、ヨーロッパ諸国の助けを借りずに工業化が進められていく。 そのための基盤となったのが、アメリカ合衆国憲法第1条第8節に謳われた知的財産の保護であった。

2021-11-13 09:41:20
孫二郎 @344syuri

1807年にはフルトンが蒸気外輪船の処女航海を行った。 これは広い国土を往来するために河川交通と運河網が早くから整備されたアメリカに非常にマッチした発明となった。

2021-11-13 09:41:20
孫二郎 @344syuri

また、アメリカには手つかずの地下資源が眠っており、発明家たちは潤沢な石炭と鉄鉱石をあてにすることができた。 ベッセマーに先立つこと4年の1851年、ケリーがベッセマー法と同様の製鋼法を発明しており、品質の高い鋼が安価に市場に供給された。

2021-11-13 09:41:21
孫二郎 @344syuri

安い鉄が大量に手に入り、しかもあまりに広い国土のための交通手段が求められているとあれば、狙いは一つ。鉄道である。 鉄鋼王の異名を取ったアンドリュー・カーネギーは製鉄から鉄道のレールまでを一手に生産する手法で莫大な利益を上げた。

2021-11-13 09:41:21
孫二郎 @344syuri

そして産業革命の掉尾を飾るとともに、第二次産業革命の到来を高らかに告げたのが電気であった。 この分野ではエジソン、テスラ、ウェスティングハウスら錚々たる顔ぶれの発明家が歴史に名を残すこととなったが、それは本稿の範囲を超える。

2021-11-13 09:41:21
孫二郎 @344syuri

ただ一つ言えることは、アメリカはもはや「旧植民地」ではなく、世界の最先端に躍り出たということであった。

2021-11-13 09:41:22

北の大地に巨人立つ

孫二郎 @344syuri

ナポレオン戦争の帰趨を決定づけたのはロシア遠征であろうことは衆目の一致するところであろう。 ロシアはこの国の常として冬将軍の庇護の元にあり、この時もフランス軍を打ち破る上で重要な役割を果たした。

2021-11-14 05:48:11
孫二郎 @344syuri

あるいはそれがよくなかったのかもしれない。ロシアはプロイセンと異なり後進性を克服するための強力な意思に欠け、工業化は大いに遅れた。

2021-11-14 05:48:12
孫二郎 @344syuri

ナポレオン以降もヨーロッパ最強の陸軍国家として自他ともに認める存在だったロシアにはさしたる危機感もなく、西欧諸国との差があまりにも開いてしまったことに気付いたのはクリミア戦争の無惨な失敗の後であった。

2021-11-14 05:48:12
孫二郎 @344syuri

1861年、ようやく農奴解放令が公布され、工業化に必要な労働力が農村から都市に供給された。 さらに綿花の産地である中央アジアへの勢力の広がりを受けて綿織物が発展し、ここにロシアは工業化の端緒を掴んだ。

2021-11-14 05:48:13
孫二郎 @344syuri

ここから急速にランドパワーの地位を取り戻したロシアだったが、しかしこの産業革命は遅すぎた。共産主義の火はもう足元まで広がりつつあったのである。

2021-11-14 05:48:13

東から昇る太陽

孫二郎 @344syuri

クズネッツに「途上国から先進国となった唯一の国」と評された日本は、確かに様々な幸運が味方していた。 明治維新を経て軍事的にも旧権力が打倒された日本では、改革に対する保守反動を心配する必要がなかった。これが日本の第一の幸運である。

2021-11-14 07:22:43
孫二郎 @344syuri

また、石炭・硫黄などの重工業に必要な資源、生糸・綿花のような軽工業に必要な資源をほぼ国産できた。これが第二の幸運である。 さらに、識字率が高く翻訳文化が定着しており、文献によって先端技術をキャッチアップする下地が整っていた。これが第三の幸運である。

2021-11-14 07:22:43
孫二郎 @344syuri

明治の元勲たちはこれらの幸運を余すところなく活用し、日本は信じがたいほどのスピードで工業化を果たした。 しかし、日本の前には巨大な潜在的国力を持つ「眠れる獅子」がいた。日本と清は先進国の最後の席を巡って争う関係となった。

2021-11-14 07:22:44
孫二郎 @344syuri

双方が生き残りを賭けて臨んだ日清戦争は、意外にも日本のワンサイド・ゲームに終わった。 日本は巨額の賠償金を獲得し、これも工業化への原資となった。

2021-11-14 07:22:44
孫二郎 @344syuri

戦勝をことほぐ間もなく、今度は極東ロシアが日本の眼前に立ちはだかる。 今度の相手は正真正銘の先進国ロシアだったが、この時は日本にも力強い味方がいた。最古の先進国、イギリスである。

2021-11-14 07:22:44
孫二郎 @344syuri

戦いが終わった時、イギリスの援助があってなお日本の国力は払底していたが、局地戦での勝利を積み重ねたことで今度もきわどく勝ちを拾った。 日本は分の悪い賭けを繰り返しながらも、最後の先進国の椅子をものにしたのだった。

2021-11-14 07:22:45
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